金曜日の角砂糖は溺れかけ
オレだけが知っていたい
○佐藤家のダイニング(夜)
和紗と向かい合わせでテーブルの席に着いている六花。和紗は耳にスマートフォンを当てている。
和紗「……チッ」
舌打ちをして、スマートフォンを耳から離す和紗。
和紗「あんたのお父さん、出ないよ。どこに行ってんだか」
俯いている六花。
六花「『あんた』じゃないです……」
テーブルから離れる和紗。
和紗「ねぇ、灰皿ある?タバコ吸っていい?」
六花「……そこに父の灰皿があります」
指差して教える六花はまた俯く。灰皿を持って、テーブルに直接座る和紗。タバコをくわえて、火をつける。
和紗「で?何、あの子。六花ちゃんの彼氏?」
にこりともしないで、面倒臭そうに尋ねる和紗。
六花「……あなたに関係ないです」
和紗「そうね、あたしには関係ないけど。あんたのお父さんは気にしてたよ」
六花「お父さんにも、関係ない」
和紗「……」
六花「お父さんがあなたの所に行っている間、私はひとりぼっちなんです」
和紗はタバコの煙を口からふぅっと出して、灰皿に灰を落とす。
和紗「だから?」
六花「え?」
思わず顔を上げる六花。
和紗「だから、何?あんた、もう高校生でしょ?留守番すら出来ない歳でもないでしょう?」
テーブルから降りて立ち、リビングを見回す和紗。
和紗「何が不満なの?屋根がある所で寝起き出来て、学校にだって通えているじゃない。生活出来るお金だって渡されているんだし」
六花「不満です」
和紗「だから、何が?」
リビングのチェストに飾ってある写真立てを手に取る和紗。その写真はまだ母親がこの家に居た頃、家族三人で撮ったもの。
和紗「六花ちゃんだって、男の子と会って楽しそうにしているじゃない。どうしてお父さんはダメなの?」
六花「……」
和紗「そんなにひとりが嫌ならさ、お母さんの所に行きなよ。あんたのお母さん、出て行ったとはいえ、居場所は知っているんでしょう?」
六花は席を立って、和紗から写真立てを強引に奪う。
六花「あなたに、そんなこと言われたくないっ」
しらけた目で六花をじっと見ている和紗。六花は和紗を睨む。
和紗「……まぁ、そうだよね。確かに、それはそうだろうね」
灰皿にタバコを押し付けて、火を消す和紗。
和紗「でも、覚えておいてほしいんだ」
六花の制服の襟元をグイッと持って、自分の元に引き寄せる和紗。
和紗「傷ついているのが自分だけだなんて思わないで。つらいのも、悲しいのも、あんただけじゃない」
六花を離して、荷物を持った和紗は、そのまま家から出て行く。ひとり残された六花は、キリキリとした腹痛を感じ、お腹をさする。
○月曜日、県立N高等学校、昇降口(朝)
下駄箱に外靴を入れる六花。他の生徒達も登校し、上靴に履き替えている。
女子生徒B「ねぇ、知ってる?」
女子生徒C「あ、もしかして、黒崎くんのこと?」
平の名前が出て、意識的に耳をそば立てる六花。
女子生徒B「噂になってるよねー、恋人の存在」
六花(え……、恋人?)
女子生徒C「なんか、他校の子って聞いたよ」
女子生徒B「まぁ、あれだけイケメンだったら恋人くらいいるかぁ」
女子生徒C「その顔、残念がってるじゃん」
女子生徒B「いやー、ま、残念だよね」
ケラケラ笑って、廊下を進んで行く二人の背中を見ている六花。
六花(平くん、恋人がいたんだ?)
その時、またお腹に痛みを感じる六花。胸の下あたりをおさえる。
男子生徒C「……あの」
六花「あ、はい」
男子生徒C「もう上靴履いたなら、どいてほしいんだけど」
六花「ごめんなさい」
お腹をおさえたまま、のろのろと下駄箱から離れる六花。
○一年三組の教室(一時間目が終わって休み時間)
かっしーとお手洗いから帰って来て、自分の席に座る六花。
かっしー「黒崎くんってさ」
六花「えっ!?」
かっしー「授業サボってる時、どこにいるんだろうね」
六花(また恋人の話かと思って身構えちゃった)
六花「……わかりませんね。それに何してるんでしょうか?」
かっしー「授業をサボったことがないから想像出来ないね」
六花「はい」
六花(授業に出ていない間、恋人と連絡を取っていたりするのかな?)
