新そよ風に乗って 〜幻影〜
「それならいい。じゃあ、行くぞ」
エッ……。
「キャッ……」  
いきなり高橋さんが、私を抱っこして歩き出した。
「あ、あの、高橋さん。大丈夫ですから、お、降ろして下さい」
恥ずかしい。
「いいから暴れるな。俺のバッグが落ちるだろう?」
「えっ?」
高橋さんは、自分のバッグをどうやって持っているんだろう。見えないが、バッグを持ったまま私を抱っこしているらしい。
そう言われると……。
仕方なく大人しくしていると、エレベーターの扉が開く音がした。
「B2押して」
「は、はい」
高橋さんは両手が塞がっているので、そのままエレベーターに乗って私にボタンを押させた。
「あの……本当に大丈夫ですから、重いですし、降ろして下さい」
B2のエレベーターホールで、高橋さんがベンチに私をそっと座らせた。
「直ぐ来るから、此処で待ってろ。絶対、動くなよ?」
「はい」
私に指をさしながらそう言うので、素直に従って高橋さんに言われたとおり、ベンチに座って大人しく待っていると、程なく高橋さんが車をエレベーターホール前に横付けした。
そして、助手席のドアを開けると、助手席側で何かをしてからこちらに戻ってきたので、立ち上がろうとしたが、高橋さんが手で制止のサインをしたので、座ったまま待っていた。
「お待たせ。行こうか」
「はい。あの……歩けま……」
言い掛けたが聞き入れてもらえず、高橋さんに抱っこされて助手席に座ると、肩を静かに押されてシートに寝かされた。
「このまま寝てていいから、動くなよ?」
「はい……」
さっき助手席で何かをしていたのは、シートのリクライニングを倒していたんだ。
車を発進させ、地上に出たところで高橋さんがハザードを点けて路肩に車を停めると、
携帯電話を取り出して何処かに電話をかけ始めた。
「おかけになった電話番号は……」
抑揚のない無機質な女性の声のアナウンスが、高橋さんが耳から携帯を離しているので、こちらにもよく聞こえた。
「ヨシ! 出ないな」
はい?
高橋さん。何で、喜んでるの?
そして、また高橋さんは、何処かに電話をかけ始めた。
「もしもし……。高橋と申しますが、武田先生は……おお、良かった。まだ居て……。出ちゃったじゃねーよ。まだ居るだろう?……ああ、いいから。今からちょっと患者連れて行くから、着いたらまた連絡する。それじゃ」
「明良さん……ですか?」
「そう。じゃあ、行こうか」
「あ、あの……。私でしたら、大丈夫ですから。明良さんにも悪いですし、明日、土曜日なので、もしまだ痛いようだったら近くの病院に行きますから」
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