あの娘のキスはピリリと魔法の味 ~世界は今、彼女の唇に託された~
2. 高鳴る鼓動
英斗は自宅に帰ると夕食も食べずにベッドにもぐりこむ。
強引にキスした後に超人的な力を発揮したことを考えれば、力のきっかけにキスが必要なのだろう。しかし、キスで力が出るというのは全くもって意味不明であり、その荒唐無稽さに英斗はめまいすら覚えた。もしかしたら自分は選ばれた人間で、自分とキスをすると超人的な力を得られるようになっているのかもしれない、とも思ってみたが、さすがにバカバカしすぎて笑ってしまう。
それよりも……、
『ゴメンね、英ちゃんに酷いことしちゃった』
キスの後に真っ赤になりながらそう謝っていた紗雪の言葉を思い出す。『英ちゃん』とは仲良かった時の呼び方。四年ぶりに聞いたこの言葉には紗雪の本心が滲んでいる気がするのだ。さらに、あの紗雪のチロチロとした優しい舌遣い……。英斗は真っ赤になって毛布の中に潜り込む。
そして、続く言葉、
『これでみんな忘れるわ』
これを思い出して英斗は顔をしかめる。
あの変なスプレーで自分の記憶を消そうとした……、のだろうか?
だとしたら紗雪は、自分の記憶が残っているとは思っていないことになる。
英斗はスマホのメッセンジャー画面を前に考えこむ。なぜ自分にキスしたのか、あの超人的な戦闘力は何なのか聞いてみたい。しかし、どう聞いたらいいか考えるとなかなか文章が思い浮かばなかった。
紗雪が急によそよそしくなったことと、紗雪の秘密にはかかわりがある気がする。秘密を守るために本意ではなく距離を取った。そう考えるのが妥当だったし、英斗としてもそうあって欲しかった。
紗雪は何らかの考えで自分の記憶を消した。そこには重大な理由があるだろう。それがどういうものか分からないと聞き方が難しい。せっかく再びつながった紗雪との縁。これを壊さないような聞き方をするには情報が足りなかった。
うーん、どうしたら……。
どう聞いたらいいか、英斗はその晩いつまで経っても寝付けなかった。
◇
その夜、紗雪もまた寝付けずに起きだして窓際の椅子に腰かけていた。物憂げに窓の外を眺める紗雪の美しい黒髪を、月の光がキラキラと照らしている。
視線の先には英斗の家があった。植木で見えにくいが、二階の奥の部屋、そこには英斗が寝ているはずだった。
ふぅ、と、大きくため息をつくと紗雪は背もたれに深くもたれかかり、ギシっと椅子をきしませる。
うなだれてしばらく動かなくなる紗雪。
ポトリと涙が落ち、可愛いうさぎ模様のパジャマを濡らした。
「英ちゃん、ゴメン……。私……、どうしたらいいの?」
そうつぶやくと静かに肩を揺らす。
「助けて……」
紗雪は机に突っ伏した。
満月も近い丸い月は煌々と輝き、美しい少女の苦悩を癒すかのように静かに紗雪を照らす。
こうして二人の眠れない夜は更けていった。
◇
まんじりともしない夜が明けた――――。
カラッと晴れたさわやかな青空の下、にぎやかな高校生たちが二人、三人と固まりながらにぎやかに談笑し、通学路を歩いていた。
英斗はその中に混じり、一人あくびをしながら登校する。結局結論は出なかった。判断するには手掛かりが少なすぎるのだ。
日差しが思ったより強く、ジワリと汗が湧いてくる。英斗はネイビーのジャケットを脱ぎ、指先で引っ掛けて肩に担いだ。
◇
教室につくと、すでに紗雪が座っていた。いつもと変りなく、窓際の席で背筋をピンと伸ばし、物憂げに窓の外を眺めている。窓からのふんわりとそよぐ風が紗雪のきれいな黒髪をサラサラと揺らし、英斗はその水彩画に描かれるような麗しい情景に思わずほおが緩んだ。
この娘とキスをしたのだ。
英斗は思わずあの時の舌の柔らかさを思い出し、顔が真っ赤になってしまう。そして、ブンブンと首を振って大きく深呼吸を繰り返し、雑念を振り払った。
英斗は紗雪の隣の自席につき、平静を装いながら現国の教科書を机に並べる。
紗雪は何も言わない。昨日あんなことがあったのに、全くいつも通りである。
英斗は大きく深呼吸を繰り返すと、意を決して紗雪に声をかけた。
「あ、あのさぁ……」
紗雪はチラッと英斗を見てまた窓の外を眺める。
「なによ?」
不機嫌そうな声が響く。
「な、何か……悩んでたり……しない?」
英斗は声が裏返りながら必死に声を絞り出す。
紗雪はけげんそうな顔で英斗をじっと見つめ、
「話しかけないでって言わなかったっけ?」
と、冷たく言い放つとまた窓の外を向いてしまう。
英斗はふぅと息をつき、ゴンと額を教科書にぶつける。じんわりと伝わってくる額の痛みの中、自分は何をやっているのだろうと打ちひしがれる英斗は『うぅぅ』と喉の奥をかすかに鳴らし、悶えた。
ただ、紗雪もなぜ英斗がそんなことを言い出したのか気が気ではない。『もしかして記憶が残っている?』と、悩み、真っ赤な顔をしながら、高鳴る鼓動を悟られないように必死だった。
3. 秘密の行為
現国の授業を聞きながら英斗はチラッと紗雪の手元を見た。そこにはすらっとした白い指の中でメタリックな赤色のシャーペンが踊っている。
ペン先がシルバーのその赤いシャーペンは、あのオーガを倒したものに酷似している。しかし、ただの筆記具が重機関銃の効かない魔物を倒すなんてことがあるだろうか? 英斗は大きく息をつき、また机に突っ伏した。
魔物も不可解だが、紗雪はもっと謎だった。
キスにシャーペン、なんだよこれ……。
寝不足の英斗はゆっくりと温かく白い睡魔に包まれていく。
その時だった、ズンと急に突き上げるような揺れが来て机が一瞬浮き、ガン! と窓が一斉に音を立て、重低音の爆音が街に響き渡った。
おわぁ!
