だって、君は俺の妻だから~クールな御曹司は雇われ妻を生涯愛し抜く~
 そもそも前提からして間違っている。触れ合いを求める相手だから結婚したわけじゃない。久弥さんにとってこれは、夫婦として、光子さんや第三者を納得させるための触れ合いなんだ。

 その結論に至り、なにかがチクリと刺さってかすかな痛みを覚える。意味がわからない。

 そこでふと我に返り、お互いの息遣いを感じられるほどの距離に今さらながらパニックを起こしそうになる。なにか言って離れようとしたが、久弥さんの手が私の顔の輪郭に添わされ阻止される。

「瑠衣」

 さらになにかを訴えかけるように名前を呼ばれ、瞬きも息も止まった。

 ところか静寂に包まれたリビングにスマートフォンのバイブレーションの音が響いた。テーブルに置いていた久弥さんのもので、私はすぐに彼の膝から下りる。

 久弥さんは素早くスマホに手を伸ばして相手を確認した途端、眉をひそめた。

「どうした?」

 それでも出ない選択肢はないらしい。声に不機嫌さを滲ませながら応じる。そして電話の向こうから聞こえてきたのは女性の声だった。

 内容からしておそらく仕事の話なのだろう。そのわりに気安い雰囲気でやりとりしている。本能的に聞いてはいけないと思い、久弥さんに小声で先に休むと挨拶してリビングを後にしようとした。

 一瞬、久弥さんが電話を止めてこちらになにかを言おうとしたが、無視して振り向かずに部屋を出た。

 全室空調が整備されているとはいえさっきまでの体勢を考えたら、温もりが急に消えた形になり身震いする。自分をぎゅっと抱きしめて、とりあえず歯をみがいて寝支度を整えようと洗面所に急いだ。
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