薙野清香の【平安・現世】回顧録
 崇臣は無言のまま清香の頭をポンと撫で、椅子から立ち上がった。
 奇妙な沈黙が二人の間に流れる。心臓がトクントクンとうるさかった。


(なにか……なにか喋らないと)


 清香は唇をギザギザに結びながら、必死に考えを巡らせた。けれど、こういう時に碌な話題は見つからない。そもそも、二人の共通の話題と言うのは未だそう多くないのだ。


「そっ……、そうだ!あんた、芹香のこと、少しは認めてくれたの?」


 思わず口を吐いたのがそんな話題だった。けれど、認めてもらうなんて言い方、本当は芹香に失礼だ。自分自身に嫌気がさして、清香は眉を顰めた。


「別に、認めるも何もない。主が決めたことに俺は従うだけだ」

「そう……そうよね」


 清香はそう言いながら俯いた。


(黙っときゃ良かった)


 清香はひどく後悔していた。崇臣の答えなど、分かり切っていたし、無理に話をする必要もなかった。清香は一人、唇を噛んだ。


「とはいえ……最近の主は以前にも増して、よく笑っていらっしゃる。楽しそうにしていらっしゃる。俺はそれが嬉しいのだ」

「…………」


 崇臣はそう言って、穏やかに笑った。この男らしくない、明るい笑みだった。清香の心にかかった靄が、少し晴れた。


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