金曜日の角砂糖は溺れかけ
嬉しくて、寂しい

○佐藤家のダイニング(午前)

母親が彩をひざに抱っこしながら、ダイニングテーブルの席に着く。彩は抱っこされつつも体をバタバタさせて、落ち着きがない。そんなふたりをテーブルのそばに立って見る六花。

六花の母「立ってないで座れば?」
六花「……今日、なんで来たんですか?」
六花の母「電話があったから。ねぇ〜、彩ちゃん」
彩「れんわー!」

突然母親が眉をひそめる。

六花の母「ちょっと、私はいいけどさ。この子にジュースのひとつ、出せないの?」
六花「……あ、ごめんなさい」
六花の母「気がつかないよね〜」
彩「ね〜っ」

キッチンに行き、冷蔵庫を開ける六花。ちょうどジュースを切らしていて、代わりにガラスコップに牛乳を注ぐ。それを持ってダイニングに戻ると、彩の表情が歪む。

彩「にゅうにゅう、きらーいっ」
六花「え?あ……っ」
六花の母「もういいよ、どうせすぐ帰るんだから」
六花「……」
六花の母「でも、もう少し気がつくようにならないとダメなんじゃない?」
六花「ごめんなさい」

キッチンの流し台にガラスコップを置く六花。

六花の母「……なんか、ケンカしたんだって?あの人と」
六花「ケンカしたよ、お父さんと……。お父さん、何て?」
六花の母「あの人は、あんたと話せって言っただけ。ケンカしたらしいって教えてきたのはあの人の恋人。和紗って名前の」
六花「和紗さんが?」
六花の母「どういう神経してるんだろうね?普通、電話に出る?元妻との電話によ?ただの恋人が」

六花(……)

母親はわざとらしくため息を吐いてみせる。

六花の母「なんでそんな人にさ、あんたと暮らせって言われなくちゃならないの?私の事情なんて、あの人達にはどうでもいいってこと?そんなの、おかしい」
六花「……お母さん」
六花の母「……」
六花「私、お母さんから連絡がくるの、ずっと待ってたのに、なん……」

六花の言葉が言い終わらないうちに、わざとかぶるように大きな声で「あっ、そうだ!」と言う母親。

六花の母「彩ちゃん、帰りにジュースを買ってあげるからねーっ」
彩「じゅう〜すっ!!」

優しい笑顔で彩の顔を見下ろす母親。彩の頬を指先でなぞっている。

六花「お母さんっ」
六花の母「やめて!」

六花を見る母親。彩を見る時とは打って変わって、厳しい目をしている。

六花の母「私はもう、この家とは関係ないの」
六花「えっ?」
六花の母「パパと再婚して、彩ちゃんのママになったんだから。……もうわかるでしょ?高校生なんだから」
六花「わからないですっ。わからないから、お母さんっ」

母親は鞄からポーチを取り出す。その中から古い鈴の付いた鍵を取り出す。

六花の母「私にこの家の鍵はもう、必要ないから」

母親が鍵をテーブルに置く。チリンッと鈴が鳴る。

六花「そんな……っ」
六花の母「私は、あんたとは暮らさない。夫と娘が大事なの。今の生活が、何より大事なの」
六花「……私は?」

母親は六花から視線を逸らす。そのまま、彩をじっと見つめている。

六花「私は、お母さんの娘じゃないんですか?」
六花の母「……」
六花「お母さんっ」

母親の目から涙がこぼれる。

六花の母「お願い……、わかってよ」
六花「……っ」
六花の母「もう、過去なの」
六花「違うっ」
六花の母「捨てたの。この家に、何もかも。あの人も、あんたも、思い出も、全部ぜんぶ。捨てたんだから」

母親が涙を拭う。彩が母親の顔と六花の顔を交互に見ている。

彩「ママー?じゅうーす飲むーっ」

彩がまた落ち着きなく、体をバタバタさせる。そんな彩をぎゅっと抱きしめる母親。

六花の母「……彩ちゃん、帰ろうね?お家に帰ろう」
六花「……」
六花の母「ほら、このお姉さんにバイバイして」
彩「ばーいばーい」

彩が六花に手を振る。

六花の母「……そういうことだから、もう、連絡してこないで。今日は鍵も返せるからと思って、それだけでここに来ただけだから」

席から立ち上がり、玄関に向かう母親。彩を抱っこしている。玄関で靴を履く母親の背中を見ている六花。

六花「お母さん」
六花の母「……」
六花「どうして、お父さんと結婚したの?」
六花の母「……」
六花「どうして、私の名前、呼んでくれないの?」

母親は彩の耳をふさぐように両手でおさえる。

彩「ママー?」
六花の母「若かったから。……若かったから、あの人が運命の人だと思ったの」
六花「……」
六花の母「あんたの名前、なんで呼ばないかって?……こんなこと言いたくないけど、呼びたくないからよ」
六花「え?」

