金曜日の角砂糖は溺れかけ
私の居場所
○夏休み最後の金曜日、黒崎家の玄関前(夕方)
玄関チャイムを押すかどうかで、ウロウロとしている六花。
六花(このチャイムを押したら、平くんに会えるし、美味しいごはんも食べられるけれど)
(チャイムを押してしまったら、もう“最後”のごはん会になっちゃう……)
その時玄関ドアが開き、平が現れる。
平「角砂糖、不審者みたいだから!」
六花「えっ」
平「家の中から見えてたし。ウロウロしすぎっ」
門扉のところまでやって来た平は、六花の手を握る。
六花「ひゃっ!」
平「……あはっ、何その声。かわいー」
六花の反応に笑顔になる平。
平「ほら、早く入れって。通報されるぞ」
六花は大人しく門扉の中に足を踏み入れる。平は六花の手を握ったまま、玄関まで行ってドアを開けてくれる。家の中に入る六花。
六花「お邪魔しま……っ!?」
体がふんわりと包まれる感覚になる。
六花「た、た、たた、平くん!?」
六花(わぁーーーっ!!)
心の中の恋心が、嵐のように騒ぎ出す六花。
平「ぎゅっとしてい?」
六花「えっ、もう、何ていうか、ぎゅっとされている?ような……」
平「あはっ、角砂糖の声、裏返ってるし」
平は後ろから六花を抱きしめていたけれど、ふいに体を離す。
六花「?平くん?」
平を振り返る六花。自分のTシャツをくんっと嗅いでいる平。
平「や、ごめん。オレ、さっきまで玉ねぎ炒めてたから。そういう匂いしてたかも」
六花「えっ、全然大丈夫でした」
平「マジで?嫌じゃない?」
六花「気づかなかったです。むしろいい匂いがしています、平くん」
六花(この間も思ったけど、何のシャンプー使ってるんだろう?それとも柔軟剤?いい匂いしてるんだよなぁ)
平の顔が赤くなる。それに気づいて、きょとんとする六花。
六花「あれ?何か変なことを言いましたか?」
心配になって尋ねた六花のおでこを指でピンッとはねる平。
六花「痛いっ」
平「いい匂いしてるとか言うなよっ、恥ずかしいやつ」
六花「えっ?なんで?いい匂いですけど」
ちりちり痛むおでこを押さえる六花。
平「……もういいよ、角砂糖のそういうところ、嫌いじゃないし」
六花「えー、何ですかっ!?どういう意味!?」
わかっていない六花に、平は赤い顔をしたまま言う。
平「わかんなくていいよっ」
○黒崎家のキッチン
素直がエプロンを付けて、うちわで何かを扇いでいる。
六花「素直くんっ、お久しぶりです!」
素直「師匠っ!久しぶりっ!!元気だった?泣いてない?」
六花「あは、元気です。泣き虫だけど、泣いてばかりじゃないんですよ。素直くんも元気ですか?」
素直「それなら良し!オレはいっつも元気だよ!」
笑顔の素直。両腕を腰に当てて「えっへん」と、ポーズをとる。それからまた、うちわで扇いでいる。
平「なお、別にそれ扇がなくても大丈夫だけど。粗熱とれたらいいだけだから」
素直「えっ!?でも、こうしたら早く冷めるでしょ?そうしたら早くコロッケ、食べられるでしょ?」
六花「コロッケ!?コロッケなんですか!!」
六花の目がキラキラ輝く。
平「うん、コロッケにしようかなって。家にじゃがいもとか玉ねぎとかあったし」
キッチンに立った平は、丁寧に手を洗う。
平「角砂糖が来る前にある程度は作ったからさ。成形と衣付けはみんなでやろう」
六花「はいっ!エプロンは持って来ています」
六花が準備して、手を洗う。その間に平がキャベツを千切りしていて、素直がトマトを切っている。
平「角砂糖はこれ茹でて」
手を止めた平に渡されたのは、パスタの袋。「早茹で一分半」の文字が見える。
六花「はい、茹でます!でも、コロッケがあるのにパスタですか?」
素直「サラダになるんだよ」
平「茹でてくれたパスタを、ちょっと冷ましてからボウルに入れて、その中にきゅうりとハムと人参を切ったやつを加えて、マヨネーズで和えると、パスタサラダが出来るんだ」