急いで顔を上げ、窓の外を見ると、少し先の公園で爆煙が上がり、木陰の向こうに瑠璃色の輝きが揺らめいていた。それはゲートだった。新たなゲートが近所にまた開いてしまったのだ。昨日の侵攻に失敗した魔物たちが、リベンジをしにまたやってきたに違いない。
「キャ――――!」「ゲートだぁ!」「ヤバい、逃げろ!」
「静かに、静かに――――!」
先生は必死に混乱を押さえようとするが、いきなりやってきた災厄に生徒たちの動揺は収まらない。
紗雪は眉を寄せ、しばらくゲートの方を見つめていたが、いきなり英斗の方を向きうるんだ目で何かを言いかけ、キュッと口を結び、うつむいた。
その、口にはできない心の悲鳴に英斗は胸をギュッと締め付けられる。
「逃げよう!」
英斗は紗雪の手を取ると引っ張った。
一瞬困惑した表情を浮かべた紗雪だったが、うなずいてカバンを持って立ち上がる。
二人は急いで教室を飛び出て廊下を走った。
どの教室も大騒ぎだったがまだ逃げ始めているのは二人だけのようである。
「ちょっと待って!」
いきなり紗雪が立ち止まり、理科準備室のドアを開けた。そして眉をひそめ、何も言わずにジッと英斗を見つめる。
一瞬、何が起こったのか分からなかった英斗だったが、秘密の行為を狙っているのだと気が付き、ドクンと心臓が鳴った。
「来て……」
紗雪は低い声を出し、ぐいっと英斗を理科準備室に引っぱった。
「な、なんだよ……」
英斗は抵抗する振りをしながらついていく。
英斗をうす暗い理科準備室に引き込むと、紗雪はドアを閉めた。そしてジッと英斗を見つめる。
はぁはぁという少し上がった息が静かな室内に響く。
紗雪のうるんだつぶらな瞳には今にも泣きだしそうな悲痛な色が滲み、英斗は言葉を失う。
街の人たちを守るために命懸けの戦いに赴かねばならない宿命。そんな過酷な運命に押しつぶされそうになっている悲壮な少女の魂を、どう救ったらいいのかなど英斗には全く分からなかった。
「い、一緒に、逃げよ……」
そう言いかけた英斗にいきなり抱き着くと、紗雪は強引に唇を重ねてきた。
んんっ……!
紗雪は昨日よりも大胆に舌を入れてくる。
英斗は一瞬焦ったが、そっと紗雪の柔らかい舌を受け入れ、絡めていく。
むせかえるような柑橘系の華やかな匂いに包まれながら、英斗は想いを舌にのせていった。
しかし、情熱的に動く紗雪の舌からは『助けて』という胸の裂けるような想いが感じられる。
紗雪はこれから命がけの戦いに赴く。昨日は魔物を簡単に撃退できたが、今日も勝てる保障などどこにもない。なぜ、紗雪が行かねばならないのか?
思わず英斗の目に涙がにじんだ。
『このまま一緒に逃げてしまおう』英斗は決意をして、唇から離れる。
すると、紗雪は鋭い目で英斗を見据えた。ふぅふぅという上がった息遣いが伝わってくる。
口を真一文字にキュッと結ぶと、紗雪はポケットからスプレーを出す。
「いや、ちょ、ちょっと待って! に、逃げ……」
英斗がそう言いかけると、紗雪はプシューっと吹き付けてきた。
うわっ!