六花の瞳が大きく揺れる。背筋に冷たいものが流れる気がする六花。

六花の母「もう、私は彩のママだから。娘の名前は、彩ひとつで充分なの」

「行こう、彩ちゃん」と、彩の手を引き、玄関から出て行ってしまう母親。

六花「……っ」

玄関ドアが閉まる。六花はひとり、玄関ドアを見つめている。

六花(あぁ、そうなんだ……)
(もう、ないんだ)

玄関の三和土(たたき)におりて、玄関ドアの鍵を静かに閉める六花。

六花(……なくなっちゃったんだ)
(お母さんの中にあったはずの、私の居場所)



○佐藤家、六花の部屋(午後一時)

ぼんやりとベッドに寝転んだままの六花。枕元に置いていたスマートフォンに、メッセージの着信音。寝転んだ姿勢のまま、スマートフォンを見る六花。

平からのメッセージ《今、何してる?》

六花「短い……」

メッセージの短さに思わず口角を上げる六花。

六花(あ……、笑った。私、笑ったよね?)

ベッドの上で起き上がる六花。お腹の虫が鳴く。

六花(そういえば、お昼ごはん食べてないや)

スマートフォンに向かってメッセージを打つ六花。

六花のメッセージ《ちょうど空腹で、お腹の虫を鳴かせています》
平からのメッセージ《マジか》

すぐにきた返事を読んで、また笑顔になる六花。

六花「だから、短いんだって。平くん」

思わずツッコミを入れる六花。

六花(へんなの)
(つらくて、悲しくて。この世の終わりみたいだったのに)
(私、今、笑ってる)

立ち上がり、スマートフォンや家の鍵などを持って、家から出る六花。



○黒崎家(お昼過ぎ)

玄関チャイムを鳴らす六花。

素直『はいっ、あれ?師匠!?』

インターホンの画像を見た素直が、六花が名乗る前に驚いた声を出した。

素直『待ってて、今、開けるからね』

てっきり素直が迎えてくれるのかと思っていたけれど、やって来たのは平だった。

六花「……平くん」
平「どうした?何かあった?」

平が門扉の所まで近づいて来てくれる。

六花「突然、すみません」
平「いや、大丈夫だから。角砂糖、お腹空いてるって言ってたけど、あれから何か食べた?」

首を振る六花。玄関の前。ドアを開けた平が、六花の背中を優しく押すように触れる。

平「とりあえず、入りな」

その手の温かさに、優しさに、涙がこみあげてくる六花。

六花「あ……、すみません」

涙声で俯く六花。平に連れられて、素直もいるリビングまでやって来る。

素直「師匠っ!?大丈夫!?」
平「なお、ちょっと角砂糖のそばにいてあげて」
素直「うん、もちろん!でも、兄ちゃんは!?」
平「オレは角砂糖に何か作るから。頼んだぞ、なお」

素直は大きく頷く。

六花「ご……、め、迷惑を、かけてしまって……」

六花が俯いたまま謝る。

素直「何言ってんの、師匠っ!誰も迷惑だなんて思ってないよ」
六花「……っ」
素直「ほら、ソファーに座って。ティッシュいる?」
六花「欲しいです……」

ティッシュケースを、ソファーに座った六花のひざに置く素直。そのまま隣に座って、六花の頭を撫でる。

六花「素直……くんは、や、やさ……しい、です」
素直「無理してしゃべんなくてもいいよ、師匠。涙が出なくなるまで、いっぱい泣いたらいいよ」
六花「う、うぅーっ」
素直「泣き止んだらさ、兄ちゃんのごはん食べて元気出しなよ」

それから黙って、しばらく六花の頭を撫でる素直。そして、平がリビングにやって来る。

平「食べられる?角砂糖」
六花「……はい、お腹、空いてます……」
平「うん。食べな」

ローテーブルにサンドウィッチをのせたお皿を置く平。マグカップには優しい湯気がたちのぼるホットミルク。

六花「美味しそう……」

サンドウィッチのお皿にはフォークが置いている。食パンを四つ切りにしたサイズのサンドウィッチは、ハムとチーズがはさんであるもの、トマトとレタスがはさんであるもの、イチゴジャムが塗ってあるものと、そしてブルーベリージャムが塗ってあるもので、それぞれのパンにはバターが塗ってある。

六花「いた……だき、ます」

六花はマグカップを持ち、ホットミルクを飲む。ハチミツが入っていて、まろやかな甘さを感じる。

六花「美味しい……」

素直がソファーから立ち上がる。

素直「オレ、ちょっと部屋に行ってるね」
六花「え?」
素直「兄ちゃん、師匠のこと頼んだよっ」
平「……わかった」

リビングから素直が出て行く。階段をあがった素直の足音が聞こえなくなったところで、六花が口を開く。

六花「……優しいです」
平「なお?うん、良い奴だよ」

六花(素直くんも、……平くんも、優しい)

