金曜日の角砂糖は溺れかけ
守るべきもの
○黒崎家からの最寄り駅への道（夜）
明るいピンク色のロングヘアを、キラキラ輝くゴールドのネイルが目立つ手でいじりながら、六花を睨み続ける女子。
六花「あの、あなたは？」
女子「いや、あたしが聞いてんだけど。あんた、誰？黒崎の何？」
六花「名乗りたくないです」
女子「は？」
不機嫌そうに一歩、六花に近づく女子。ひるまない六花。
六花「私の名前を知りたいなら、ご自分からまず名乗ってください」
女子「めんどくせぇな。マジかよ、こいつ」
六花「あなたはどこの誰ですか？」
女子「あたしは羽奈。名字は嫌いだから教えない。あんたは？」
六花「佐藤です。佐藤 六花。黒崎 平くんのクラスメートです」
羽奈はシラけた顔をする。
羽奈「は？マジなめんな」
六花「え？」
羽奈「ただのクラスメートが、家まで行くわけないじゃん。何度もふたりで歩くわけないじゃん！嘘つくな！！」
六花「嘘はついていません」
羽奈「マジ意味わかんない。なんで？なんでこんな奴がっ！」
羽奈は眉間にシワを寄せる。
羽奈「あんた、……佐藤だっけ？今すぐ黒崎の前から消えてっ」
六花「消える？」
羽奈「付き合うのやめろっつってんの！」
六花「だから、付き合ってないんですよ！」
羽奈「は？まだとぼけんの？マジか、こいつ！」
六花「羽奈さん、私が平くんと付き合っていたとしても、いなかったとしても、あなたには関係ないです」
羽奈「！？」
六花はまっすぐ羽奈を見つめる。
六花「もう帰ってもいいですか？」
羽奈「……！あんた、マジで覚えてろよ」
六花「はい？」
羽奈「マジでいい気になんなよ。『平くん』？調子のってんじゃねーよ！そのうち、マジ痛い目に遭わせるかんな！マジで覚えてろよ」
六花（『マジ』が多い……）
羽奈が踵を返して、どこかへ去って行く。その後ろ姿をぼんやり見ている六花。
六花（平くんのこと、好きなのかな？羽奈さん……）
もやっとしたものが心の中に生まれる六花。
六花（羽奈さんは……、平くんの何なんだろう？）
○火曜日、県立N高等学校（朝）
教室に向かう廊下を歩いていると、坂巻と話す平を見つける。平が六花に気づく。
平「おはよう」
六花「おはようございます！登校出来たんですね、体調はどうですか？」
平「うん、ありがとう。昨日は休んだけど、もう平気」
六花「良かった」
坂巻がコホンっと咳払いする。
坂巻「オレさー、お邪魔？」
六花「あ、おはようございます、坂巻くん」
坂巻「いや、ずっといたんだけどね？ここに」
平「さっきから何言ってんの、坂巻」
坂巻「別にいいけど！おはよう、りっちゃん！」
平「……その『りっちゃん』やめろ」
坂巻「妬くなよ」
坂巻が平の肩を抱く。
平「妬いてないし、近いっ」
坂巻から離れる平。
六花「あのぉ……、お聞きしたいことがあるのですが」
平「何？どした？」
坂巻「？」
六花「『羽奈』さんって、ご存知ですか？」
羽奈の名前を聞いて、固まる平と坂巻。
平「え？なんで、か……、いや、六花が、知ってんの？」
坂巻「もしかして、会った？」
六花「はい。この前、金曜日の夜に」
平「何かされた！？」
平が珍しく焦る様子を見せる。
六花「いえ、名前を聞かれました。それだけです」
坂巻「りっちゃん、名前、教えてないよな？」
六花「？教えました。羽奈さんが名乗ったので」
平と坂巻が顔を見合わせて、同じタイミングでため息を吐く。
六花「あれ？ダメでした？」
坂巻「ダメじゃーん……」
平「六花、あいつ、何の用だった？」
六花「え？えっと……、その、平くんと……、付き合ってるのか？って」
坂巻「で？付き合ってるって言ったの？」
六花と平が同時に顔を赤らめる。
六花「あの、付き合ってないので」
平「……」
ふたりが動揺する様子を見て、坂巻はきょとんとする。
坂巻「え、あっ、ごめん」
思わず謝る坂巻。それから平の肩をガシッと掴み、六花に背中を向ける形で、平に耳打ちする坂巻。
坂巻「マジかっ、お前！何やってんだよ！」
平「うるせぇな、お前には関係ないだろっ」
ふたりがこそこそ話している後ろで、今度は六花が咳払いする。平と坂巻が六花のほうを向く。
