金曜日の角砂糖は溺れかけ
優しさに涙する
○佐藤家(リビング)
父親と一緒に家まで帰って来た六花。父親の眉間には深いシワが寄っている。
六花の父「こんな時間までどこで遊んでいたんだ」
六花「遊んでいたわけでは……」
俯く六花。父親はじっと六花を睨むように見ている。
六花の父「じゃあ、どこに行っていたのか言いなさい」
六花「……クラスメートの家です」
六花の父「クラスメートの誰だ?」
六花「お父さんは知らないと思います、高校のクラスメートだから」
六花の父「いいから、誰なのか言いなさいっ」
父親の声が少し大きくなり、六花は肩をビクッと震わせる。
六花「……黒崎、黒崎平くんのお家です」
思ったより小さな声しか出ない六花。
六花(別に悪いことなんかしてないのに)
六花の父「男の家か」
ため息混じりに言う父親の目は、鋭い。
六花「……ちがう」
六花(負けるな、私)
六花「そんな言い方はしないでください。黒崎くんは確かに男子だけど、お父さんの思っているような人じゃないです」
六花の父「何が違うんだ?お前の彼氏かどうだかは知らないが、男の家に行っていたのは事実だろう?ふたりで何をやっていたんだか」
六花「……汚い」
六花の声が震える。
六花の父「何?」
六花(負けるな!私!!)
六花「汚い想像をしないでくださいっ!!私は、お父さんとは違う!……お母さんとだって違う!!」
六花の父「なんだと!!」
六花「私は黒崎平くんのお家で、夕飯をごちそうしてもらっていたんです!!何がいけないの!?材料費だって半分は払ってるし、お手伝いだってする!!」
六花の目に涙がいっぱい溜まる。
六花「美味しいごはんを食べたいの!!黒崎くんと一緒に!!それが、そのことが、そんなに悪いの!?それに、お父さんに責められるなんて心外ですっ」
六花の父「心外だと?」
六花「私ばかり責めるけれど、帰って来ないのは、お父さんのほうじゃない!!恋人の家に行ってそのまま、何日も帰らないのはお父さんのほうじゃない!!」
六花の父はますます怒った顔で、こぶしをぎゅっと握る。
六花の父「誰のおかげで、生きていると思っているんだ!?お前の学費も、生活費も、何もかも!!オレの金だ!!オレが稼いだ金で、お前は生きているんだっ!!」
父親の言葉に愕然とする六花。
六花「……そんなふうにしか、考えられないの?」
六花の目から涙が数滴、こぼれる。
六花の父「……っ!」
ぎゅっと作ったこぶしを、より一層強い力で握る父親。そしてスーツの内ポケットから財布を取り出し、乱暴な手つきでお金をテーブルに叩きつける。
六花の父「……どうなっているんだ、この家は!!」
吐き捨てるように言って、家から出て行く父親。ひとり残された六花は、部屋の真ん中で泣き崩れる。
○月曜日の朝、県立N高等学校の一年三組の教室
自分の席で、ぼんやりスマートフォンを見つめている六花。そこへかっしーが登校して来る。
かっしー「……おはよう。六花ちゃん、ぼんやりしているね?」
六花「あ、おはようございます、かっしー」
かっしー「どうしたの?悩み?」
六花はふいに笑顔になり、スマートフォンを俯けて置く。
六花「いいえ、大丈夫ですよ!悩みなんて!」
あはははっと笑って見せる六花。かっしーは違和感を感じるが、それ以上は聞かない。
○学校の廊下(放課後)
トボトボと歩いている六花。制服のジャケットのポケットから、スマートフォンを取り出す。メッセージアプリを開く。既読になっているメッセージがスマートフォンの画面に表示される。
父親からのメッセージ《しばらく帰らない。和紗がオレのものを取りに行くかもしれないが、もし家で会っても、何も話さなくていい》
また涙目になりそうで、スマートフォンを片付けて顔を上げる六花。すると、廊下の向こうから平が歩いて来る。
平「角砂糖、ここにいた!」
六花「え、探していましたか?すみません」
平「いや、オレっていうより、樫田さんが。角砂糖、朝から元気がなかったって?それで今、教室に鞄あるのに本人いないから、樫田さんが心配してた」
六花「そうだったんですか」
平に遅れて、かっしーもやって来る。
かっしー「……いた、六花ちゃん」
心配そうな表情のかっしー。
六花「あの、ごめんなさい、ちょっと校内を散歩していました」
かっしー「これからは声をかけてから散歩しようね」
六花「申し訳ないです」
平「じゃあ、オレは帰るわ」
平が来た道を戻ろうとするのを、かっしーがガシッと腕を掴んで止める。
かっしー「黒崎くんも、六花ちゃんがなんで元気ないのか、気になるよね?」
平「え?オレ?」
かっしー「いや、話を聞くよね?もちろん、このまま帰らないよね?」
六花(かっしーが、すごい圧をかけている……)
平「……わかった、わかったけどさ」
かっしー「?」
平「悪いんだけど、オレん家で話聞くってことでいい?学校から近いし。弟が家にひとりだから、なるべくオレも家に居たいんだよね」
○黒崎家、リビング
リビングのソファーにかっしーと素直が並んで座っている。ブルーのラグに直接座る六花と平。ローテーブルにはガラスコップ四つとペットボトルに入ったオレンジジュース。
素直「……今日は金曜日じゃないけど、賑やかでいいね!」
かっしー(金曜日?何のこと?)
