金曜日の角砂糖は溺れかけ
過去なんか知らない
○県立N高等学校、一年三組の教室(三時間目の前の休み時間)
教室内では次の授業の準備をする生徒や、友達とおしゃべりしている生徒がいる中、六花は自分の席に座ったまま、スマートフォンを見ていた。
かっしー「六花ちゃん、何を見てるの?」
六花「あ……父親からのメールです。今、届いて」
かっしーはふぅんと頷いて、でもそれ以上は聞かずに次の授業の教科書を机の上に置いた。
父親からのメール《ダイニングテーブルの上に今月分のお金を置いておいた。足らないようなら、連絡すること》
六花(……ごはん会のこと、お父さんに話すほうがいいのかな)
チラッと平の姿を探す六花。窓際の自分の席で、スマートフォンをいじっている平を見つける。
六花(……まぁ、いいか。また家にお父さんが帰って来た時に話そう)
再び平の様子を窺うと、自分の席から立ち上がり、教室を出て行ってしまった。
六花(もう授業が始まるのに……)
少し気になったけれど、自分も授業の準備をしていないことに気づいて、平のことは頭から離れた六花。
○一年三組の教室(三時間目の授業中)
日本史の授業。黒板に向かって、大事なポイントを先生が書いている。ノートにそれを写す生徒達のシャープペンシルの走る音が、教室内にカリカリと響いている。
先生「……ここ、テストに出すからな」
振り返った先生が、何かに気づく。
先生「ん?黒崎はどうした?」
男子生徒A「サボリでーす」
先生「……っ、またか!」
○一年三組の教室(三時間目の授業が終わり、休み時間)
男子生徒A「マジ迷惑じゃね?黒崎」
男子生徒B「わかる、先生もあからさまに不機嫌になるしさー」
女子生徒A「ほんっとよくサボるよね?」
男子生徒Aがニヤッとする。
男子生徒A「黒崎ってさー、中学の時、めっちゃ荒れてたらしいよ」
女子生徒A「え?何それ!?」
身を乗り出す女子生徒A。
男子生徒A「他のクラスにいるオレの友達がさ、黒崎と同中だったわけ。そいつの話ではさー、黒崎ってか〜なり、不良だったらしいよ」
男子生徒B「えー、不良!?かなりって、どういう感じ?」
男子生徒A「なんか、警察のお世話になったとか、なってないとか」
噂話でわいわいする教室内。教室のすみっこにいる六花とかっしーの耳にも届いている。
六花(……いや、それってもはや知らないんじゃん)
心の中でツッコミを入れる六花。かっしーは関係ない顔をして、スマートフォンをいじっている。
男子生徒A「……とにかくさー、あいつ、マジでヤバかったらしいよ」
男子生徒B「関わりたくねぇな」
女子生徒A「でもさー、イケメンだよね」
男子生徒A「は?イケメンだから何?マジうざい」
ゲラゲラ笑う教室内。そこへ平が教室に戻ってくる。
女子生徒A「……あ、黒崎くん」
しーん、と静まる教室。黙ったまま、平は自分の席に座る。
男子生徒B「聞こえてたり……して?」
平に確認するように呟く男子生徒B。
平「……別に。マジ迷惑かけて申し訳ないとは思うよ?」
男子生徒A「……最初から聞いてんじゃん」
雰囲気が悪くなる教室に、次の授業の先生が入ってくる。
先生「……はーい、私語はやめてー。授業始めまーす」
○裏庭(昼休み)
キョロキョロと辺りを見回しながら、裏庭をひとり歩く六花。ベンチに座る平を見つける。
六花「……黒崎くん」
六花に気づいた平。
平「よぅ、角砂糖。何か用?」
六花「金曜日のことで」
六花は平が座っている向かいのベンチに腰掛ける。
平「……角砂糖が嫌なら、もういいよ。金曜日のこと、無理しなくても」
六花「え?」
平「オレと関わるとさ、角砂糖も悪く言われるかもだし」
スマートフォンを取り出す平。話は終わった、と言わんばかりにスマートフォンをいじる。
六花「……そんなこと、気にするんですか?」
平「は?」
スマートフォンから顔を上げる平。
六花「いや、意外と気にするタイプなんですね」
平「……何?バカにしてんの?」
六花「うーん、まぁ、ある意味で。はい、そうですね」
あっさり頷く六花に、平は拍子抜けした様子。
平「あんたさー、怖いとか思わないの?あんな噂される元ヤンと話しててさ」
六花「元ヤン?元ヤンキーってことですか?……うーん、怖いかって聞かれると、全く怖さは無いですね」
平「……」
平を真っ直ぐ見つめる六花。