六花「あの、羽奈さんですか？坂巻くんが言っていた人は」
坂巻「うん、ごめん。こんなにすぐ、羽奈がりっちゃんに接触するとは思ってなかった」
平「は？どういうことだよ」
坂巻「りっちゃんのこと色々とかぎ回ってるんだよ、羽奈のやつ。……平、お前、りっちゃんと一緒に行動すんの控えろよ」
六花「えっ！？」
思いの外、大きな声が出る六花。平と坂巻が驚いた表情。
六花「あの、私は大丈夫ですから」
坂巻「……りっちゃん、ちょっと来て」
平「は？どこ行くんだよ」
坂巻「お前が一緒だと話しにくいことだってあんの。ちょっとりっちゃんと話してくる」
平「……六花」
六花「はいっ」
平「坂巻は目隠しに弱いから」
六花「はい？」
平「視界をふさぐと怖いんだって。坂巻に何かされそうになったら、目隠しして逃げて」
六花「はい」
坂巻は呆れたような笑顔になる。
坂巻「何もしねーし。ってか、人の弱点をすんなり教えるとかどうなの？りっちゃんも良い返事しないでよ」
平「いや、教えておかないと」
坂巻「……信用ねぇな」
六花「……」
○旧校舎の非常階段の踊り場
人気がなく、坂巻とふたりきり。一時間目の始業チャイムが鳴る。
坂巻「ごめん、またサボってもらうことになるね」
六花「大丈夫です。私、普段から真面目に授業を受けているので、少しくらい」
黒縁眼鏡の縁を上げて、キリリとした表情でズレを直す六花。
坂巻「りっちゃん、羽奈のことだけど」
六花「はい」
坂巻「羽奈は昔、平のことが好きだったんだ」
六花（そんな気はしてた……）
心の中がもやもやしてくる六花。
坂巻「でも平もかなり荒れている時期でさ、羽奈に対してちっとも優しくなくて。あっさり振ったらしいんだけど」
六花「……平くんが？」
六花（優しくない平くん？想像出来ないかも）
坂巻「羽奈はオレらとは違う中学校だったんだ。夜、荒れてる仲間で集まってると、他校の奴らとも繋がりが出来てさ」
六花「そうなんですね」
坂巻「羽奈は何度も平に告白してた。諦められなかったんだろうな。で、平も何度も振ってさ。その内、羽奈は平に当てつけるみたいに他のやつと付き合うようになった」
六花「……？意味がわかりません」
六花の眉間にシワが寄る。
坂巻「りっちゃん、眉間」
坂巻に笑顔で指摘されて、指で眉間を触る六花。
坂巻「だんだん羽奈は、平に恨みを抱くようになってさ。ある時、羽奈が自分の彼氏に、平とケンカさせるように仕向けたんだ」
六花「！？」
坂巻「ちょっと痛い目に遭わせてやろうって思ったんじゃないかな」
六花「意味不明です」
坂巻「でもさ、平、その彼氏とのケンカに圧勝しちゃって」
六花「……」
坂巻はため息を吐く。
坂巻「だから羽奈は余計に平のことを恨んでるんだと思うんだ」
六花「……そうでしょうか？」
坂巻「？」
六花（恨んでいるんじゃなくて、もしかしたらまだ平くんのことを……）
坂巻「りっちゃん」
六花「はい」
坂巻「こういうことは言いたくないけど、羽奈は自分の目的のためなら手段を選ばないようなやつだから、気をつけてほしい。きっと平を直接攻撃するよりも、周りを傷つけたほうが効果があるって知ってるんだと思う」
六花「……」
坂巻「覚えておいて。りっちゃんに何かあれば、平は立ち直れない。りっちゃんは平のためにも、自分を守って」
六花は慎重に頷く。
○一年三組の教室（昼休み）
かっしーとお昼を食べている六花。
かっしー「六花ちゃん、夏休みはどうするの？」
六花「予定は何も。でも、この夏休みはお料理に挑戦しようかと思っています」
かっしー「料理？ふぅーん」
六花「かっしーは？」
かっしーは少しだけ不満そうな表情になる。
かっしー「ゲーム三昧といきたいところなんだけどね、期末テストの結果次第」
六花「……テスト！」
かっしー「進路のことで、今は親と揉めてるんだ。私はゲーム会社に就職したいんだけど」
六花「すごい、もう進路の希望があるんですね」
かっしー「でも、親は反対してて」
六花「そうだったんですか」
六花は菓子パンをかじる。
かっしー「私、ゲームしている時が一番自由を感じるんだ」
六花「はい」