かっしー「押しかけてごめんなさい、弟くん」
素直「なんで?楽しいから全然いいよ!」
かっしーに満面の笑みを見せる素直。
かっしー「……天使だ、本当に黒崎くんの弟?」
平「どういう意味だよ」
かっしー「いや、あまりにもピュアな笑顔が眩しくて」
平「樫田さん、オレのこと今、軽くディスってない?」
三人のやり取りに、ふふっと笑う六花。
素直「師匠が笑ったーっ」
かっしー「本当だ、……ん?師匠?なんで?」
素直「バレーボールを教えてもらったからなんだ」
平がそれぞれのコップにオレンジジュースを注ぐ。
平「で?なんで元気ないんだよ」
かっしー「黒崎くん、直球すぎやしませんか」
平「え?だって聞かないことにはわかんないじゃん」
かっしー「……そうね?一理あるよ。まぁ、そのド直球にビックリするけどね?」
平が六花を見る。素直もかっしーも六花に注目する。
六花「……あの、大したことではないんです。そのぉ……、お父さんとケンカしたってだけで」
かっしー「ケンカ?なんで?」
俯く六花。
六花「……それは、今は言いたくないです」
声が涙声になる。
かっしー「ごめんね、私も直球で聞きすぎた」
六花「いえ、あの、かっしーは悪くないです」
六花の涙がこぼれる。
平「まぁ、いいじゃん。話したい時に話せばいいんだし。ふたりとも別に悪くないんじゃん?」
席を立つ平。キッチンに行って、またリビングに戻って来る。手には何も入っていないお皿と、タッパーを持っている。
平「これ、食べる?」
ローテーブルの上でタッパーからクッキーを取り出し、持って来たお皿に盛る平。それを見ていた、六花の涙で濡れた瞳が輝く。
六花「食べますっ、食べたいです!」
涙声で答える六花。
素直「オレ、これ好きーっ!兄ちゃんが作った、紅茶葉が入ったクッキーなんだよ」
かっしー「え、手作り?」
平「そう、昨日焼いた。あ、樫田さんって小麦粉とか大丈夫?」
かっしー「え?……あ、アレルギーじゃない。ってか、黒崎くんってお菓子作るんだね」
かっしーが両手を合わせてからクッキーを手に取る。
かっしー「……美味しいっ」
六花も素直も目を細めてクッキーを食べている。六花はまだ頬に涙が伝っている。
六花「こんなに美味しいクッキーは初めてです」
平「……泣くか食べるか、どっちかにしな」
ティッシュの箱を六花に差し出す平。
六花「食べます……、食べたいです」
ティッシュを引き出し、涙を拭く六花。
○最寄り駅までの道(夕方と夜の合間)
六花とかっしーが並んで歩いている。
かっしー「……黒崎くんって、良い人だね」
六花「はい、良い人です」
かっしー「弟くんも可愛いし」
六花「わかります」
かっしーが歩みを止める。そのことに一拍遅れて気づいた六花も、振り返りながら止まる。
かっしー「六花ちゃん、話したくなったら話してね」
六花「はい」
かっしー「私じゃなくてもいい、黒崎くんでも、弟くんでも、誰でもいいから、声に出して、悩みを体の外から追い出してね」
六花「わかりました」
かっしー「約束。溜め込み過ぎないで」
六花(優しい、かっしー。ありがとうございます)
○金曜日、黒崎家のキッチン(放課後)
キッチンの前で自宅から持って来た黄色い生地に白いドット柄のエプロンをつける六花。平は冷蔵庫の中を見ている。
平「角砂糖、貝が苦手って言ってたけど、魚は食べられる?」
六花「はいっ。特に嫌いな魚はないです」
平「よし、じゃあ、エプロンはとりあえず取って。買い物に行くから」
○黒崎家の近所にあるスーパー
買い物カゴを持つ平。ズンズン進んでいく平に、六花は後ろからついて行く。