何とか意識を失わないようにしようと頑張ったが身体は言うことを聞かない。英斗はガクッとひざが折れ、そのまま床に突っ伏してしまう。
英斗は窓から飛び降りていく紗雪の後姿を苦々しく眺めていた。
◇
しばらくして身体の自由が戻ってくると、英斗は部屋を飛び出し、ダッシュで紗雪を追う。無力な自分に何ができるか分からないが、最後は盾になってでも紗雪を守ってやろうと英斗は心に決めていた。
「急げー!」「いや――――!」「早く早く!」
大勢の人が叫びながら逃げてくる道を英斗は逆行しながら走る。角を曲がり、見えてきた見慣れた公園には瑠璃色の輝きが揺らめき、怪しげに黒煙を上げていた。多くの人の命を、紗雪を狙おうとする、その美しい悪意の煌めきを英斗はにらみつけ、ギュッとこぶしを握る。
4. 無慈悲な閃光
英斗はあたりを見回し、近くのマンションの非常階段へと忍び込む。見ると階段の下には粗大ごみの段ボールが積まれていた。少し考えて、大きなものを一つ抜き取ると階段を上っていく。
階段の上の方からはゲートの様子がよく見えた。英斗は段ボールを組み立てて、いくつか穴を開けるとそれをかぶり、中に入った。やや窮屈ではあるが、魔物に見つからないようにはできただろう。
穴からゲートの方を覗いているとゲートがギラギラッと面妖な輝きを放ち、中から何かが飛び出してきた。それはバサッバサッとドアくらいの大きさの翼ではばたきながら、朝のまだ冷たい空気をつかみ、一気に高度を上げ、空に舞う。翼には黒い縁取りに青と紫のキラキラとした筋が入っている。――――蝶だ。
この蝶は【パピヨール】と呼ばれる昆虫系飛行種であり、今まで多くの街を火の海に沈めてきた極めてたちの悪い魔物だった。
英斗は紗雪との相性の悪さに顔をしかめる。
紗雪は空を飛べない。空から延々と攻撃を加えられたら紗雪は一方的にやられてしまう。これは、魔物はただ破壊が好きなだけの野蛮生物ではない事を示していた。知性をもって目的を達成しようとする恐るべき存在に違いない。
奥歯をギリッと鳴らす音がかすかに段ボールの中に響く。
魔物は一匹だけではなかった。次々と無数飛び出してくる。パピヨールは上空へ上がると鳥の群れのようにグルグルと編隊飛行をはじめた。それは、あたりが薄暗くなるほどのものすごい数で、英斗はこれから始まる惨劇の予感に青ざめる。そして、顔を両手で覆い、ギュッと目をつぶると何とか潰れそうになる心をギリギリのところで保っていた。
やがて、ぶわぁと街を覆うように広がると一斉に激烈な閃光を放つ。直後、街のあちこちが派手に爆発し、地震のように衝撃が襲ってきた。
ぐわっ!
英斗は頭を抱えて小さくなる。TVでパピヨールの攻撃も見たことがあったが、自分が体験してみると全く違う。パピヨールは画面の向こうではなく目の前にいて、すぐそこに死が待っている。まさに死神のような抜き身の殺意がこの自分の街を覆っているのだ。
英斗はドクンドクンと激しく鼓動が響く中、漂ってくる死の気配に震える手を何とか抑え込み、荒い息を漏らしながら穴からそっと街をのぞいてみる。あちこちで家は吹き飛び、ビルは半壊してどす黒い黒煙を吐き、トラックはひっくり返って火の手が上がっていた。
しかし、これで終わりではない。パピヨールたちは鮮やかな鱗粉の煌めきを誇示するように輝かせながら第二弾の空爆を展開した。再度激しい爆発音が街を覆い、焦土へと変えていく。
刹那、マンションが激しく揺れた。
くっ!
英斗は慌てて冷たいコンクリートの床を押さえる。
死――――。
今まさに死神のサイコロが自分の命を標的にかけている。その切迫した現実が真綿のように英斗の首を絞めつけていく。
このままでは殺されてしまう。自衛隊は、紗雪はどういう状況だろうか?
英斗は穴から必死に辺りを見回した。
直後、近くのビルから金色の光の筋が無数空へと放たれていくのが見えた。その輝きは昨日見た紗雪のシャーペンの攻撃だろう。紗雪はあそこにいるのだ。
しかし、飛び回るパピヨールに当てるのは難しい。当たってもシャーペンの芯のような弾なので、羽であればほとんどダメージにならない。
逆にパピヨールたちは紗雪の位置を把握し、集まってきてしまう。
やはり紗雪とパピヨールは相性が悪い。これはマズい事になった。
英斗は紗雪の大ピンチに青くなる。
助けなきゃ! でも、どうやって?
あんな圧倒的な化け物相手に高校生ができることなど何もない。英斗はあまりの無力、ふがいなさに、ギギギっと奥歯を鳴らした。
直後、パピヨールたちは紗雪のいたビルめがけて次々と激烈な閃光を撃ち込んでいく。無数のパピヨールたちの集中砲火を浴び、ビルは轟音をあげながら爆発を繰り返し、崩落していく。その恐るべき火力は立派なビルをあっという間に瓦礫の山へと変えていった。
あ……あぁぁ……。
英斗は頭を抱え、声にならない声を上げながらその凄惨な殺戮劇を見つめていた。愛しい紗雪が爆炎の中、瓦礫に沈んでいく。そんな認めたくない現実が、英斗の心の柔らかな部分をビリビリと引き裂いていった。
「さ、紗雪ぃ……」
容赦のない攻撃はさらに続き、街には無慈悲な爆発音が響き渡っていく。
英斗のほほを知らぬ間に涙が伝った。
5. 灼熱のドラゴンブレス
その時、何かが公園の方で動く。
え?
それは見慣れた銀色のジャケットを着た女の子、紗雪だった。
あ、あれ?
