転生織姫の初恋

カササギに導かれて


 駆け出した織姫は、そのまま保健室に向かった。音の鳴る扉を開け中に入ると、薬品の匂いが鼻をつく感じが、妙に織姫の胸をざわつかせた。
「失礼しまーす」
 放課後の保健室には、誰もいなかった。
 たしか、彦星が辞めてからひとりだけ女の養護教諭が赴任したと聞いた。しかし、あれ以来保健室には足を運んでいなかった織姫は会ったことがない。

 織姫はかつての彦星のデスクに座る。
 殺風景なデスクから、彼の匂いはもうしない。
 あの白衣の翻る光景も、柔らかな陽だまりが転がるようなあの声も。
 優しく「おいで」と微笑みかけてくれるあの人はもういない。
 きっと、彦星が織姫の前に現れることは二度とないだろう。彦星とはそういう人だった。不器用で頼りないけど、人一倍真面目で優しい人。
「……先生……会いたいよ……」
 織姫は彦星のデスクに突っ伏し、涙を流す。
 あのまっすぐに好きだと言ってくれる瞳が見たい。彼の声が聞きたい。彼に触れたい。想いが湧き水のように溢れ出し、織姫の胸を締めつける。

 ――「本当に会いたい?」
 ふと、頭上から声がした。
 ハッとして顔を上げると、そこには白い鳥のぬいぐるみキーホルダーがある。
 こんなもの、あっただろうか。デスクの上にはなにもなかったように思ったが。
 そして、その面影にハッとする。
「……これ、先生のだ」
 そっと手に取る。
 彦星の忘れ物だろうか。
「ねぇ、彦星に会いたい?」
「え?」
 間違いなく、ぬいぐるみから声が聞こえた。織姫は驚き、思わずぬいぐるみから手を離す。
 すると、ぬいぐるみはばさばさと羽ばたき、輝き出した。
「キャッ……なに!?」
 一瞬眩しさに目が眩み、強く瞳を閉じる。そして瞼の裏を刺激する光が消えると、織姫はゆっくりと目を開いた。
 そこには、純白の美しい鳥が一羽、佇んでいた。
「私はカササギ。彦星の親友だよ」
「カササギ?」
 鳥が人の言葉を喋ったことよりも、いや、室内にいることよりも、なにより織姫の興味を惹いたのは、「彦星」という愛しい人の名前だった。
「もう一度聞く。彦星に会いたい?」
「……会えるの? もしかして、実家の場所を教えてくれるの? 会いたい。お願い、居場所を教えて」
 食い気味に懇願すると、カササギは首を横に振った。
「彦星がいるのは天界だ。普通、人間は会えない」
「天界?」
 そういえば、彦星はよくそんなことを言っていた。その話は実に現実離れしていて、織姫は冗談だとばかり思っていた。しかし、妙にリアルだったような気がしないでもない。
「本当に会いたいなら、導いてあげるよ。でも、これ以上彦星を傷付けるつもりならダメだ」
「傷付ける? 先生を?」
「そうだ。この半年、彦星は散々君に悩まされた。一番近くで見ていたのは私だからね。君はひどいよ。年上をからかうどころか、あんなに真っ直ぐな想いを弄んだんだから。今の君のように、彦星はいつもため息を零していたんだよ」
 カササギの言葉に、ズキンと胸が抉られるように痛んだ。
「織姫……ずっと傷付けてきたよね、先生のこと」
 今さら気付いたって遅いことはわかっている。傷付けた事実は消えない。彦星はもう、織姫という薔薇の蔓から解放されてすっきりしているかもしれない。
 今さら会いにいっても、もう遅いかもしれない。
「彦星はいつもこの曖昧な関係をどうしたらいいのかと、頭を抱えていた。でも結局、かつての面影を残した君を手放せなくて、あんなことになった。彦星は最後まで君を想ってたんだよ。自分が消える代わりに、彼女にはこれまで通りの生活をと校長に頭を下げて天界に戻ったんだ」
「……先生が?」
 一度止まったはずの涙が再び溢れ出す。
「それなのに君は、怠惰に毎日を過ごすばかり。これじゃ泣く泣く天界に戻った彦星が浮かばれないよ」
 織姫は嗚咽を漏らすように想いを訴えた。
「織姫……会いたい。やっぱり先生に会いたい。謝って、今度こそ好きって言いたい」
 泣きながら訴える織姫に、カササギは優しく笑った。
「それなら君の願いを叶えてあげる。さぁ、背中に乗って。君を天界の彦星の元へ連れて行ってあげよう」

 カササギは再び神々しい光に包まれると、さらに大きな鳥の姿になった。
「銀河鉄道じゃ遅すぎるからね。彦星に一刻も早く会いたいだろう?」
「うん!」
 織姫は迷うことなくカササギの大きな背中に乗った。
「振り落とされないでね」
「ありがとう、カササギさん」
 織姫がカササギにしがみつくと、純白の鳥は天高く舞った。

 
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