サンドウィッチにフォークをさして、口に運ぶ六花。イチゴジャムとバターの甘いハーモニーが、口いっぱいに奏でられる気がした。

六花「お、いしい……っ」
平「ゆっくり食べな」

まだ涙目のまま、黙々と食べる六花。やがて、空になったお皿。

六花「ごちそうさまでした」
平「うん、家にあったものでごめんな」
六花「そんな、全然っ。こちらこそ、すみません。気が……、動転してたんです」
平「うん」
六花「平くんからのメッセージを読んだら、会いたくてたまらなくなって」
平「……そっか」

六花は空になったお皿を見つめる。

六花「お母さんが家に来たんです」
平「……」
六花「二年前にお母さんが家を出て行って以来、会ってなかったんですけど……、今日、小さな女の子を連れて、家に来ました」

六花は小さく深呼吸する。

六花「もう、私の名前を呼びたくないって。『娘の名前』は、あの女の子の名前だけでいいそうです。……捨てたって言いました、お母さん。お父さんのことも、私のことも」
平「……」
六花「一緒に暮らしたいって言いたかったけれど、無理でした。もう、お母さんは私のことなんて、見てないんです。それでも……」

六花の目にまた涙が溜まる。

六花「それでも、私は、お母さんに会えて嬉しかったんです……」
平「角砂糖……」
六花「嬉しくて、寂しかった……」

平が六花の隣に座り、そっと六花の体を引き寄せた。

六花「……っ」

六花を抱きしめた平は、六花の頭をそっと優しく自分の胸に寄せる。

平「角砂糖」
六花「……」
平「角砂糖が持ってるつらくて寂しい気持ちを、少しでもオレが代わりに持ってあげられたらなって思うよ」
六花「……っ」
平「人に甘えるの苦手ならさ、オレに甘えて練習しなよ」
六花「め、迷惑かけてばっかり……」
平「いいよ」

平の、六花を抱きしめる腕の力が、ほんの少し強まる。

平「いいよ、オレには甘えてよ」



○黒崎家、玄関(夕方)

玄関で靴を履く六花。平と素直がその背中を見ている。

平「送ってくよ、もうすぐ暗くなるし」
六花「いえ、大丈夫です。本当にありがとうございました」

頭を下げる六花を見て、素直が口を開く。

素直「ねぇ、師匠。今日はさー、ここに泊まればいいんじゃない?」
六花と平「え?」
素直「だって……、このまま帰ったらさー、師匠はまたお家にひとりなんでしょ?今日くらい一緒にいようよー。オレさー、師匠ともっと一緒にいたいよ?」

戸惑って何も言えないままの六花。その時、玄関ドアが開く。

黒崎家の父「ただいまー」
平「あ、おかえり。休日出勤、お疲れ様」
六花「お邪魔しています」
黒崎家の父「あ、えっと、佐藤さん。こんにちは、いらっしゃい」

にっこり笑う黒崎家の父。素直がその腕を掴む。

素直「父さん、今日さー、師匠を泊めてもいい?お泊まり会!」
黒崎家の父「……え?」
素直「オレ、もっと師匠といたいから!いいでしょう?」

黒崎家の父は、六花に視線を移す。

黒崎家の父「……すみません、困らせてしまいましたか」
六花「えっ、いえ!そんな……。素直くん、優しいから」
素直「えー、ダメ?」
黒崎家の父「……うん、そうだな。なおの言うようには、ちょっと出来ないかな」
素直「えぇーっ」

素直の表情が少しだけむくれる。

平「オレ、駅まで送ってく」
黒崎家の父「あ、父さんが車で家まで送ってくる」
平「えっ、なんで?」
黒崎家の父「うーん、佐藤さんと話したいから?」
六花「あの、ひとりで帰れます」
黒崎家の父「そんな泣き腫らした目をさせて、ひとりで帰せませんよ。……なお、ついておいで。そのほうが佐藤さんも安心だろうから」



○黒崎家の父が運転する車の中

助手席に素直が座り、後部座席に六花が乗っている。運転をしている黒崎家の父の表情は、六花からはあまり見えない。

黒崎家の父「……佐藤さん、息子達と仲良くしてくださって、ありがとうございます」
六花「あ、いえ、あの……逆なんです」
黒崎家の父「え?」
六花「ふたりに、私が仲良くしていただいています」