英斗は涙をぬぐうと居住まいを正し、紗雪をジッと見つめる。そして、この公園の下には川が流れていたことを思い出した。公園は暗渠の上に作られていたのだ。多分、紗雪はビルの裏手から暗渠をたどって公園に移動してきたのだろう。よく考えれば、集中砲火を浴びることなど分かり切っているのだから、そのままやられたりする訳がないのだ。
よ、良かった……。
英斗はへなへなと全身から力が抜けていくのを感じた。紗雪は英斗が考えるよりずっと賢く行動力もある。もう、泣き虫だった幼いころの紗雪ではないのだ。
英斗は大きく息をつき、頼もしい紗雪を見つめた。
すると、紗雪はあの赤いシャーペンで空中に何かを描き始める。空中に絵を描けること自体極めてナンセンスな話だったが、ペンの跡は緑色に蛍光して輝いていた。紗雪は大きな円を描き、中に六芒星を描き、そして円弧に沿ってルーン文字を書き加えていく。それはなんと魔法陣だった。
まさか……。
英斗は唖然とする。シャーペンで空中に魔法陣を描く女子高生、それはもはやファンタジーの世界そのものだった。
もちろん、昨日の超常的な紗雪の攻撃力も常軌を逸していたが、まだ『科学』という線も考えられなくはない。しかし、魔法陣となればもはや科学なんかではない、もはや異世界ファンタジーだった。
描き終わった魔法陣は緑色に怪しく輝き、直後、激しい閃光を放ちながら竜巻のような強烈な風の渦を爆発的に吹き出す。ゴォォォと激しい轟音を立てながら、竜巻は一気にビルの上に集まっていたパピヨールたちに襲いかかった。
無数いたパピヨールたちはあっという間に風の渦に引き込まれ、ズタズタに切り裂かれ、まるで空を舞うごみクズの山へと化していく。
逃げ出そうとしたパピヨールも激しい強風にあおられて渦を巻くように吸い寄せられ、最後には竜巻で処理されていった。
その鮮やかな殺戮劇に英斗は戦慄を覚える。かわいい幼なじみが繰り出したその恐るべき破壊力はもはや大量破壊兵器であり、とても女子高生のやる事には思えなかった。
一体紗雪はどうしちゃったんだ……。
科学では説明のつかない力を操る紗雪に英斗は戸惑い、頭を抱える。
もちろん、魔物を退治してくれたことは感謝したかったが、それ以上に紗雪が巻き込まれている恐ろし気な状況の方が気になってしまう。少なくとも小学生の頃は本当にただの可愛い女の子だったのだ。
いつから? なぜ? どうやって? これは紗雪の意志? 誰かにやらされている?
次々と疑問が頭の中をぐるぐると回り、英斗は目をギュッとつぶってうなだれた。
その時だった、
「あーあ、派手にやってくれおったな」
いきなり女の子のかわいい声が非常階段に響き、英斗はビクッとして固まった。
そっと穴をのぞくと、そこには金髪おかっぱの可憐な女の子が、手すりをつかんで紗雪の方を見下ろしている。中学生くらいだろうか、黒とグレーの近未来的なジャケットを着込み、その真紅の瞳にはゾクッとさせる何かを宿していた。
「おしおきタイムじゃ」
女の子はそう言うとポケットから水色のクリスタルのスティックを取り出し、高く掲げる。
直後、爆発音がして女の子は消え去り、上空に巨大な影が浮かんだ。
へ?
英斗が見上げると、そこには巨大な翼をはばたかせる恐竜のような巨体が浮かんでいた。いかつい漆黒の鱗に覆われた身体は金色の光を纏い、恐ろしい牙を生やした大きな口はまるでティラノサウルス……。そう、それはファンタジーによく出てくるドラゴンだった。
ギュアァァァ――――!
腹に響く超重低音の恐るべき咆哮が街に響き渡る。
英斗は目を疑った。あの可愛い女の子が凶悪な巨大ドラゴンに変身したとしか考えられないが、そんなことなどあるのだろうか? 物理法則も何もない。さっきの紗雪の魔法にしても、いつから日本は異世界になってしまったのだろう。
ドラゴンはバサッバサッと巨大な翼をはばたかせながら紗雪を目指した。
紗雪はすかさずシャーペンから光の筋を乱射しドラゴンに当てていくが、ドラゴンは平然としている。黄金に輝く重厚な鱗には全く通用しないようだった。
諦めた紗雪は今度は魔法陣を描き始める。瑠璃色に輝く円に六芒星、そしてルーン文字。
するとドラゴンは車をかみ砕けそうな巨大な口をパカッと開く。その中にはオレンジ色の光が輝き始めていた。
紗雪が魔法陣を描き終わると、魔法陣は激しく青い鮮烈な光を放ちながらツララのような巨大な氷の槍を無数射出する。ツララは鋭いエッジを光らせながら目にもとまらぬ速度でまっすぐにドラゴンへと襲いかかっていったが、直後ドラゴンは激烈な閃光を放った。
その閃光がもたらす激しい熱線は全てを焼き払う。ツララは瞬時に蒸発、公園の木々は茶色く焦げ、そして炎をあげていった。
「あぁぁぁ……、さ、紗雪……」
これがファンタジーの小説によく出てくるドラゴンブレスという奴だろうか?
