妖狐とノブレス・オブリージュ
「……まさか、あのハルがこんな子狐を囲うなんてねぇ」
向かいに座ったサクの視線が痛い。手足は自由だが、首輪が魔力を奪うのか、身体が重くてとても逃げられる気はしなかった。
サクは頬杖をつき、モモをちらりと見やる。
「ねぇあなた、どこの国の魔物?」
「……東洋和国です」
「へぇ。わざわざどうしてこんな西の国へ?」
「……それは」
モモは口を噤む。
「自分の国でも追いかけ回されて、命からがら逃げてきたってところかしら」
モモはぼんやりと自分の足元を見た。ネグリジェは既に土で汚れてしまっている。腕はハルとぶつかったときに擦りむいたらしく、血が滲んでいた。
「哀れな狐ね」
(どこに行くんだろう……)
モモは目を閉じた。馬の蹄の音が大きくなった気がした。
(……なんかもう、どうでもいいかも)
どの道、もう二度とハルとは一緒にいられない。それならいっそ、死んだ方がマシだ。
「あの……ハルさまのこと、本当にすみませんでした」
「なんの話?」
「知らなかったとはいえ、結婚が決まっていたハルさまを好きになってしまったこと……ごめんなさい」
「べつに、私はハルのこと好きじゃないし」
「……あんなにかっこいいのに?」
「変人を見るような目で見ないでくれる? あのね、貴族っていうのは、普通恋なんてしないのよ。家柄で結婚相手が決まるんだから、誰かを好きになったところで、その人とは結ばれないの。だから、結婚なんて形だけ。お互い他所で好きに遊ぶのよ」
サクはつまらなそうに窓の外を見つめていた。
「好きな人、いらっしゃらないんですか?」
サクは一度モモを見たものの、すぐに窓の外に視線を戻した。
「……ハルと私の家は、昔から魔物狩りの名家でね。その功績を称えられて、四大貴族の一端になった。だから、私たちはこれからもずっと、お家柄を保つためにあなたたちみたいな魔物を殺していく」
「好きでやっているわけじゃないってことですか?」
「当たり前でしょう。こんなこと。……私はあなたの命も好きな人も奪うことになるけれど、悪く思わないでね。同業者同士で結婚して、家を守っていくしかないの。ただそれだけのことだから」
モモはあぁ、と目を伏せた。サクもサクで、いろいろなものを抱えているらしい。
(私がサクさまだったら良かったのにな……)
今さら、ないものねだりをしても仕方がないことだけど。
「……でも、ハルさまは良い人です。優しい人だから、サクさまのこと、ちゃんと愛してくれると思います」
窓から差し込んだ朝日が、モモの頬に触れた。
『モモ』
もう二度と聞けない声が蘇る。心が疼く。
陽だまりのような、大好きな声。
初めから騙されていたのだとしても、殺されるだけだったとしても、この感情はそう簡単には消えてくれそうにない。
「……ついたわよ」
モモは檻の中に押し込まれた。サクは鍵をかけると、あっさりと出ていく。
檻の中はがらんとしていて、なにもなかった。窓も、水も、毛布もない。
格子以外は冷たい石に包まれていた。
(魔力を奪う邪拘石か……)
邪拘石は、魔力を奪う特殊な鉱石で、ちくちくと体力を奪い続ける。そんな石に囲まれたこの場所では、人間の姿すら今日一日保てるかどうか分からない。
どうやらモモは、この場で死ぬらしかった。