新そよ風に乗って 〜幻影〜

交換条件

宮内さん……。
土曜日の夜、高橋さんの家に来た女性。
『営業2課の宮内は大学の後輩だが、それ以外に何だったら気が済むんだ?』
あそこまで言うからには、高橋さんの言葉を信じている。
でも、その宮内さんが私に何を?
「時間は取らせないから、エレベーター1台遅らせてくれる?」
「は、はい」
エレベーターに乗ろうとして振り返った私の腕を掴んだ宮内さんは、手を離すとエレベーターホールの端に寄ったので、私もゆっくり歩いて後に続いた。
「単刀直入に言うわね。この前、高橋さんの家に行ったことは、誰にも言わないで」
「えっ? あっ、はい」
「私も、貴女が高橋さんの家に泊まってたなんて、誰にも言わないから。色々、誤解を招いてしまいそうだし、言わないでおいた方がいいでしょう?」
「は、はい。すみません。ありがとうございます」
「但し、交換条件があるの」
エッ……。
「だって、そうじゃない。 絶対的に貴女の方が、公になったら本当に困ることでしょう? 私は、まだね……フフッ……。泊まったりしてないから」
な、何?
交換条件って……。
「だから、高橋さんと、今度の土曜日に会う約束してくれる?」
「えっ? あ、あの……私がですか?」
「そう。それでね、待ち合わせ場所は、渋谷の駅ビルにしてくれるかしら?」
「渋谷の駅ビル……ですか? あの、でも……」
「大丈夫。会うのは私だから。貴女は、約束だけ取り付けてくれればいいの。後は何も心配しないで、足を早く治してくれればいいから」
「あの……でも、それって高橋さんを騙すことになりませんか?」
「騙す? 嫌だわ、人聞きの悪いこと言わないでよ。貴女は急に用事ができて、行かれなくなるの。だから、貴女は当日、待ち合わせ時間の5分前ぐらいに、行かれなくなったと高橋さんに連絡してくれればいいから。その代わりに、私が偶然を装って高橋さんに会う。ナイスでしょう?」
ナイスでしょう? って……。とても、そんな風には思えない。高橋さんを騙すなんて、私にはできない。
「すみません。私には……できません」
「あら? いいの? 貴女が高橋さんの家に泊まったこと、みんなにばらしてもいいのかしら? きっと、大騒ぎになるわよねえ」
「それは……」
「簡単なことでしょう? 時間とかは任せるけど、色々準備があるから、なるべく早めに決めて内線で連絡して。これ、私の内線と携帯の番号とメールアドレス」
そう言って、宮内さんから名刺を強引に手渡された。
「こ、困ります。私、やっぱり……」
「それじゃ、よろしくね」
「あの、待って……痛っ……」
ちょうど来たエレベーターに、宮内さんは飛び乗って行ってしまい、追いかけようとしたが、左足が思うように言うことを聞いてくれず、エレベーターのドアは閉まってしまった。
どうしよう……。
宮内さんの名刺を見ながら、後から来たエレベーターに乗った。
高橋さんを、騙すようなことなんて……。
事務所に着いて、会計のデスクへと向かう。
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