新そよ風に乗って 〜幻影〜
私の家は、此処なのに……。
運転席に座ってエンジンをかけた高橋さんの顔を見て、思わず口を開いた。
「高橋さん。私の家、此処なんですが」
「フッ……。言われなくても、分かってる。シートベルトして」
高橋さん?
「あの……」
「今夜は、俺に付き合え」
エッ……。
高橋さんが、不適な笑みを浮かべながら車を発進させた。
『今夜は、俺に付き合え』 って……。
「あの……」
「ん?」
信号待ちをしている時に、堪らず高橋さんに話し掛けた。
「そ、その……今、何処に向かっているんですか?」
「……」
高橋さんは黙ったままウィンクをすると、信号が青に変わったので車を発進させた。
高橋さん……。
いったい、何処に向かっているの?
何気なく時計を見ると、すでに日付けが変わっていた。
この置かれた状況に、眠さも疲れもすっ飛んでいたが、高橋さんと何処に向かっているのかが凄く気になっていて落ち着かない。
すると、高橋さんがコンビニの駐車場に車を停めた。
「ちょっと、煙草買ってくるから」
「は、はい」
高橋さんが車から降りていった後、頭の中はもういろんなことがぐるぐると忙しく駆け巡り出し、1つの言葉に行き当たって止まった。
『ハイブリッジって、案外、手が早そうだから気をつけなさいよ』
まゆみが、前に言っていた。
『今夜は、俺に付き合え』 とは、そういうこと?
まさか……。
「うわっ」
いきなりドアが開いて、高橋さんが戻ってきた。
「お待たせ。どうした? そんな驚いた顔して」
「い、いえ……。な、何でもないです」
でも、そういうことなのかもしれない。
私は、高橋さんを騙してしまったんだ。理由はどうあれ、嘘をついたことには変わりない。その代償が……。高橋さんだって、いくら上司とはいえ男の人。だから 『今夜は、俺に付き合え』 と言われてもおかしくない。行き先を教えてくれないのは、やっぱりそういうことで……。
だけど、もう1度聞いてみよう。もし、そうだとしても私が蒔いた種だもの。信号が赤になって停まったら、もう1度だけ聞こう。
「あの、高橋さん」
「何だ?」
「何度も聞いて申し訳ないのですが、何処に向かっているんですか?」
「いい所。着いてからのお楽しみ」
エッ……。
『いいところ。着いてからのお楽しみ』 って、それって……。
「あの、それって、その……」
「フッ……。今夜は、俺に付き合えと言ったら、そういうことだろ?」
やっぱり、そうなんだ。
高橋さんのことは好きだけれど、だけど何だろう? 何か凄くこの感じが嫌だ。まるで、交換条件みたいで。
あっ……。
これって、まるで宮内さんが、私に突きつけた交換条件と同じなんじゃ?
でも、私が招いたことだから仕方ないんだ。高橋さんは……。
「高橋さん。やっぱり、そういうことなんですね。でも、理由はどうあれ、私がしたことは高橋さんに嘘をついて騙したことと変わりありません。だから……覚悟はできてます」
馬鹿みたい。自分でやってしまったことなのに、何で涙が出るんだろう。でも、そんな思いとは裏腹に、堪えきれなくなって両手で顔を覆ってしまった。
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