六花「あ、多分食べたことがありますっ!」
平「うん。オレん家はマヨネーズだけにしてるけど、角砂糖が物足りなかったら、レモン汁とか、黒コショウとか、好きな調味料を足しなよ」
平がキャベツの千切りを再開させる。まな板がトントンと、軽快なリズムを奏でる。
素直「トマト、終わり!」
平「うん、ありがとう。なお、それ、冷めてるか確認して」
平がキッチンカウンターに置いてあるバットを見る。
六花「コロッケの中身ですねっ!?」
平「中身……うん、まぁ、合ってるけど」
平が笑う。
素直「兄ちゃん、さっきより冷めてる!手のひらをかざしても熱いの感じないっ」
平「おっ、ナイスタイミングじゃん」
素直「うちわのおかげかな!」
平「あはははっ、そうかもな」
平がバットの中身をゴムベラで八等分にする。
平「角砂糖もする?」
六花「パスタが茹でられたので、挑戦したいです」
平「オッケー。角砂糖もなおも、これを俵型にしてくれる?」
素直「俵型……って、何?」
平「平べったい丸型だったら、大丈夫だから」
しばらく黙って、成形をする三人。そのまま、衣付けも終わらせる。
平「二人とも、お疲れ。じゃあ、オレ、揚げていくから」
六花「私はパスタサラダを完成させますっ!」
素直「オレはテーブルセッティングしてくるっ!」
○黒崎家のダイニングルーム
テーブルに千切りキャベツとトマトも共に、コロッケが載ったお皿、ガラスの器にパスタサラダ、オクラと玉ねぎのスープが並ぶ。
六花「美味しそうですっ」
席に着いて、ますます目がキラキラと輝く六花。
六花「スープがありますっ」
平「角砂糖が来る前に、先に作っておいたんだ。コロッケで時間がかかると思って。夏野菜入れて、味つけただけだけど」
素直「美味しいんだよ、これ!……兄ちゃん、もう食べよー!お腹空いたーーっ」
素直が催促するように両手を合わせる。
六花と素直「いっただっきまーすっ!!」
平「いただきますっ」
きつね色をした揚げたてほかほかのコロッケをひと口かじる六花。さくさくした衣と、ふわふわの具の食感にときめく。
六花「〜〜〜っ!!」
平「またジタバタしてる」
素直「師匠って面白いよね」
六花「美味しいですっ!コロッケをこの世に生み出してくださった方と、作ってくださったお二人に、心からお礼申し上げますっ」
真面目な表情で言った六花に、平と素直は大笑いする。
六花「え?なんで笑いますか?」
平「いやいやいや、笑わないわけないじゃん」
素直「師匠、大袈裟!」
六花「えーっ?」
平「それに角砂糖も手伝ってくれたじゃん。オレらだけが作ったんじゃないよ」
素直「そうだよー、みんなで作ったコロッケだよー」
三人ともニコニコしながら、ごはんを食べる。
素直「師匠のパスタサラダ、美味しいよ!」
平「うん。うまいな」
六花「えっ、本当ですかっ!!やった!!初めて一から自分で全部作ったお料理になりましたっ」
平「そっか」
平が優しい表情で頷く。
平「……なお、角砂糖とのごはん会さ、これで最後にしようと思うんだ」
素直「え!?なんで!?せっかく再開したのに!?」
平「うん。そうだな」
六花「あの、理由を聞いてもいいですか?」
平「……ずっとごはん会をしていたいけどさ、それだときっとダメなんだよ」
六花「え?」
平は箸を置く。
平「角砂糖が、角砂糖のお父さんやお父さんの恋人とさ、きちんと話せたって前に教えてくれたじゃん?」
六花「はい」
平「……オレ、角砂糖のこと応援したいんだ」
六花「?」
平「寂しい気持ちも、つらい気持ちも、すぐには消えないかもしれないけどさ、角砂糖にこれからも家族との繋がりを大事してほしいって思った」
六花「……」
平「オレやなおは、いつでも角砂糖とごはんを食べられるからさ、今はお父さん達との時間をもっと作りなよ」
六花「でも」
