新そよ風に乗って 〜幻影〜
「は、はい」
「確かに、貴博は過去に女関係の話に事欠かなかったのかもしれない。もっとはっきり言えば、女遊びも激しかったのかもしれない」
明良さん……。
やっぱり、栗原さんの話は本当だったの? 高橋さんは、そういう男性なの?
「だけど、それが陽子ちゃんの現在に、何か必要な情報なの?」
エッ……。
「今の貴博。否、高橋さんが、陽子ちゃんの上司でしょう? その上司の下で働くことになって、仮に、仮にだよ? 陽子ちゃんが、貴博を好きになったとしたら……」
「あ、明良さん! そ、そんなこと……」
「だから、仮にだって。仮定の話として、聞いてくれる?」
「はあ……」
明良さんが、突然そんなことを言い出したので、焦って話の途中で口を挟んでしまった。
「それは今の貴博を見て、知って、好きになったんだよね? 陽子ちゃんが知ってる貴博は、今、在る貴博であって、そこに過去の貴博は必要ないでしょ?」
「明良さん……」
「そりゃ、ねえ。気になるに決まってる。その心情は、俺もよく分かる。好きな人の過去や知らない部分って、本当は知りたいもんだよね。だけど、知らなくていいことだってある。今それを知って、どうこうなる問題でもないだろうしね。陽子ちゃんが、何処でそんな情報を得たのか知らないけど、今の貴博を信じて見ていればいいと思う。人の過去を知ったところで、その過去に自分が戻れるわけでもないんだから。今を、もっとしっかりと見つめていった方がいいから。差し当たって、陽子ちゃんは左足が完治目前なんだから、それに集中してさ」
「はい。そうですよね」
その過去に自分が戻れるわけでもない……。
本当に、その通りなのかもしれない。
高橋さんの過去を知ったところで、私は何をしたいんだろう? ただ、そんな過去があったという事実を知って、落胆するか、安心するかのどちらかしかない気がする。
聞きたいし、知りたいのは山々だけれど、知らない方がいいのかもしれない。今の高橋さんを見ていて、私はドキドキするんだから。
「それが分かったなら、早く貴博が居る会社に行かなきゃ、陽子ちゃん。きっと、結果を心配しながら待ってるよ。貴博も」
「はい。明良さん。ありがとうございました」
「はい、はあい。陽子ちゃん。1ヶ月後の診察日は、連絡するから。そのうち、またね」
「はい。よろしくお願いします」
診察室を出て会計を済ませて会社に向かうと、11時少し前に事務所に着いた。
「おはようございます。遅くなって、すみません」
「おはよう。矢島さん」
中原さんが、顔を上げて挨拶をしてくれた。
< 155 / 230 >

この作品をシェア

pagetop