黒崎家の父は、穏やかな笑い声を出す。

黒崎家の父「平が弟以外に、あんなに穏やかな表情をしているのを、私は久しぶりに見ました」
六花「えっ……」
黒崎家の父「聞いていますか?あの子の、過去のこと」
六花「いえ、詳しくは……。でも、関係ありません」
黒崎家の父「ん?」
六花「私が知っている平くんは、優しくて、弟さん思いの、美味しいごはんを作れる人です。過去がどうであれ、友情は変わらないです」
黒崎家の父「……」
素直「父さん、嬉しそうっ!」
黒崎家の父「まぁな、嬉しいなぁ」
素直「うんっ、オレ、師匠のこと好きーっ」

素直の言葉に、また穏やかな笑い声を漏らす黒崎家の父。

黒崎家の父「……お泊まり会のこと、すみません。私も、息子達やあなたのことを信じていないわけではないんですが、わかってください」
六花「いえ、大丈夫ですっ!素直くんのお気持ちは大変嬉しかったのですが、さすがに私も甘えすぎていると思いますので」
素直「甘えていいのにぃっ!師匠、家に帰ったらひとりぼっちじゃん」
黒崎家の父「失礼ですが、ご家族の方は?」

六花は俯きつつ、答える。

六花「両親は離婚しています。母は二年前に出て行って、今は違う家庭があります。私は父と暮らしているんですが……、その……」

六花(お父さんが恋人の所に行ったきり帰って来ないなんて、言いにくい……)

黒崎家の父「……何か事情がおありなんですね」

六花(あ……、言わなくてもいいように気遣ってくれた)

素直「またいつかさ、お泊まり会出来たらいいねっ、師匠」
六花「うーん、難しいかも、です」
素直「えー、そうなの!?もしかして師匠、自分の枕じゃないと眠れないタイプ?」

素直の可愛らしい返事に、思わず六花と、黒崎家の父は笑ってしまう。

六花「実は……、そうなんです。すみません、素直くん」

六花(嘘、だけど)

素直「そういうことかぁ、じゃあ、しょうがないかぁ。ちなみにオレはどこでも眠れるタイプー!」
六花「うらやましいです」
素直「たまに兄ちゃんの部屋に泊まりに行って、ウザがられてるー」
黒崎家の父「それは、なおの寝相が悪いからだな」

笑い声に包まれる車の中。六花の家に向かって、車は進む。



○月曜日の県立N高等学校(朝のホームルームの前)

一年三組の教室に向かって、廊下を歩いている六花。前方に平の姿を見つける。少しかけ足で近寄る六花。

六花「おはようございます」

平が振り向く。六花を見て、穏やかな笑みをこぼす。

平「おはよ」
六花「あの……っ、私っ」
男子「あーーーっ!!!平っ、発見!!」

言いかけた言葉がかき消された六花は、声の主を探すように振り返る。金色に輝く髪の毛に、たくさんのピアスをつけた男子が、こちらを指差しつつ近づいて来る。

男子「何っ!?その子、誰っ!?平のオンナ!?」

平がため息を吐く。

平「あのさー、朝から大きな声出すなよ、うるせぇな」
六花「お知り合いですか?」
男子「お知り合いも何も、オレは平のダチっ!そういう、三つ編み眼鏡さんは?」
六花「……変な呼び方はよしてください。私には佐藤六花という、ちゃんとした名前がありますっ」
男子「さとう、りつかぁー??聞いたことねぇぞ、平!」

男子が嬉しそうに平の肩を抱く。何故かイラっとする六花。

六花(あれ?なんで?)

男子「りつかなら、りっちゃんだな」
六花「はい?」
男子「りっちゃん、オレは坂巻 宏太(さかまき こうた)!『こうちゃん』でいいよ!」
平「は?ふざけんな。何がこうちゃんだよ」
坂巻「まぁ、まぁ、妬くなよ。呼ばれてみたいだけじゃん、女子からさぁー。それくらい許してくれって話だぜ、きょうだいよ」
平「……絶対呼ばさないし、きょうだいでもないし」

坂巻は両手を広げて、オーバーに上げ下げしながらため息を吐く。

平「坂巻が学校に来るの、久しぶりじゃない?」
坂巻「まぁー、そうだな!入学してすぐに、停学になってさー」
六花「停学!?」
坂巻「それでほんの少し登校したけどさー、めんどくて。ずっとサボってたからなぁ」
六花と平「……」

坂巻は舌を出して、「てへっ」と照れる。

坂巻「それにしてもさー、りっちゃんさー……」
六花「その『りっちゃん』、やめませんか」
坂崎「……ちょっとさー、(つら)貸してくんない?」
六花「はい?」

今度は六花の肩をガッシリと抱いて、強引に走って連れ去る坂巻。

平「は?お前っ、坂巻!!ちょっと!!」

平の声も遠くなってしまう。

六花(えっ!?えっ!?)
(何が起きてるのーーーっ)


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