六花「あの、何を買うんですか?」
平「魚。角砂糖って何の魚が好き?」
六花「えっと……」
考えている間に、店内の突き当たりにある、鮮魚コーナーにやって来た。たくさん並ぶ魚達。種類も豊富。
六花「魚料理なんて久しく食べていないので、何が好きとか忘れましたっ」
平「あぁ、うん。食べないと忘れるよな」
六花「え?」
パックに入って行儀良く並んで寝ている魚達を見つめる平。
平「オレだってごはんを作るようになるまでは、何か買ってきて済ましてたもん。だから、なんかわかる」
六花「平くんが?」
平「そうだよ、母親が亡くなってすぐにキッチンに立ったわけじゃないし」
六花(平くんのお母さん、亡くなっているんだ)
六花「あの……、ごめんなさい」
平「え?あ、いいよ。全然」
六花(そっか、平くんだってはじめからごはんを作っていたわけじゃないんだ)
(でも、今では美味しいごはんを作ってくれる)
(……きっとすごく努力したんだろうなぁ)
平が商品を手に取る。
平「……これ、梅干しと煮たら美味しいんだけど」
六花「鰯?梅干しと煮たり出来るんですか?食べたことがないですっ」
六花の目が輝く。
平「じゃあ、そうしよう。鰯の梅干し煮で決まりだな」
買い物カゴに四尾一パックの鰯を二つ入れる平。
平「家にほうれん草があるから、それはごま和えにしよう。あとは煮物でかぶるけど、でも、大根煮にしようかな……」
考えつつ、平が歩き出す。六花もわくわくしながらついて行く。
○黒崎家、キッチン
三口あるガスコンロの奥で、大根と油あげを出汁の素、料理酒、みりん、しょうゆでコトコト煮込んでいる平。次に、手前の左側のコンロで、平がいくつかの調味料と、梅干しと、薄く切った生姜を深めのフライパンに入れて、火を付ける。隣のコンロでは六花がほうれん草を塩茹でにしている。
六花「何分くらい茹でるんですか?」
平「んー、やわらかくしたいけど二分はいらない感じ。多分、一分くらい?」
六花「えっ、もうすぐ一分になります!!」
あたふたと慌てる六花。
平「落ち着けって。別に正確じゃなくても大丈夫だから。そしたらそれ、ザルにあげて」
六花「ザルに?あげる?」
クエスチョンマークの目になる六花。
素直「師匠、鍋の中のお湯とほうれん草をさ、ザルの中に入れるようにざーっと流せば早いよ」
キッチンに来て、やってみせる素直。
平「なお、ついでに水で色どめしといて」
素直「はーい」
ザルの中に残ったほうれん草に水を回しかける素直。
六花「すごいですね、素直くんっ」
素直「兄ちゃんに教えてもらったから。こうやって水を回しかけたらさ、ほうれん草の緑色がくすんだりしないんだって。師匠もすぐに出来るようになるよ」
六花「……頑張ります」
下処理を済ませた鰯を、フライパンの中に入れる平。
平「十五分ほど煮込むから、角砂糖、キッチンタイマーをセットしてくれる?」
六花「はいっ」
平「その間にほうれん草を切って、味付けするから」
ほうれん草をひと口大の長さに切って、みりん、しょうゆ、砂糖、すりごまで和える平。その手際良い一連の動作を、六花はじっと見ている。
素直「ね、もうすぐ十五分だよ」
キッチンタイマーを見て、素直がふたりに言う。
平「うん。じゃあ、角砂糖!フライパンの中の鰯にさ、この調味料の出汁をかけてくれる?」
六花「えっと、どのように?」
平「おたまで掬った出汁を、こういうふうに鰯にかけて。味が染みるようにさ」
六花(お風呂のお湯を肩にかけるみたいな感じ……かな?)
とにかくやってみる六花。
平「そうそう、上手」
六花(嬉しい……っ!私、ちゃんと一緒にごはん、作ってる!?)
