新そよ風に乗って 〜幻影〜
『ミサ……』『ミサ……』『ミサ……もう少しだけ……お願い。寝かせて』
ミサという名前を、三度も呼んだ高橋さん。
表通りに出ても、走ることはやめなかった。走りながら車のヘッドライトの眩しさに目を細めると、涙が歩道にこぼれ落ちた。
慌てて上を見ると、10月中旬の街路樹は、青々としていて紅葉にはまだ早いようだった。
その時、パッパッとクラクションが鳴って、路肩に1台の車が停まった。
「陽子ちゃんじゃない?」
エッ……。
路肩に停まった車の助手席側の窓が開いて、明良さんが車の中から斜めに顔を覗かせた。
「明良さん……」
「やっぱりそうだ。似てる女の子が前から歩いてくるなあと思ってたんだけど、やっぱり陽子ちゃんだった。珍しいよね? どうしたの? こんな時間に、こんな場所歩いてるなんて。もしかして、貴博留守?」
高橋さんの名前を聞いて、ドキッとしてしまった。
聞きたくない。今、その名前を聞いたら私……また泣いてしまう。
涙を堪えながら、明良さんにバレないように俯いた。
早く行こう。明良さんと話していたら、また思い出してしまいそうだ。
「ご、ごめんなさい。終電の時間があるので、おやすみなさい」
「ちょっと、陽子ちゃん?」
明良さん。ごめんなさい。
また、歩道を走り出していた。
今は、誰とも話したく……。
「待って!」
うわっ。
左腕を掴んだ明良さんが、私の前に立った。
「今夜、確か飲み会じゃなかったの? 飲み会終わって、貴博の部屋に行ったんでしょ?」
明良さん……。
「そうなんでしょ?」
黙ったまま俯いた私の顔を、明良さんが覗き込んだ。
きっと、泣いているのがバレてしまう。
「あ、あの……。高橋さんでしたら、お部屋にいらっしゃいますから。それじゃ」
「ちょっと待って、陽子ちゃん」
「あ、明良さん。あの……本当に、急いでいるので……」
「足」
な、何?
「ひ・だ・り・あ・し」
エッ……。
すると、明良さんが私の左足を指さした。
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