(……平くんの恋人ってどんな人なんだろう?)
(きっと、キレイな人なんだろうな)
お腹の痛みをまた感じる六花。思わずお腹をおさえる。
かっしー「六花ちゃん?」
六花「……っ」
かっしー「ね、大丈夫!?六花ちゃんっ」
かっしーの声に気づいた平が、そばに寄ってくる。
平「どうした?」
かっしー「わかんない、でも苦しそうで」
六花「だ、大丈夫ですから」
六花の額には汗。
かっしー「大丈夫じゃないじゃんっ。ねぇ、お腹痛いの?」
不安でいっぱいの表情のかっしー。
平「保健室に連れて行くから、悪いけど樫田さん、先生に事情を話しておいてくれる?」
かっしー「わかった」
平「六花、立てる?」
六花(え……、名前)
六花を支えるようにして立たせ、教室を出て行く平。教室内はザワザワとしていて、みんな六花達に注目している。
○保健室(ニ時間目の授業中)
ベッドに入っている六花。眠っていたらしく、すでに授業が半分は過ぎている時間に目を覚ます。
保健の先生「あ、起きた?佐藤さん、大丈夫?」
六花「はい、すみませんでした」
俯く六花。
保健の先生「謝るようなことじゃないよ。胃の場所をおさえていたけれど、お腹痛いのはどうなった?」
六花「まだ少し痛みますが、平気です」
保健の先生「そう。今日は早退しなさい。それで早いうちに内科に受診しなさい」
六花「病院ですか」
保健の先生「そうね、念のためにね」
もそもそとベッドから起き上がる六花。
六花「あの、連れて来てくれた黒崎くんは?」
保健の先生「あぁ、授業が始まるからって教室に戻したよ、心配そうだったけど」
六花「そうですか……」
○一年三組の教室(ニ時間目が終わって休み時間)
教室内に入る六花。かっしーが見つけて、近寄ってきてくれる。
かつしー「六花ちゃん、大丈夫!?」
六花「ご心配をおかけしました。大丈夫なんですが、念のため内科に受診することとなり、今日は早退します」
かっしー「そっか、わかった」
鞄を持って、教室から出る六花。かっしーも後からついて来てくれる。
六花「……平くんは?」
かっしー「黒崎くんなら、ニ時間目の授業が終わってすぐに、どこかへ行ったよ」
六花「そうですか」
○佐藤家、六花の部屋(昼前)
近所の内科から帰宅し、処方された薬などを鞄から出す六花。
六花(ストレス性の胃痛って言われたけれど、一応、このことお父さんに知らせたほうがいいのかな?)
(でもケンカしてるのに、連絡しづらいなぁ)
六花が鞄からスマートフォンを取り出すと、メッセージがきている。
平からのメッセージ《腹痛、早く良くなるといいな。今日はゆっくりしろよ》
六花(平くん……)
短いけれど優しさあふれるそのメッセージに、嬉しくなる六花。
六花のメッセージ《平くん、ありがとうございます。回復するように、今日はゆっくりします》
○金曜日、黒崎家(放課後)
キッチンに立つ平と、素直。ダイニングルームのキッチンカウンター越しに六花は二人を見ている。
六花「あの、私も手伝いたい……」
素直「だめっ!師匠は良くなったとはいえ、胃痛で苦しかったんだから、無理しないのっ!今日は食べるだけ!」
六花「もう平気ですからっ」
素直「だめっ!大人しくしててっ」
しゅんとする六花。六花と素直のやり取りを聞いて、平が笑う。
平「角砂糖、ゆっくりしてなよ。今日はオレとなおに任せな」
六花「申し訳ないです」
鶏ミンチをボウルに入れる平。てきぱきと調味料を入れる。
平「鍋を出しておいて、なお」
素直「これでいい?」
平「うん」
味のついた鶏ミンチをボール状に丸める平。素直も手伝う。全部丸めたら、丁寧に手を洗う平。鍋の中にスープを作る。
六花「……いい匂い」
煮立ったスープの中に、ボール状の鶏ミンチを入れていく平。キッチンタイマーが音を立てる。
素直「兄ちゃん、かぼちゃを煮てから二十分が経った!」
平「落とし蓋開けてみて。もうやわらかそう?」