六花「私は不良をしていた頃の黒崎くんを知りません。知っているのは、ごはんをとても美味しく作ることが出来る、弟さんと仲良しな黒崎くんです。だから怖がりようがないです」
平「……変な奴。普通、怖がるんじゃん?」
六花「変な奴で結構です。そんな普通、私には不必要です」
目を丸くする平。
平「……角砂糖って、面白い奴だな」
六花「そうでしょうか?私はいたって真面目に会話しているつもりです」
キリッとして黒縁眼鏡をズレを直しながら答える六花に、笑顔を見せる平。
平「あはっ、そういうところだよ」
六花(あ……、笑った)
平「じゃあ、何?金曜日のことって」
六花「……やっぱり、黒崎くんの美味しいごはん、また食べたいんです」
平「うん」
六花「でも私、食べさせてもらうだけなら、少々気が引けます」
平「え、気にすんなよ」
六花「いや、それは無理な話です」
平(マジで頭の中、四角いんだな)
六花「そこで考えた結果の提案なのですが」
平「うん」
六花「材料費は半分こしましょう。そして、お料理のお手伝いをさせてください」
平「……『半分こ』?」
ニヤニヤ笑う平に、赤くなる六花。
六花「合ってるじゃないですか!半分こ!何がおかしいんですかっ」
平「いやいや、別に。可愛いなって思っただけ」
更に赤くなる六花。
六花「っ!!か、可愛い!?」
平「あはっ、あはははっ」
両手で頬をさすりつつ、平静を取り戻そうとする六花。
平「いいよ、角砂糖の気が済むようにしなよ」
六花「はい、ありがとうございます。では、私はこれで」
立ち去ろうとする六花。
平「角砂糖」
呼ばれて、足を止めて、平を見る六花。
平「ありがとな」
六花「……?何のお礼でしょうか?」
不思議そうな六花に、平はまた笑顔になる。
平「わかんなくてもいいよ」
○一年三組の教室(放課後)
帰り支度をしている六花。
かっしー「六花ちゃん、帰ろう」
六花「あ、はい。帰りましょう」
かっしーと教室を出た六花。廊下を歩いて、階段をおりる。階段をおりたところで、平が立っている。
六花「……黒崎くん」
平「ちょっといい?……樫田さん、こいつ借りてもいい?」
かっしー「どうぞ。私は帰るので、ちょっとと言わずにどうぞ」
六花「え、かっしー?」
六花に手を振り、さっさと帰るかっしー。
平「……角砂糖、連絡先教えて」
六花「連絡先ですか?少々待ってください」
スマートフォンを取り出す六花。画面を操作する。平もスマートフォンを操作して、連絡先を交換する。
平「ごはん会で何が食べたいとか、連絡して」
六花「えっ!リクエストしても良いんですか!!」
目を輝かせる六花。ずいっと身を乗り出したので、平との距離が近くなる。
平「!!」
平が一歩下がる。
平「近い、近い!!食いしん坊か、角砂糖!!」
六花「はい!そのようです!!」
平「嬉しそうに肯定すんな!今は褒めてないから!」
六花「何が良いでしょう!?食べたいもの、食べたいもの……!!あぁ、いっぱいあります!」
平「……っ」
キラッキラの目の六花。楽しそうに悩んでいる。
平「じゃあな、角砂糖。食べたいものが浮かんだら、早めに連絡しろよ」
歩き出した平の持つ鞄を掴む六花。驚き振り向く平。
六花「……ライス……」
平「は?」
六花「カレーライス!!食べたいです!!」
平「早っ!!」
思わずツッコミを入れる平に構わず、六花はうっとりとした目をする。
六花「ぜんっぜん食べてないんです、カレーライス!!ひとり分だけ作るには面倒なんです!!ドライカレーでもいいです!!ウェルカムです!!チキンカレーでも、ポークカレーでも、ビーフカレーでも、私はウェルカムなんです!!貝は苦手だけどシーフードカレーでも本当ありがたいんです!!」
一気に話す六花に、圧倒される平。
平「わかった、わかったから!!とにかくカレーライスが食べたいんだな!!角砂糖の気持ちは受け取った!」
六花は大きく頷く。
平「……いや、待てよ」
平の表情が曇る。
六花「ダメですか!?」
平「ダメじゃないけどさ、問題がある」
六花「一体どんな問題が!?」
平は俯く。
平「オレ……、市販のカレールーを使ったカレーライスしか作れないんだ」
六花「え?」
平「角砂糖の食べたいカレーライスじゃないかも。ルーから作るとか、やったことがない」
六花は目を丸くして、それから「ぷふっ」と噴き出す。
