転生織姫の初恋

　校長にわけを話し、辞職の意を受け入れてもらうと、彦星は自分の荷物をすべて持って学校を出た。
「天月先生！」
　校門を出たところで、羽咲が声をかけてくる。
「羽咲先生？　どうなさったんですか？」
「学校を辞められるって本当なんですか？」
　羽咲は眉間に皺を寄せながら、彦星を見上げた。
「……僕に教育者の資格はないので」
「そんなことありません！」
　羽咲は頬を紅潮させて、強く否定した。必死なその様子に、彦星は苦笑を漏らしながら礼を言う。
「ありがとうございます。羽咲先生にそう言ってもらえただけで、この学校に来てよかったと思えます」
　彦星が優しく微笑むと、羽咲は彦星の手を取った。
「羽咲先生？」
　羽咲は彦星の手を握ったまま、なにかを堪えるように唇を引き結んだ。
「あの……私、天月先生のことが……」
　静寂の中、羽咲の想いが触れ合った手から伝わってくるようだった。
　――「先生？」
　二人だけの空間を作り出したとき、彦星の耳に、愛おしい人の声が響いた。
　びくりと肩が跳ね、声の方を見る。
「織……姫」
　校門にしゃがみこんでいる影が織姫だと気付いたとき、彦星は羽咲の手をパッと弾いた。羽咲も慌てて彦星から一歩離れる。
　一瞬、悲しげに瞳を揺らした織姫だったが、すぐに彦星を見る目は冷たくなった。
「……へぇ。なんだ。先生って案外モテるんだね。切り替えが早くて安心したかも」
「違います！　羽咲先生とはなにも」
　皮肉いっぱいの言葉と蔑むような織姫の視線に、彦星は言葉を途切れさせ黙り込んだ。
「織姫？　……聞いてください」
「もういい。心配して損した」
　織姫は背中を向け、歩き出した。慌てて追いかけようとする彦星の腕を、羽咲が掴む。
「なにするんです？　離してください」
　彦星は苛立ちを隠そうともせず、羽咲を睨む。
「ダメですよ。……彼女のことを想うなら、このまま嫌われ役をしてあげた方がいいんじゃないですか」
　羽咲の瞳は彦星を責めるようでも、馬鹿にしているようでもない。
「……どうして？」
「だって、彼女がもし天月先生に情があったのだとしたら、忘れられずに離れ離れになるのはあんまりです。天月先生、教師を辞められるんですよね？　彼女と離れるつもりなら、未練を断ち切ってあげた方が」
　織姫の瞳の奥に垣間見えたものに、期待をしてしまった。また手を伸ばそうとしてしまった。
　もう、彦星は彼女のそばにはいられないというのに。
「……そう……ですね」
　彼女のために、彦星は動きそうになる足を踏ん張った。
「僕は……こんなだから、あのときも彼女を守れなかったのか……」
　頭では羽咲の言葉が真っ当だと理解できる。けれど、彦星の心ははち切れそうなほどに悲鳴を上げていた。
　彦星の頬から、淡く儚い悲しみが流れた。
「……天月先生」
　静かに涙を流し出した彦星を、羽咲が優しく抱きしめる。
　そんな二人を、振り返った織姫が見ているとも知らずに……。