実際に目にするとその圧倒的なパワーに英斗は気おされ、改めてドラゴンの破格な攻撃力にゾッとして言葉を失った。
強引にキスした後に超人的な力を発揮したことを考えれば、力のきっかけにキスが必要なのだろう。しかし、キスで力が出るというのは全くもって意味不明であり、その荒唐無稽さに英斗はめまいすら覚えた。もしかしたら自分は選ばれた人間で、自分とキスをすると超人的な力を得られるようになっているのかもしれない、とも思ってみたが、さすがにバカバカしすぎて笑ってしまう。
それよりも……、
『ゴメンね、英ちゃんに酷いことしちゃった』
キスの後に真っ赤になりながらそう謝っていた紗雪の言葉を思い出す。『英ちゃん』とは仲良かった時の呼び方。四年ぶりに聞いたこの言葉には紗雪の本心が滲んでいる気がするのだ。さらに、あの紗雪のチロチロとした優しい舌遣い……。英斗は真っ赤になって毛布の中に潜り込む。
そして、続く言葉、
『これでみんな忘れるわ』
これを思い出して英斗は顔をしかめる。
あの変なスプレーで自分の記憶を消そうとした……、のだろうか?
だとしたら紗雪は、自分の記憶が残っているとは思っていないことになる。
英斗はスマホのメッセンジャー画面を前に考えこむ。なぜ自分にキスしたのか、あの超人的な戦闘力は何なのか聞いてみたい。しかし、どう聞いたらいいか考えるとなかなか文章が思い浮かばなかった。
紗雪が急によそよそしくなったことと、紗雪の秘密にはかかわりがある気がする。秘密を守るために本意ではなく距離を取った。そう考えるのが妥当だったし、英斗としてもそうあって欲しかった。
紗雪は何らかの考えで自分の記憶を消した。そこには重大な理由があるだろう。それがどういうものか分からないと聞き方が難しい。せっかく再びつながった紗雪との縁。これを壊さないような聞き方をするには情報が足りなかった。
うーん、どうしたら……。
どう聞いたらいいか、英斗はその晩いつまで経っても寝付けなかった。
◇
その夜、紗雪もまた寝付けずに起きだして窓際の椅子に腰かけていた。物憂げに窓の外を眺める紗雪の美しい黒髪を、月の光がキラキラと照らしている。
視線の先には英斗の家があった。植木で見えにくいが、二階の奥の部屋、そこには英斗が寝ているはずだった。
ふぅ、と、大きくため息をつくと紗雪は背もたれに深くもたれかかり、ギシっと椅子をきしませる。
うなだれてしばらく動かなくなる紗雪。
ポトリと涙が落ち、可愛いうさぎ模様のパジャマを濡らした。
「英ちゃん、ゴメン……。私……、どうしたらいいの?」
そうつぶやくと静かに肩を揺らす。
「助けて……」
紗雪は机に突っ伏した。
満月も近い丸い月は煌々と輝き、美しい少女の苦悩を癒すかのように静かに紗雪を照らす。
こうして二人の眠れない夜は更けていった。
◇
まんじりともしない夜が明けた――――。
カラッと晴れたさわやかな青空の下、にぎやかな高校生たちが二人、三人と固まりながらにぎやかに談笑し、通学路を歩いていた。
英斗はその中に混じり、一人あくびをしながら登校する。結局結論は出なかった。判断するには手掛かりが少なすぎるのだ。
日差しが思ったより強く、ジワリと汗が湧いてくる。英斗はネイビーのジャケットを脱ぎ、指先で引っ掛けて肩に担いだ。
◇
教室につくと、すでに紗雪が座っていた。いつもと変りなく、窓際の席で背筋をピンと伸ばし、物憂げに窓の外を眺めている。窓からのふんわりとそよぐ風が紗雪のきれいな黒髪をサラサラと揺らし、英斗はその水彩画に描かれるような麗しい情景に思わずほおが緩んだ。
この娘とキスをしたのだ。
英斗は思わずあの時の舌の柔らかさを思い出し、顔が真っ赤になってしまう。そして、ブンブンと首を振って大きく深呼吸を繰り返し、雑念を振り払った。
英斗は紗雪の隣の自席につき、平静を装いながら現国の教科書を机に並べる。
紗雪は何も言わない。昨日あんなことがあったのに、全くいつも通りである。
英斗は大きく深呼吸を繰り返すと、意を決して紗雪に声をかけた。
「あ、あのさぁ……」
紗雪はチラッと英斗を見てまた窓の外を眺める。
「なによ?」
不機嫌そうな声が響く。
「な、何か……悩んでたり……しない?」
英斗は声が裏返りながら必死に声を絞り出す。
紗雪はけげんそうな顔で英斗をじっと見つめ、
「話しかけないでって言わなかったっけ?」
と、冷たく言い放つとまた窓の外を向いてしまう。
英斗はふぅと息をつき、ゴンと額を教科書にぶつける。じんわりと伝わってくる額の痛みの中、自分は何をやっているのだろうと打ちひしがれる英斗は『うぅぅ』と喉の奥をかすかに鳴らし、悶えた。
ただ、紗雪もなぜ英斗がそんなことを言い出したのか気が気ではない。『もしかして記憶が残っている?』と、悩み、真っ赤な顔をしながら、高鳴る鼓動を悟られないように必死だった。
3. 秘密の行為
現国の授業を聞きながら英斗はチラッと紗雪の手元を見た。そこにはすらっとした白い指の中でメタリックな赤色のシャーペンが踊っている。
ペン先がシルバーのその赤いシャーペンは、あのオーガを倒したものに酷似している。しかし、ただの筆記具が重機関銃の効かない魔物を倒すなんてことがあるだろうか? 英斗は大きく息をつき、また机に突っ伏した。
魔物も不可解だが、紗雪はもっと謎だった。
キスにシャーペン、なんだよこれ……。
寝不足の英斗はゆっくりと温かく白い睡魔に包まれていく。
その時だった、ズンと急に突き上げるような揺れが来て机が一瞬浮き、ガン! と窓が一斉に音を立て、重低音の爆音が街に響き渡った。
おわぁ!