素直「うん、美味しそうな色してる」
平「じゃあ、器によそっておいて」
平は鍋の中にひと口大に切った白菜、細切りにした人参、生しいたけを入れる。
平「角砂糖、もうすぐごはんになるから」
六花「はい、楽しみですっ」
○黒崎家のダイニング
テーブルの上には湯気がたちのぼる鶏団子と野菜のスープと、かぼちゃの煮物、きゅうりの酢の物が並んだ。
六花と素直「いただきまーすっ」
平「いただきます」
六花はまず、鶏団子のスープを飲んでみる。鶏ガラの味で、でもまったりと優しいスープ。
六花「美味しいです」
素直「これねー、この白菜!!オレも切るの手伝ったんだよ!!」
平「今日、頑張って手伝ってくれたもんな」
素直「うん!!師匠に元気になってほしいもん」
ニコニコ笑う素直に、胸の真ん中があたたまる六花。
素直「師匠、食べられるだけでいいから、無理せずに食べてね」
六花「食べますっ、全部食べますっ」
平「いや、食べられるんだったら別にいいけど、無理すんなよ」
六花「優しい味付けのお料理なので、全部食べやすいですっ!美味しいですしっ!!」
平と素直が嬉しそうな表情をする。
素直「良かったぁ!今日はね、師匠が食べやすいごはんにしようって兄ちゃんが言って、このメニューになったんだ」
六花「えっ」
平「角砂糖、胃痛で苦しそうだったし」
六花(私のことを考えてくれたメニューなんだ……)
素直「あ、師匠が泣くっ」
平「泣き虫かよ、角砂糖」
六花「泣いてませんっ、まだ!」
六花(でも、泣きそうだけど)
○最寄り駅までの道
平と並んで歩く六花。
六花「食器の片付け、素直くんに任せてしまいました」
平「いいよ、今日は早く帰ってゆっくりしなよ。なおだってそのほうが角砂糖のために良いって、ちゃんとわかってるし」
六花(本当に優しい兄弟だなぁ)
六花「美味しかったなぁ……。お肉を食べられて、満足ですっ」
平「先週に言ってたもんな、肉が食べたいってさ」
六花「覚えていてくれたんですか」
平「……たまたまだけどなっ」
六花(リクエストしたお肉で胃に優しいごはん、作ってくれたんだ)
ニコニコする六花。
平「……先週に、角砂糖の知り合いに会っただろ?ここらへんでさ、声かけてきた女の人」
六花「はい」
平「大丈夫だったのか?」
六花「えっ?」
平は言いにくそうに、俯く。
平「あの女の人と帰って行った角砂糖の後ろ姿がなんか、緊張しているみたいに見えて」
六花「……緊張していました。実は私はよく知らないんです、あの人のこと。……お父さんの、恋人なんです。私は前に、数回会っただけなので」
平が「そっか」と言って、六花を見る。
平「何かひどいこと言われた?」
六花「……」
六花は小さく首を振る。
六花「ひどい、と思いましたが、でも和紗さんの言っていることだって、正しいのかもしれないです」
平「……」
六花「私は、私だけがつらいと思っていました。でもお父さんだってつらいんですよね。どうすればいいのか、道を見失っているのは、お父さんのほうかもしれません」
平「……」
平が黙って、六花の頭にそっと触れて撫でてくれる。その心地良さにしばらくじっとしている六花。
六花(細くて、大きな手だな)
(話を聞いてもらえることが、こんなにも嬉しい気持ちになるって)
(私、初めて知ったよ。平くん)
ハッとする六花。平の手に自分の手を重ね、そっとどかす。
六花「平くんっ、思い出しましたっ!」
平「?」
六花「恋人がいる人に、私、寄りかかりすぎていますっ」
平「は?」
六花(そうだよ、平くんには他校の……しかも多分、想像では美人の恋人の存在がっ)
六花「私は強く生きて参りますので、どうかお幸せにっ」
目を丸くする平。
平「……何の話?」
今度は六花がきょとんとする。
六花「え?」
平「え?」
六花「だって、他校に恋人が?」
平「オレ?オレの話?」
六花(あれ?あれれれ?)
