新そよ風に乗って 〜幻影〜
「それじゃ、仕事に戻って。中原も矢島さんも」
「はい」
席に着いて仕事を始めようとしたが、書類を見ていても気が散って頭に入っていかない。
これじゃ、いけないな。
大きく深呼吸して、気合いを入れ直して書類を見始めた。
高橋さんは、また会議に行ってしまい、中原さんも出たり入ったりしていて、栗原さんと2人になってしまうこともあったが、書類の整理に追われて、あっという間に退社時間が近づいていた。
「矢島さん。今日は、すみませんでした」
「ううん。もう、気にしないでいいから。これからも、頑張ってね」
小声で話し掛けてきた栗原さんに、変な蟠りは残したくなくて大人の対応を精一杯したつもりだった。
「でも、高橋さんが女好きの遊び人なのは事実ですから。フフッ……。せいぜい遊ばれないように、気をつけて下さいね」
栗原さん……。
「お先に、失礼しまあす」
「お疲れ様」
「お、お疲れ様でした」
栗原さんは、何事もなかったように席を立って挨拶をすると事務所を出て行ってしまった。
その後、どうしても栗原さんに言われたことが気になって、無意識に高橋さんを見てしまう。すると、たまに目が合って慌てて逸らしたりして……。
本当に、高橋さんは遊び人なんだろうか?
学生時代から……そんなに?
考えてみたら、高橋さんの素顔は、まったくベールに包まれていてよく分からないことばかり。私が知っている高橋さんは、本当にごく一部なんだろうな。
そんなことを思いながら、翌日は明良さんの病院に立ち寄りで行って診察をしてもらおうと、待合室で待っていた。
「矢島陽子さん。10番にお入り下さい」
明良さんの声がして、慌てて10番の扉をノックして返事が聞こえたので診察室の中に入った。
「おはよう。陽子ちゃん」
「おはようございます」
「どうかしたの?」
「えっ? な、何でですか?」
明良さんの第一声がそれだったので、何か服装がおかしいのかと思ってキョロキョロ見てみたり髪の毛を触ってみたりしたが、これといっていつもと変わらなかった。
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