急いで顔を上げ、窓の外を見ると、少し先の公園で爆煙が上がり、木陰の向こうに瑠璃色の輝きが揺らめいていた。それはゲートだった。新たなゲートが近所にまた開いてしまったのだ。昨日の侵攻に失敗した魔物たちが、リベンジをしにまたやってきたに違いない。
「キャ――――!」「ゲートだぁ!」「ヤバい、逃げろ!」
「静かに、静かに――――!」
先生は必死に混乱を押さえようとするが、いきなりやってきた災厄に生徒たちの動揺は収まらない。
紗雪は眉を寄せ、しばらくゲートの方を見つめていたが、いきなり英斗の方を向きうるんだ目で何かを言いかけ、キュッと口を結び、うつむいた。
その、口にはできない心の悲鳴に英斗は胸をギュッと締め付けられる。
「逃げよう!」
英斗は紗雪の手を取ると引っ張った。
一瞬困惑した表情を浮かべた紗雪だったが、うなずいてカバンを持って立ち上がる。
二人は急いで教室を飛び出て廊下を走った。
どの教室も大騒ぎだったがまだ逃げ始めているのは二人だけのようである。
「ちょっと待って!」
いきなり紗雪が立ち止まり、理科準備室のドアを開けた。そして眉をひそめ、何も言わずにジッと英斗を見つめる。
一瞬、何が起こったのか分からなかった英斗だったが、秘密の行為を狙っているのだと気が付き、ドクンと心臓が鳴った。
「来て……」
紗雪は低い声を出し、ぐいっと英斗を理科準備室に引っぱった。
「な、なんだよ……」
英斗は抵抗する振りをしながらついていく。
英斗をうす暗い理科準備室に引き込むと、紗雪はドアを閉めた。そしてジッと英斗を見つめる。
はぁはぁという少し上がった息が静かな室内に響く。
紗雪のうるんだつぶらな瞳には今にも泣きだしそうな悲痛な色が滲み、英斗は言葉を失う。
街の人たちを守るために命懸けの戦いに赴かねばならない宿命。そんな過酷な運命に押しつぶされそうになっている悲壮な少女の魂を、どう救ったらいいのかなど英斗には全く分からなかった。
「い、一緒に、逃げよ……」
そう言いかけた英斗にいきなり抱き着くと、紗雪は強引に唇を重ねてきた。
んんっ……!
紗雪は昨日よりも大胆に舌を入れてくる。
英斗は一瞬焦ったが、そっと紗雪の柔らかい舌を受け入れ、絡めていく。
むせかえるような柑橘系の華やかな匂いに包まれながら、英斗は想いを舌にのせていった。
しかし、情熱的に動く紗雪の舌からは『助けて』という胸の裂けるような想いが感じられる。
紗雪はこれから命がけの戦いに赴く。昨日は魔物を簡単に撃退できたが、今日も勝てる保障などどこにもない。なぜ、紗雪が行かねばならないのか?
思わず英斗の目に涙がにじんだ。
『このまま一緒に逃げてしまおう』英斗は決意をして、唇から離れる。
すると、紗雪は鋭い目で英斗を見据えた。ふぅふぅという上がった息遣いが伝わってくる。
口を真一文字にキュッと結ぶと、紗雪はポケットからスプレーを出す。
「いや、ちょ、ちょっと待って! に、逃げ……」
英斗がそう言いかけると、紗雪はプシューっと吹き付けてきた。
うわっ!