かっしー「あの世界に、どっぷり浸りたい」
六花「素敵です」
かっしーは笑う。
かっしー「六花ちゃんは？」
六花「え？」
かっしー「夢とかあるの？」
六花（夢……）
六花「うーん、わかりません。夢を見つけることが、夢ですね」
かっしー「なるほどね」
六花（ごめんなさい、かっしー）
六花は菓子パンをほおばる。咀嚼しつつ、平静を装う。
六花（私、今……）
（将来の夢を聞かれて、本当は思い浮かんだことがあるんです）
（でも、言えません）
かっしーは自分のお弁当の中のおにぎりを箸で掴む。大きな口を開けて、おにぎりを迎えるかっしーを、六花は申し訳ない気持ちで見ている。
○木曜日、学校の近くの公園（放課後）
かっしーとふたり、寄り道をしている六花。暑くて、制服のシャツの襟元をパタパタとあおいでいるふたり。
かっしー「あっつー！六花ちゃん、ジュース飲む？」
六花「飲みます！」
かっしー「私、そこで買ってくる。何がいい？」
六花「うーん、オレンジジュースがあれば」
かっしー「オッケー」
かっしーが自動販売機に向かって歩き、六花はブランコに腰掛ける。犬の散歩に来ているおばさんが通り、犬も暑そうに浅い息を繰り返している。
かっしー「はい」
戻って来たかっしーは、オレンジジュースを六花の目の前に差し出す。小さめのペットボトルに入ったもので、受け取るとひんやりと冷たい。
六花「お金……」
財布を取り出し、かっしーにジュース代を返す六花。
かっしー「あれ？」
六花「はい？」
かっしーがじっと何かを見ている。その視線の先を、六花も追う。
六花「素直くんっ」
かっしー「やっぱり。黒崎くんの弟くんだ」
ひとりで公園に入って来た素直は、手にバレーボールを持っている。六花は素直に向けて、大きく手を振る。
素直「師匠っ！」
気づいた素直がブランコまでかけ寄って来る。
素直「あっ、かっしーも一緒だ」
にっこり笑う素直。
かっしー「本当、天使だな。弟くん」
六花「激しく同意です」
素直「ん？何が？」
六花はブランコから立ち上がる。
六花「素直くん、練習ですか？」
素直「うん、そう。ふたりは？何してるの？」
かっしー「寄り道」
素直「暑くない？もし良かったら家に来る？兄ちゃんもいるよ。あ、買い物に行ってるかもだけど」
かっしー「大丈夫。黒崎くんも急に行ったらびっくりするだろうし」
素直はにこにこ笑う。
素直「大丈夫だよぅ。みんなでごはん食べたら美味しいよ！」
かっしー「ごはん？」
素直「兄ちゃんのごはんは美味しいよ！」
かっしー「えっ、黒崎くん、ごはん作るの？スイーツだけかと思ってた」
六花「あ、あの、素直くんっ」
ちょっとハラハラする六花。
六花（そういえばごはん会のこと、かっしーに話してないっ）
六花「バレーボールの練習に付き合いますよっ」
素直「えっ！？いいの！？」
素直の目が輝く。
かっしー「何、弟くんはバレーボールが好きなの？」
素直「うんっ、中学生になったらバレーボール部に入る！」
かっしー「ふぅーん」
かっしーもブランコから立ち上がる。
かっしー「私、運動が苦手だから、バレーも全然出来ないけど、それで良かったら私も混ざる」
素直「かっしーも！？ありがとうっ」
素直が満面の笑みを見せる。
かっしー「心に染みる笑顔だ……」
素直「？」
三人で輪を作り、パスをまわして遊ぶ。公園の入り口で、足を止めて三人の様子を見ている人物がいる。羽奈だった。三人は、羽奈に気づいていない。
○学校の最寄り駅（夕方遅い時間）
素直とは別れて、かっしーと改札前にいる六花。
かっしー「楽しかったね、弟くんとのバレーボール」
六花「かっしーがボールの扱いにどんどん慣れて、最後は一番お上手でしたね」
かっしー「運動は嫌いだけど、三人でするバレーボールは楽しかったな」
二人で「あはははっ」と笑う。ふいにかっしーが腕時計に目をやる。
かっしー「あ、ごめん。私が乗る電車、もう来る！じゃ、また明日ね！六花ちゃん」
六花「お気をつけて！」
かっしーが慌てて改札を通り、走り去る。
六花（私も帰ろう）
六花が改札を通ろうとした時、誰かにぎゅっと腕を掴まれる。
六花「わっ！？」