六花「黒崎くん!そんな本格的なカレーライス、私も食べたことがないのでわかりません!!黒崎くんがいつも作るカレーライスが食べたいんです」
平「え、あ、そっか」
ふたりで顔を見合わせて笑う。
○最寄り駅、改札の前。
平と向かい合わせで立つ六花。
六花(また送ってもらっちゃったな……)
平「じゃあ、金曜日はカレーライスだからな。楽しみにしとけよ」
六花「はい。それでは、また学校で」
お辞儀をして、改札内に入る六花。
平「角砂糖」
六花「え?」
平「気をつけて帰れよ。暗くなってきたら明るい道を通れよ、人通りの多い道とか」
六花(……本当にお母さんみたい)
思わず笑顔になる六花。手を振ってみると、平も片手をあげてくれる。
六花(あれ、なんか嬉しい……)
(黒崎くんはやっぱり、怖くないよ)
○金曜日の放課後、黒崎家の玄関
玄関チャイムを押す六花。素直の声で応答がある。
素直『師匠っ、待ってて!今開けに行くからね』
ドタバタと足音がして、玄関ドアが開かれる。素直の嬉しそうな顔。門扉も開けて、六花を迎え入れる。
六花「お邪魔します」
素直「何言ってんだよ、師匠!『ただいま』でいいよ!」
六花「えっ、それはその……」
素直「おかえりー、師匠!」
六花「あ、あの、はい。ただい……まです」
ぐいぐいと素直に押し込まれる形で、黒崎家のリビングまで入った六花。カレーライスの、お腹を空かせる匂いが、部屋中に漂っている。
平「おっ、角砂糖。おかえり」
対面式キッチンの中から、平が声をかける。
六花「あの、黒崎くん……」
平と素直「何?」
同時に返事をしたふたりが、顔を見合わせて笑う。
素直「師匠、どっちも黒崎だから。名前で呼べばいいんじゃない?」
六花「え、それはハードルが高い気がします!」
平「角砂糖、オレの名前を知らないとか?」
六花「知ってますよ!なんなら、この間フルネームで言ったじゃないですか!黒崎 平くんですよねって」
焦る六花。平は笑顔で「なら良し」と言って、何かを包丁で切っている。
六花「あの、お手伝いします。その……あの、平、くん」
ドキドキしてしまう六花。
六花(何これ、変なの。照れる)
六花が平を見ると、平もちょっと驚いた顔をしている。
素直「オレは!?オレのことも呼んで!!師匠っ!!」
六花「素直くん」
素直「はいっ!」
挙手をして嬉しそうに返事をする素直。平が我に返り、また何かを切る作業を再開する。
平「角砂糖、手伝ってくれるなら食器出して。なお、教えてあげな」
素直「うんっ、師匠来て。この棚が食器棚でね、カレーライスの時は……」
ダイニングテーブルにカレーライスと、グリーンサラダが盛られた皿が並ぶ。素直が冷蔵庫からドレッシングを二種類取り出し、テーブルに置く。
素直「師匠、好きなほうを選んでね」
六花「あ、はい。ありがとうございます」
まだ立ったままの六花に気づいた平が、椅子を引いて指差す。
平「ここ、座って」
六花「あ、はい」
隣接したリビングルームに背を向ける場所、キッチン寄りの席に六花が座り、その向かいに平、平の隣に素直が座る。
素直「食べていい?もう、食べていい?」
平「いいよ、角砂糖も食べな」
六花と素直が顔を見合わせて、同じタイミングで両手を合わす。
六花と素直「いただきますっ!」
カレーライスのルーの海に、野菜がゴロゴロと仲良く浸かっている。スプーンを入れてひょいっと掬うと、ひと口サイズよりほんの少し大きなジャガイモと人参が、メリーゴーランドに乗ったカップルみたいに仲良くくっついて来てくれた。
六花「美味しそう……」
それを口の中にそっと入れる六花。刺激的で、でも優しいカレーの味。やわらかいジャガイモは少し噛んだだけで崩れ、人参の旨味が口いっぱいに広がる。
六花「〜〜〜っ!!」
思わず俯き、体をバタバタさせてしまう六花。
平「何だ、どした!?」
六花「も、求めていたカレーライスに出会えて、本当に全面降伏というか、もう、なんて言うか、嬉しくって!!」
平「は?」
六花「ありがとうございます!!平くんのカレーライスを今日、私が食べられたことへの感謝の気持ちでいっぱいです!」
平「……あんた大袈裟だっつーの」
呆れたように呟く平。でもその表情は嬉しそう。
六花「『あんた』じゃないですっ!私の名前はっ」
平「はいはい、角砂糖だもんな?」
六花「ち、違いますっ」
平「はははっ!」
楽しそうに笑う平。それを見て、驚く素直。