何とか意識を失わないようにしようと頑張ったが身体は言うことを聞かない。英斗はガクッとひざが折れ、そのまま床に突っ伏してしまう。
英斗は窓から飛び降りていく紗雪の後姿を苦々しく眺めていた。
◇
しばらくして身体の自由が戻ってくると、英斗は部屋を飛び出し、ダッシュで紗雪を追う。無力な自分に何ができるか分からないが、最後は盾になってでも紗雪を守ってやろうと英斗は心に決めていた。
「急げー!」「いや――――!」「早く早く!」
大勢の人が叫びながら逃げてくる道を英斗は逆行しながら走る。角を曲がり、見えてきた見慣れた公園には瑠璃色の輝きが揺らめき、怪しげに黒煙を上げていた。多くの人の命を、紗雪を狙おうとする、その美しい悪意の煌めきを英斗はにらみつけ、ギュッとこぶしを握る。
4. 無慈悲な閃光
英斗はあたりを見回し、近くのマンションの非常階段へと忍び込む。見ると階段の下には粗大ごみの段ボールが積まれていた。少し考えて、大きなものを一つ抜き取ると階段を上っていく。
階段の上の方からはゲートの様子がよく見えた。英斗は段ボールを組み立てて、いくつか穴を開けるとそれをかぶり、中に入った。やや窮屈ではあるが、魔物に見つからないようにはできただろう。
穴からゲートの方を覗いているとゲートがギラギラッと面妖な輝きを放ち、中から何かが飛び出してきた。それはバサッバサッとドアくらいの大きさの翼ではばたきながら、朝のまだ冷たい空気をつかみ、一気に高度を上げ、空に舞う。翼には黒い縁取りに青と紫のキラキラとした筋が入っている。――――蝶だ。
この蝶は【パピヨール】と呼ばれる昆虫系飛行種であり、今まで多くの街を火の海に沈めてきた極めてたちの悪い魔物だった。
英斗は紗雪との相性の悪さに顔をしかめる。
紗雪は空を飛べない。空から延々と攻撃を加えられたら紗雪は一方的にやられてしまう。これは、魔物はただ破壊が好きなだけの野蛮生物ではない事を示していた。知性をもって目的を達成しようとする恐るべき存在に違いない。
奥歯をギリッと鳴らす音がかすかに段ボールの中に響く。
魔物は一匹だけではなかった。次々と無数飛び出してくる。パピヨールは上空へ上がると鳥の群れのようにグルグルと編隊飛行をはじめた。それは、あたりが薄暗くなるほどのものすごい数で、英斗はこれから始まる惨劇の予感に青ざめる。そして、顔を両手で覆い、ギュッと目をつぶると何とか潰れそうになる心をギリギリのところで保っていた。
やがて、ぶわぁと街を覆うように広がると一斉に激烈な閃光を放つ。直後、街のあちこちが派手に爆発し、地震のように衝撃が襲ってきた。
ぐわっ!
英斗は頭を抱えて小さくなる。TVでパピヨールの攻撃も見たことがあったが、自分が体験してみると全く違う。パピヨールは画面の向こうではなく目の前にいて、すぐそこに死が待っている。まさに死神のような抜き身の殺意がこの自分の街を覆っているのだ。
英斗はドクンドクンと激しく鼓動が響く中、漂ってくる死の気配に震える手を何とか抑え込み、荒い息を漏らしながら穴からそっと街をのぞいてみる。あちこちで家は吹き飛び、ビルは半壊してどす黒い黒煙を吐き、トラックはひっくり返って火の手が上がっていた。
しかし、これで終わりではない。パピヨールたちは鮮やかな鱗粉の煌めきを誇示するように輝かせながら第二弾の空爆を展開した。再度激しい爆発音が街を覆い、焦土へと変えていく。
刹那、マンションが激しく揺れた。
くっ!
英斗は慌てて冷たいコンクリートの床を押さえる。
死――――。
今まさに死神のサイコロが自分の命を標的にかけている。その切迫した現実が真綿のように英斗の首を絞めつけていく。
このままでは殺されてしまう。自衛隊は、紗雪はどういう状況だろうか?
英斗は穴から必死に辺りを見回した。
直後、近くのビルから金色の光の筋が無数空へと放たれていくのが見えた。その輝きは昨日見た紗雪のシャーペンの攻撃だろう。紗雪はあそこにいるのだ。
しかし、飛び回るパピヨールに当てるのは難しい。当たってもシャーペンの芯のような弾なので、羽であればほとんどダメージにならない。
逆にパピヨールたちは紗雪の位置を把握し、集まってきてしまう。
やはり紗雪とパピヨールは相性が悪い。これはマズい事になった。
英斗は紗雪の大ピンチに青くなる。
助けなきゃ! でも、どうやって?
あんな圧倒的な化け物相手に高校生ができることなど何もない。英斗はあまりの無力、ふがいなさに、ギギギっと奥歯を鳴らした。
直後、パピヨールたちは紗雪のいたビルめがけて次々と激烈な閃光を撃ち込んでいく。無数のパピヨールたちの集中砲火を浴び、ビルは轟音をあげながら爆発を繰り返し、崩落していく。その恐るべき火力は立派なビルをあっという間に瓦礫の山へと変えていった。
あ……あぁぁ……。
英斗は頭を抱え、声にならない声を上げながらその凄惨な殺戮劇を見つめていた。愛しい紗雪が爆炎の中、瓦礫に沈んでいく。そんな認めたくない現実が、英斗の心の柔らかな部分をビリビリと引き裂いていった。
「さ、紗雪ぃ……」
容赦のない攻撃はさらに続き、街には無慈悲な爆発音が響き渡っていく。
英斗のほほを知らぬ間に涙が伝った。
5. 灼熱のドラゴンブレス
その時、何かが公園の方で動く。
え?
それは見慣れた銀色のジャケットを着た女の子、紗雪だった。
あ、あれ?