平「自分でも余計なお世話だって思う。ごめんな。でも、角砂糖の家族に対しての気持ちは、家族でしか埋められないんだよ」
六花「……はい」
しゅんとする六花。
平「つらかったらいつでもここに来ていいから」
六花「えっ?」
平「オレらの中には、角砂糖の居場所があるってこと!」
六花「っ!!」
素直「そうだよ!!師匠っ、いつでも来てね!!待ってるんだからっ!!」
平と素直の顔を見つめる六花。
六花(ずっと欲しかった)
(私の居場所)
(……あったんだ)
(ここに、ちゃんと)
六花「……はいっ!」
○黒崎家の家から最寄り駅までの道(夜)
平と並んで歩く六花。
六花「満腹です」
平「あは、良かった」
六花「お腹も、心も、満たされました」
平「うん」
六花(楽しかったなぁ)
今までのことを思い返す六花。平や素直と、いろんなごはんを食べてきた。どれも美味しく、楽しい時間だったことを思うと、ニコニコしてしまう。
六花「平くん」
六花はそっと平の手を握る。
平「!」
六花「私、平くん達とごはん会が出来て、本当に良かったです」
平「うん、オレも。きっとなおもそう思ってるよ」
六花「美味しかったなぁ」
六花は夜空を見上げる。星がいくつか見えて、瞬いているのがわかる。
六花「今度はいつか、私が平くんにごはんを作りますね」
平「え?」
六花「和紗さんに教えてもらう約束をしているんです、お料理!上達したら、絶対に食べてくださいね」
平「……」
六花「どうしましたか?」
平の顔を見ると、複雑な表情をしている。
平「……いや、ちょっとだけ嫉妬したかも」
六花「え?」
平「オレだって角砂糖に料理、教えたかったな」
六花「あはっ、平くんでも嫉妬するんですね」
平「あ、笑ったな。オレだって嫉妬するよ。それなりに独占欲だってあるし」
平が立ち止まる。手を繋いだままなので、六花も立ち止まる。
六花「ど、独占欲……」
六花(それって、私に対してのこと、なんだよね?)
なんとなく照れてしまう六花。
平「……角砂糖」
六花「はい」
繋いでいないほうの手で、平が六花の頬をそっと触る。ぴくっと跳ねる六花。
平「あはっ、何その反応。かわいー」
六花「なっ、か、からかわないでくださ……っ」
平の顔が近づいてきて、唇にふんわりとした感触がした六花。
六花(え?)
平が息だけの声で「目、閉じて」と、囁く。
六花(わぁ、わーーーっ!!!)
大パニックになりそうな頭の中だけど、ぎゅっと目を閉じる六花。全身が心臓になったように、ドキドキと鼓動を感じる。
平「好きだよ、角砂糖」
再び、唇を重ねる平。繋いでいた手の力が抜けて解けてしまうけれど、平が六花の背中に両手をあてて、抱きしめるように体を引き寄せる。
平「……心配」
六花「えっ?」
キスをやめて、平が六花のおでこに自分のおでこをコツンと合わせる。
平「角砂糖、食いしん坊だからなぁ。オレのごはんより、その和紗さんって人のごはんのほうが良いとか言ったらマジへこむ」
六花「えっ、あはっ、あはははっ」
平「あ、そこは否定しろよ」
六花「おかしくてっ、だって、ごはんの独占欲……っ」
平「言っとくけど、オレ絶対へこむからな。しばらくキッチン立てないくらいにへこむ自信あるからな」
六花が大笑いして、平もつられて笑い始める。
六花「平くんのごはん、また食べられると嬉しいです」
平「うん」
六花「……私のごはんも、いつか食べてくださいねっ」
平「うん、楽しみにしてる」
お互いを見つめ合って、目を細めて笑顔になる二人。夜空の下、どちらともなく手を握る。
平「あーぁ、もう駅に着いちゃうな」
六花「本当ですね。帰りたくないです」
平「……あのさー、角砂糖」
六花「?」
平「そういうこと言うのやめろよ」
顔が赤くなってくる平。
六花「え?なんで?なんで赤面なんですか?」
平はそっぽを向く。
平「わかんなくていいよっ!」