六花「月曜日に噂話を聞いてしまって」
平「そんな噂流れてんの?マジか」
ため息を吐く平。
六花「え、じゃあ、恋人は……?」
平「いるわけないじゃん。オレ、学校と家を往復して、スーパーにしか出かけてないんだからな。そんな奴に恋人がいるわけないじゃん」
六花「でも、でも……」
平「角砂糖、その噂の恋人ってさ、あんたなんじゃないの?」
一瞬黙る六花。
六花「えっ!?」
驚いてちょっと大きな声が出る六花。
平「だってそうじゃん、オレは角砂糖としか会ってないし」
六花「でも他校って……」
平「影薄いんじゃん?角砂糖、学校の奴らに認識されてないんじゃん?」
六花「な!?失礼な!?」
あはははっと笑う平。楽しそう。
平「そっかぁー、角砂糖はオレに寄りかかってたんだなー」
六花「いや、あのっ!違いますっ、って、違わない……ですが!」
顔が赤くなる六花。
平「別にいいのに。もっと寄りかかってもさ」
六花「!?」
夜道を歩き出す平。六花も後からついて行く。
平「角砂糖は人に対して甘えるの、苦手なの?」
六花「それは……よく、わからないです」
平「甘えればいいんじゃん?甘えて、寄りかかってさ、でもいつか自分が元気になって大丈夫って思えたらさ、今度は支える側になればいいんだよ」
六花「……」
平「なんて、わかったようなこと言ってるけど、コレは受け売り」
平が夜空を見上げる。
平「チームのことで悩んでた時に、母さんがそう言ってくれて、気持ちが軽くなったんだ」
六花「平くんのお母さんは、すごいですね」
平「……すごいかな?わかんない」
六花「チームって、平くんはスポーツか何かをしていたんですか?」
平「……」
車がやって来る。車のライトで、平のピアスが輝く。
平「……うん、野球してた」
六花「……?」
○最寄り駅
改札の前。平が立ち止まる。
六花「ありがとうございました」
平「別に。ひとりで帰すとオレが心配になるから、送ってるだけ」
六花(心配、してくれるんだなぁ)
六花「では、また学校で」
平「うん。気をつけて帰れよ」
六花(あぁ、この瞬間)
六花の眉毛が下がる。
六花(この瞬間、きらい)
(寂しいんだもん)
平「何、その顔。泣きそうなの?」
意地悪そうに笑う平。
六花「ち、違いますっ」
平「あはははっ」
六花(あ……そういえば)
六花「名前」
平「ん?」
六花「保健室に連れて行ってくれた時、名前で呼んでくれました」
平「あ、うん」
平がふいに俯く。その耳が少し赤くなる。
平「だって、あんたのことをみんなが『角砂糖』だって知るのはイヤだったから」
六花「え?」
平「オレだけが知っていたいから」
平の顔は見えないけれど、耳も首も真っ赤になっている。
六花「……平くん?」
平「はいっ、以上!もう遅くなるから、帰れ!角砂糖!」
強引に背中を押されて改札を通る六花。
六花(へんなの……っ)
(平くんのこと、可愛いって思っちゃった)
○土曜日、佐藤家(午前中)
家の中を掃除している六花。リビングに掃除機をかけている。
六花(平くん家はいつもキレイだけど)
(誰が掃除してるんだろう?)
六花「私も家のこと、少しは頑張りたいな」
その時、玄関ドアの鍵を開ける音が聞こえる。父親が帰って来たのか、と思って少し身構える六花。
女の子「ここー?ここなのー?」
バタバタと玄関のほうで走り回る足音が聞こえる。
六花(お父さんじゃない)
心臓がバクバクしてくる。玄関のほうへ歩き出す六花。そこにはずっと見ていなかった、懐かしい背中があった。
六花「……お母さん」
声をかけると、六花の母親は振り返る。腕の中には落ち着きなく、バタバタと体を動かす小さな女の子の姿。
六花の母「ほぉら〜、彩ちゃん、じっとしようね〜」
彩と呼ばれた小さな女の子は、じっと六花を見ている。
六花「……っ」
六花の母「ちょっと寄ってみただけだから。すぐ帰るよ。ねぇ〜、彩ちゃんっ」
六花「お父さんに、何か言われたの?」
六花の母「うん。何よ、あんた、結構元気そうじゃない。ねぇ〜、元気そうだよね〜」
母親に軽くくすぐられて、彩は楽しそうに笑っている。
六花「……お母さん」
彩「おねいさん、こんにちはっ!」
六花「……」
黙ってしまう六花に、母親の眉根が寄る。
六花の母「ほんっと、愛想も何もないのね。……このお姉さん、困った人だよね〜?ご挨拶も出来ないなんてね〜」
あくまで彩に話しかける母親。玄関から部屋の中へ上がり、ズンズンとリビングへ進む。また胃にキリキリとした痛みを感じつつ、六花もリビングへ戻った。