妖狐とノブレス・オブリージュ
――モモはハルを愛していた。
今だってそう。心からハルを愛している。
……でも。
(……どうしよう)
モモは自身のお腹をさすりながら、途方に暮れた。
庭園の木の影に隠れたモモは、深いため息をつく。
このたび、モモがメイドとして仕えている屋敷の主人、ハル・レオナルドの子を授かってしまったのである。
(……嬉しい。すごく嬉しい。……でも)
突然現実を突きつけられたような感覚だ。
ハルとの身分の違いを思うと、どうしても手放しには喜べなかった。
「……どうしよう、どうしよう、どうしよう」
思わず頭を抱えてうずくまる。
「おー、どうした? コン」
庭園の隅で項垂れていたモモに声をかけたのは、ハルの執事のトト・マーチだった。
コンとは、モモの愛称である。トトしかモモをそう呼びはしないし、トト以外にコンと呼ばれて振り向く気もしないが、モモはトトに呼ばれるコンという愛称は嫌いじゃなかった。
「トトさま!」
「子狐め。こんなところで堂々とサボりか」
「うぅ、トトさま……」
モモの瞳に、みるみる涙が溜まっていく。トトがぎょっとして後退った。
「な、なんだなんだ?」
「聞いてくださいー!!」
「うわっ、落ち着け!」
モモが身ごもったことを話すと、トトはひどく驚いていた。
「はぁ!? ハルさまの子どもができた!?」
「はい……」
「いや、まずいだろ。ハルさまはレオナルド家の当主だぞ。それに……」
トトはモモをちらりと見つめ、口ごもる。トトが言わんとしていることは、モモにだって分かった。
トトが言いたいのはきっと、『産まれてくる子は、何者なのか』ということだ。
モモには、ハルに隠している秘密がある。
(……まさか、子ができるなんて……)
「ハルさまにはもう言ったのかよ?」
モモはぶんぶんと首を振る。
「い、言えません! 言えるわけありません……だって、私は……人じゃないんですから」
モモは東洋に古くから伝わる妖狐・九尾だった。
自国では九尾というだけで忌み嫌われ、除け者にされてきた。
一年前、モモは東洋和国を逃げるように離れた。
宛もなく西へと渡り続け、そして最終的に行き着いたのが、この異国・グラドリア王国だった。
そして、人に化けて街で生活していたモモが貴族であるハル・レオナルドに出会ったのは、今から約半年前のこと。
それはまるで、川が海へ流れ着くようになんの淀みもなく、ごくごく自然な一目惚れだった。
ハルが声をかけてくれたときは、踊り出したいほど嬉しかった。そのままメイドとして働き始めたモモは、ハルのことを知れば知るほど、どんどん好きになった。
いつしか惹かれ合い、想いを通わせたものの、モモはまだ九尾であることをハルに打ち明けられていなかった。
(……九尾と人間の子が、まともな子であるわけがない。子どものこと、ハルさまに知られるわけにはいかないな……)
「……トトさま。私、ハルさまのことは諦めます」
トトはハッとしたようにモモを見つめる。
「コン、まさか……ハルさまと別れるつもりか?」
「ハルさまに迷惑をかけるわけにはいかないから」
「お腹の子はどうするんだよ?」
「それは、これから考えます」
「屋敷の仕事は?」
「……とりあえず、お腹が目立つまではこのまま働かせてもらいます。なにかとお金は必要でしょうし……」
(少しでも、ハルさまのおそばにいたい……)
涙を堪え、ぐっと奥歯を噛むモモに、トトはため息をついた。
「……バカかよ」
トトは、指の腹でモモの涙を拭ってやった。
「……それで、トトさま。お願いがあるんです。聞いていただけませんか」
そして、モモはトトにとある頼みをした。