○黒崎家のリビング
食後の片付けも終わって、素直が淹れてくれたほうじ茶を、三人で飲んでいる。
六花「それにしても初めて食べました、鰯の梅干し煮。美味しかったです!」
平「頑張って作ってくれたから、余計に美味しく感じたんじゃん?」
六花「いえ、私はお役に立てたかどうか……」
謙遜する六花に、平は微笑む。
平「役に立ってたけどな」
六花「……っ!!」
六花(何っ!?今、心臓がドキンッてした!)
素直「師匠、来週も楽しみだねー!どんなごはん、食べられるんだろう!?」
六花「はいっ、楽しみです!」
素直「ねーっ」
素直が満面の笑みを見せる。
六花(可愛いっ)
(……平くんも、小学生の時はこんな感じだったのかな?)
頭の中で平の小学生時代を想像しようとする六花。
六花(ダメだ、ランドセルを背負っている平くんなんて、想像出来ない)
平「なんか笑ってない?角砂糖」
素直に小声で尋ねる平。素直も不思議そうな表情で頷いている。
○黒崎家の玄関
靴を履いている六花と平。そんなふたりをそばで見ている素直。
平「じゃあ、駅まで送ってくる」
素直「うん。師匠、またね。気をつけてね」
六花「素直くんが淹れてくれたお茶、とても美味しかったです。また来週もごはん会、よろしくお願いしますね」
玄関のドアノブに手を伸ばす平。ドアノブに触れる前に一拍早く、玄関のドアが開かれる。スーツ姿の背の高い男性が家の中に入って来た。
平と素直「父さんっ」
六花(えっ、ふたりのお父さん!?)
黒崎家の父「ただいま。……ん?お客さん?」
六花「あ、あの、お邪魔しております」
平「……父さん、オレのクラスメートの佐藤さん」
黒崎家の父「どうも、ふたりの父です。もしかして、ごはん会の?」
素直「そうだよ、父さんの分も残してあるからね」
六花「あの、では、お邪魔しました」
黒崎家の父に頭を下げる六花。黒崎家の父はニッコリ微笑む。
黒崎家の父「また来てくださいね、気をつけてお帰りください」
○最寄り駅までの道
平と並んで歩く六花。
六花「優しそうなお父さんですね」
平「まぁ、そうかも。穏やかな人ではあるかな」
六花(笑った顔、平くんとそっくりだった)
(あ、平くんがそっくりってことなんだろうけれど)
少しの間、黙って歩く二人。平が沈黙を破る。
平「今日、ちゃんとエプロン持って来てたんだな」
六花「はい、お気に入りのエプロンです」
平「うん。可愛かった」
六花(えっ!?)
ドキッとする六花。
平「……エプロンが」
六花(あぁ、エプロンの話ね)
なぜかしゅんとガッカリしてしまう自分に気づく六花。
六花(べ、別に!エプロンが可愛いって言われて嬉しいけど!)
平「あはっ、ガッカリしてんなよ」
六花「えっ、ガッカリなんてしていませんっ」
平「ちゃんと角砂糖も可愛かったって」
六花(えっ……!?)
平「ま、それなりにな!」
六花の頭をポンポンする平。
六花「それなりとは何ですかっ」
真っ赤になる六花を見て、嬉しそうに笑う平。そんな平を見てやっぱりドキドキする六花。
六花(何なんだろう、この気持ち……)
(甘ったるいチョコレートに落ちて行くみたいな)
(居心地が良いけれど、息が出来ないみたいな苦しさもあって)
平「次のごはん会は何食べたい?」
月明かりに、平の左耳のピアスが輝く。その光に六花の目は釘付けになる。
平「何?」
六花「キレイですね」
平「ん?」
六花が平の左耳を指差す。
平「……角砂糖はこういうの、嫌じゃないの?」
六花「嫌じゃないです。キレイで、平くんによく似合っていますから」
平は少し嬉しそうな表情になる。それからそんな自分に気づいて、俯き、顔を引き締めて、歩き出す。
平「早く行くぞ。帰りが遅くなったら、危ないから」
平の後ろを追いかけて、六花も歩き出す。
六花「平くん、次回のごはん会はお肉が食べたいですっ」
平「角砂糖、本当に食いしん坊だな」
笑いつつ、二人で駅までの道を歩いて行く。
六花(ずっと駅に着かなかったらいいのに)
そう思った時。
和紗「六花ちゃん?」
背後から声をかけてきたのは、父親の恋人の和紗だった。