振り返ると、そこには羽奈がいた。
羽奈「面貸しな」
羽奈が大きな瞳を鋭くして、六花を睨む。
○駅のロータリー
羽奈がロータリーに設置されているベンチに腰かける。六花はそのままベンチの前で立っている。
羽奈「人、呼んだから」
六花「どういうことですか？」
羽奈「あんたには、あたしと一緒に来てもらう。あんたが逃げないように、仲間に来てもらうってこと」
六花「……まだ、ついて行くとは言っていません」
羽奈「一丁前に拒否ってんなよ、マジで」
羽奈の声が低くなる。
六花「すごまれても……。ついて行く気にはなりません」
羽奈「なんなの、あんた。マジ意味わかんない。黒崎はこんなやつのどこがいいわけ？」
六花「……」
羽奈「ダサい三つ編みに、ダサい眼鏡して」
六花「失礼ですね」
羽奈「あたしのほうがイケてる。絶対に」
羽奈は自分の明るいピンク色のロングヘアを触る。その手のネイルがこの間見た時とは変わっている。薄いピンク色の花が散らばったネイルを見た六花。
六花（オシャレな人だなぁ）
羽奈「黒崎と別れる気になった？」
唐突に羽奈がベンチから立ち上がり、六花の目の前まで近寄る。
六花「ですから、別れるも何も、そもそも付き合ってないんですよ」
複数の足音が近寄って来る。振り返ると、派手な外見の女子達が四人、ぞろぞろとこちらに向かって来る。
女子1「羽奈〜、来たよ」
女子2「え、ちょっと待って。こいつ？こいつがそうなの？」
六花を見た女子達は、見下したように笑い始める。
女子1「趣味、悪っ！」
女子2「いやー、ないっしょ！これはないよ！」
女子3「何かの間違いなんじゃん？」
女子4「こんなダサいやつ、誰にも相手にされないし」
笑い続ける女子達。でも羽奈は笑わない。
羽奈「は？あたしが間違ってんの？」
女子1「え？」
羽奈「あたしが調べたことが、間違ってるって言って、あんた達は笑ってるわけ？」
女子2「羽奈、違うって」
羽奈「マジむかつく……」
苛立つ羽奈。しんっと静まる女子達。
羽奈「あんた」
羽奈が六花の肩を掴む。
羽奈「家族に黒崎とのことバラされたくなかったら、ついて来な」
六花「行きません」
羽奈「は？」
六花はまっすぐに羽奈を見つめる。
六花「バラされて困るようなこと、何もないです」
羽奈「頻繁に家に行ってるのに？」
六花「……羽奈さん、いつも見てるんですか？平くんのこと」
羽奈「！」
羽奈の顔がほのかに赤くなる。
六花「……私、帰りたいです。そこ、どいてください」
六花が駅舎に向かって歩き始める。女子達は一斉に羽奈を見る。どういう行動を取るべきなのか、伺っている様子。羽奈は六花の背中に向かって、少し声を張る。
羽奈「あんた、弟がいるよね？」
六花の足が止まる。
羽奈「今日、公園で一緒に遊んでた子。あんたの弟でしょ？」
六花「え？」
六花（それって、素直くんのことだ！）
羽奈「この間は一緒にスーパーで買い物してた」
六花「……っ」
羽奈「見てるから。あんたのこと」
羽奈は薄ら笑いを浮かべる。
羽奈「あの子に何もないといいよね？あたし、相当頭にきてるんだ。だからさ、あんたが言うこと聞いてくれないと、代わりにあの子の所に行っちゃおうかな」
六花「やめてっ」
六花の反応に、羽奈は嬉しそうに笑う。
羽奈「あはっ、何だよ。冗談じゃん」
六花「巻き込まないで」
羽奈「じゃあ、来るよね？大人しく、一緒に」
六花「……」
六花は坂巻の言葉を思い出す。
坂巻『りっちゃんは平のためにも、自分を守って』
六花（ごめんなさい、坂巻くん）
（私……）
六花は羽奈を見る。嬉しそうに、ニヤニヤしている。
六花「……はい、行きます」
羽奈が女子達に目配せをする。
羽奈「そうこなくちゃ」
羽奈がどこかに向かって歩き出す。女子達は六花が逃げないように、六花を囲む。
女子1「……ほら、歩けよ」
女子1が六花の肩を小突く。六花は仕方なく、羽奈のあとを歩く。ふいに吹いた風があつくて、じとっと汗を感じる六花。
六花（大丈夫、何とかなる……）
ドキドキしてくる心臓。額に浮かぶ汗。それでも六花は自分に「大丈夫」と言い聞かせて、すっかり暗くなった空の下を歩いた。
