あふれる
授業時間が始まった。私語の時間はおしまいだ。米は愛之助の目標を聞いた。「てらこや」では、生徒の自主性を大事にしている。その確認だった。
「年賀状を書けるようになりたいんです」
 愛之助の目は真剣だった。
「年賀状ですか。最近はあまり書く人もいませんよね」
「僕は昔から書きたかったんです。文字の入力は音声入力に頼れますが、なんとか手書きで、ひらがなに漢字を交えて書きたくて。出したい人がいるんです」
「そうですか。いい目標ですね。古風で素敵です。私も年賀状は毎年書いていますよ」
「では、田村先生に出しますよ。いちばんに」
「出したい方に出してからでいいですよ。うらやましいです。最近はみんなSNSで済ませてしまいますから、かえって迷惑かと心配で。どんな方に出したいんですか?」
 何気なく聞くと、愛之助の顔は曇った。ぎりっと唇をかんでいるのがわかる。
「……僕をずっといじめてきた子です」
「すみません!」
 米はあわてて謝ったが、不思議に思った。結城愛之助は、どうして憎い相手に年賀状を出したいのだろう。普通は縁を切りたいのではないだろうか。
 いつのまにか米は、この「てらこや」で自分と愛之助の人生が交錯した今、彼の生き様が足跡として刻まれてきた地図を見たいと考えていた。
「いいえ、気になさらないでください。さあ、僕に漢字とひらがなのじょうずな書き方を教えてください」
 愛之助には笑顔が戻っていた。愛之助は自分の髪を褒めてくれたけれど、彼には雪明かりの中でともるらんぷのような、ほのかに、だが確かに人を癒す笑顔が似合う。米はひらがなを書くプリントを用意しながらしみじみ思った。
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