英斗は涙をぬぐうと居住まいを正し、紗雪をジッと見つめる。そして、この公園の下には川が流れていたことを思い出した。公園は暗渠の上に作られていたのだ。多分、紗雪はビルの裏手から暗渠をたどって公園に移動してきたのだろう。よく考えれば、集中砲火を浴びることなど分かり切っているのだから、そのままやられたりする訳がないのだ。
よ、良かった……。
英斗はへなへなと全身から力が抜けていくのを感じた。紗雪は英斗が考えるよりずっと賢く行動力もある。もう、泣き虫だった幼いころの紗雪ではないのだ。
英斗は大きく息をつき、頼もしい紗雪を見つめた。
すると、紗雪はあの赤いシャーペンで空中に何かを描き始める。空中に絵を描けること自体極めてナンセンスな話だったが、ペンの跡は緑色に蛍光して輝いていた。紗雪は大きな円を描き、中に六芒星を描き、そして円弧に沿ってルーン文字を書き加えていく。それはなんと魔法陣だった。
まさか……。
英斗は唖然とする。シャーペンで空中に魔法陣を描く女子高生、それはもはやファンタジーの世界そのものだった。
もちろん、昨日の超常的な紗雪の攻撃力も常軌を逸していたが、まだ『科学』という線も考えられなくはない。しかし、魔法陣となればもはや科学なんかではない、もはや異世界ファンタジーだった。
描き終わった魔法陣は緑色に怪しく輝き、直後、激しい閃光を放ちながら竜巻のような強烈な風の渦を爆発的に吹き出す。ゴォォォと激しい轟音を立てながら、竜巻は一気にビルの上に集まっていたパピヨールたちに襲いかかった。
無数いたパピヨールたちはあっという間に風の渦に引き込まれ、ズタズタに切り裂かれ、まるで空を舞うごみクズの山へと化していく。
逃げ出そうとしたパピヨールも激しい強風にあおられて渦を巻くように吸い寄せられ、最後には竜巻で処理されていった。
その鮮やかな殺戮劇に英斗は戦慄を覚える。かわいい幼なじみが繰り出したその恐るべき破壊力はもはや大量破壊兵器であり、とても女子高生のやる事には思えなかった。
一体紗雪はどうしちゃったんだ……。
科学では説明のつかない力を操る紗雪に英斗は戸惑い、頭を抱える。
もちろん、魔物を退治してくれたことは感謝したかったが、それ以上に紗雪が巻き込まれている恐ろし気な状況の方が気になってしまう。少なくとも小学生の頃は本当にただの可愛い女の子だったのだ。
いつから? なぜ? どうやって? これは紗雪の意志? 誰かにやらされている?
次々と疑問が頭の中をぐるぐると回り、英斗は目をギュッとつぶってうなだれた。
その時だった、
「あーあ、派手にやってくれおったな」
いきなり女の子のかわいい声が非常階段に響き、英斗はビクッとして固まった。
そっと穴をのぞくと、そこには金髪おかっぱの可憐な女の子が、手すりをつかんで紗雪の方を見下ろしている。中学生くらいだろうか、黒とグレーの近未来的なジャケットを着込み、その真紅の瞳にはゾクッとさせる何かを宿していた。
「おしおきタイムじゃ」
女の子はそう言うとポケットから水色のクリスタルのスティックを取り出し、高く掲げる。
直後、爆発音がして女の子は消え去り、上空に巨大な影が浮かんだ。
へ?
英斗が見上げると、そこには巨大な翼をはばたかせる恐竜のような巨体が浮かんでいた。いかつい漆黒の鱗に覆われた身体は金色の光を纏い、恐ろしい牙を生やした大きな口はまるでティラノサウルス……。そう、それはファンタジーによく出てくるドラゴンだった。
ギュアァァァ――――!
腹に響く超重低音の恐るべき咆哮が街に響き渡る。
英斗は目を疑った。あの可愛い女の子が凶悪な巨大ドラゴンに変身したとしか考えられないが、そんなことなどあるのだろうか? 物理法則も何もない。さっきの紗雪の魔法にしても、いつから日本は異世界になってしまったのだろう。
ドラゴンはバサッバサッと巨大な翼をはばたかせながら紗雪を目指した。
紗雪はすかさずシャーペンから光の筋を乱射しドラゴンに当てていくが、ドラゴンは平然としている。黄金に輝く重厚な鱗には全く通用しないようだった。
諦めた紗雪は今度は魔法陣を描き始める。瑠璃色に輝く円に六芒星、そしてルーン文字。
するとドラゴンは車をかみ砕けそうな巨大な口をパカッと開く。その中にはオレンジ色の光が輝き始めていた。
紗雪が魔法陣を描き終わると、魔法陣は激しく青い鮮烈な光を放ちながらツララのような巨大な氷の槍を無数射出する。ツララは鋭いエッジを光らせながら目にもとまらぬ速度でまっすぐにドラゴンへと襲いかかっていったが、直後ドラゴンは激烈な閃光を放った。
その閃光がもたらす激しい熱線は全てを焼き払う。ツララは瞬時に蒸発、公園の木々は茶色く焦げ、そして炎をあげていった。
「あぁぁぁ……、さ、紗雪……」
これがファンタジーの小説によく出てくるドラゴンブレスという奴だろうか?
実際に目にするとその圧倒的なパワーに英斗は気おされ、改めてドラゴンの破格な攻撃力にゾッとして言葉を失った。