新そよ風に乗って 〜幻影〜
「ごめんなさい……ごめんなさい。明良さん。もう、大丈夫ですから」
明良さんの胸を少しだけ押して離れると、明良さんが私の顔をまた覗き込んだ。
「無理しない方がいいよ。ストレス溜まると、体全体に良くないから」
「はい。ありがとうございます」
「送っていこう」
エッ……。
「あ、あの、大丈夫です。まだ、終電には時間がありますし……」
「陽子ちゃん。送っていくよ」
明良さん……。
「今、このまま1人で帰したら、俺、何か後悔しそうな気がする。気になって落ち着いて眠れない週末とかって、最悪じゃない?」
「明良さん」
それは、まさしく私のことを言われているようだった。
「でも、俺と一緒に居るのがそんなに嫌だったら、また話は別だけど」
「そ、そんな、そんなことないです」
「じゃあ、乗って?」
「あ、あの……」
明良さんは、私の腕を掴んで車の助手席のドアを開けた。
「俺、安全運転だから」
明良さん。
「はい。じゃあ、お言葉に甘えて……」
明良さんの車の助手席に乗って、初めて気づいた。
この車、高橋さんと同じ車だ。
思わず車内を見渡していると、明良さんが笑っていた。
「やっと、気づいた?」
「あ、あの、もしかして、明良さんの車と高橋さんの車は同じですか?」
「うん。同じだよ。ついでに、仁も同じ車に乗ってる」
「そ、そうなんですか」
知らなかった。3人共、同じ車に乗ってるなんて。
けれど、それから明良さんの車の中では殆ど会話がなかった。
助手席から見える景色と車内のシートは同じでも、この車は高橋さんのではなくて明良さんの車なんだということを、車に乗っている間中、何度も自分に言い聞かせている。しかも、明良さんの車に何故乗っているかという事の顛末は……。
そのことを思い出す度に、喉の奥が締め付けられるようだった。
「陽子ちゃん。着いたよ」
エッ……。
「あっ。すみません。ボーッとしてしまっていて……」
「大丈夫? 大丈夫なわけないか」
聞いてみたかった。
明良さんに、高橋さんが口にしたあの名前の人のことを。
だけど、聞いてどうなるのか?
聞いたところで、打ちのめされるだけなんじゃ……。
でも……それでも、聞きたい衝動に駆られる気持ちを胸の奥底に押し込めた。
「わざわざ送って下さって、明良さん。本当に、ありがとうございました」
「陽子ちゃん」
助手席のドアを開けて、車から降りようとした私を明良さんが呼び止めた。
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