素直「兄ちゃん、楽しそうっ」
素直の表情が輝く。
素直「ちょっと前までさー、兄ちゃんっておっかなかったんだよ。ま、オレには優しかったけどね!」
自慢げにドヤ顔をする素直。
平「なお、自慢にならないから、それ」
素直「いや、自慢だね!オレは兄ちゃんと仲良しなんだよ、師匠」
六花「はい!伝わってきています!」
嬉しそうな素直。
素直「でもさー、前はね、オレ以外には怖かったんだよ」
平「本人目の前にして、『おっかない』とか『怖い』とか、よく言えるなぁ」
素直「だってそうじゃん。ケンカしてさ、痛そなケガして帰って来たの、オレは忘れないよ」
素直は六花をまっすぐに見つめる。
素直「でも、でもさ、師匠の前だったらさ、本当の兄ちゃんなんだね」
六花「え?」
素直「オレの知ってる兄ちゃんのままだから、なんか安心する!」
○キッチン(食後)
洗い物をしている平の隣に立っている六花。
六花「洗い終わったら、拭きます!食器!」
平「あぁ、いいよ。オレん家、拭かずに乾燥機に入れるんだ」
六花「あ、なるほど!乾燥機!」
六花(それじゃあ、私、手伝うことが少ない……)
少ししょんぼりした六花を見て、平が笑う。
平「しょんぼりすんな、角砂糖!また手伝ってもらうからさ」
六花(『また』って言ってくれた!また、平くん達とごはんが食べられるんだよね!?)
六花「……はい!何なりと!!」
嬉しくなって笑顔を見せる六花。そんな六花の笑顔を見て、平は一瞬フリーズする。
六花「?平くん?」
我に返る平。眉間にシワを寄せる。
平「うるさい、なんでもないし」
六花「は?うるさい?お言葉ですが、私の今の発言のどこが、どう、うるさいのでしょう!?声のボリュームだって、絶対にうるさいほど大声ではなかった……」
平「あー、はいはいはい」
六花「『はい』は一度でお願いしますっ」
平「ほんっとあんたってさー」
六花「『あんた』じゃないです、私は角……、あっ!」
思わず赤くなる六花。その可愛らしい顔に、平も赤くなる。
平「自分で言ってるじゃん、角砂糖」
六花「……平くんのせいです、平くんが呼ぶから」
平「角砂糖、人のせいにすんな」
六花「ほら、また言うっ」
平「いいじゃん、可愛いじゃん。角砂糖」
六花「なっ!?」
さらに赤くなる六花。平は楽しそうに笑う。
素直「……あのぅっ」
唐突に素直の声。リビングのソファーから身を乗り出し、顔を出す。
六花と平「!!」
もっと顔を赤くする六花と平。
素直「……ごめんね、オレも居るんだよ、ここに」
素直の顔も赤くなっている。
平「何言ってんだよ、なお」
六花「そうです、素直くんがいらっしゃることは、知っていました!いましたとも!!」
素直「いやぁ、別にいいんだけどぉ、なんかごめんね」
○最寄り駅までの道(夜、空には星)
平と並んで歩く六花。
平「満腹だな」
六花「はい。お腹の中が幸せです」
平「はははっ、それは良かった」
笑う平の顔を、嬉しそうに見る六花。
平「ん?何?」
ハッとする六花。
六花(変なの。平くんが笑ってると嬉しいだなんて……)
六花「な、なんでもないですっ」
平「変な奴」
六花「今、ちょうど自覚したところです」
平「なんだよ、それ」
ふたりで笑う。夜風がそよそよ吹いていて、六花の三つ編みが揺れる。顔周りのおくれ毛が、六花の頬にはりつく。
平「角砂糖、髪の毛が口に入りそう」
六花「え?……あ、少々お待ちくださいっ」
立ち止まり、顔に手を当てる六花。
六花(ん?ど、どこ?)
ペタペタ触っているところが見当違いな六花。
平「……角砂糖、ここ」
平が六花の頬に少し触れて、はりついていた髪の毛を六花の耳にかける。
六花「……っ!!」
思わず真っ赤になる六花。そんな六花につられて平も赤くなる。どちらともなく、再び歩き出す。ふたりを夜空に瞬く星が照らす。
○六花の家の最寄り駅
駅を出て、家に向かって歩き出した六花。
六花(美味しかったなぁ、また食べたいなぁ、カレーライス)
ぼんやりしていたから前から歩いてきた人に気づかず、肩がぶつかってしまう。
六花「すみません」
その人を見て、六花の目は見開く。
六花「……お父さん」
六花の父「六花!何をしているんだ、こんな時間に」
六花(あぁ、嫌な予感……)
さっきまで見守っていてくれた星も、夜空の雲に隠れてしまって、六花の父だけが睨むように六花を見ていた。