新そよ風に乗って 〜幻影〜
何となく、直感でそんな気がしていた。前にも、高橋さんから聞いていたから。だからミサという名前を聞いた時、直ぐに高橋さんの忘れられない人の名前なんじゃないかと思っていた。その人と別れてから、高橋さんはまともな恋愛が出来なくなったと言ってた。仕事が恋人とも……。
「陽子ちゃん。陽子ちゃんが、もしこの先も貴博のことが好きで、それ故にいろんな障害の壁にぶち当たった時、その都度、陽子ちゃんは、貴博に応えを求めるのかな?」
「えっ?」
「だとしたら、多分、辛くて我慢出来なくなる時が来るかもしれない。それなら、今のうちに貴博のことはもうやめておいた方がいい」
明良さん?
「俺は、陽子ちゃんよりも貴博と付き合いも長いけど、分からない部分もたくさんあるんだよ。誰にも話さない、話せないことってあるからね。貴博がどんなものを背負ってるのかなんて、貴博自身にしか分からないことだからさ。もし、仮に過去の女性を忘れられないでいるとしても、それは俺達では解決してやれない問題なんだ。貴博が自分で解決するしかない問題だから」
そう言って明良さんは、また煙草の煙を肺に一気に吸い込んだ。
私は、どうすればいいんだろう?
「私……」
「それに、貴博にとって、キスは挨拶代わりみたいなもんだから。フォローになってないかもしれないけど」
エッ……。
キスは、あ、挨拶代わり?
「そんな……」
「だって、向こうで生活もしてたし、あれだけのルックスだからね。そんな感じのところも多分にあると思うよ?」
「そ、そうなんですか……」
高橋さんにとって、キスは挨拶代わりなんだ。
「何も知らなかった。何もなかった。何も聞かなかった。そう考えれば、いいんだと思うよ。それが、大人の付き合い方だと思う」
何も知らなかった。何もなかった。何も聞かなかった。大人の付き合い方……。
「き、聞かなかったことにすれば、いいんですか?」
唐突に、明良さんに向かってそんな言葉を口走っていた。
すると、明良さんは微笑みながら頷いてくれた。
高橋さんの辛そうな顔を見るのは嫌だし、酔った上でのことを問い質すようなこともしたくない。
ならば、最初から私が何も聞かなかったことにすればいいんだ。高橋さんの部屋で聞いてしまった名前も、起こってしまった出来事も……。
「陽子ちゃん。俺なんか、墓場までテイクアウトしなきゃならない現実が多過ぎて、大変なんだから。荷物が多過ぎて、お墓に入れないかも」
明良さんは、私を励まそうと冗談を言ってくれていた。
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