新そよ風に乗って 〜焦心〜
「じゃあ、何時だったらいい? 約束してくれるまで、離さないよ」
どうしよう……。
ますます、震えが止まらなくなってしまった。
けれど、急に右肩から遠藤主任の右腕が離れた。
あれ?
「忙しいんだから、余計な時間は取らせないでくれるか?」
エッ……。
高橋さんの声がして、自由になった右肩を左手で掴みながら後ろを振り返ると、高橋さんが遠藤主任の右腕を左手で掴んでいた。
「ハハッ……。別に、邪魔してるつもりはないさ」
遠藤主任が、笑いながら高橋さんに応えている。
「そうか? 俺には、十分無駄な時間に見えたが」
高橋さんは遠藤主任の腕を離すと、自分の机に書類を置いてから、また遠藤主任を見た。
うっ。
その目は、暫く見たことがなかった。あの何も映してない、色を成さない冷徹なほど抑揚のない瞳。遠藤主任を見たというより、睨んだといった方が正確なのかもしれない。
何も言葉を発しないまま、高橋さんのあの瞳で睨まれただけで背筋が凍る思いがする。
「何だよ、高橋」
堪らず、遠藤主任が高橋さんに問い掛けた。
「いや、別に。用がないなら、帰ってくれないか?」
高橋さんは、遠藤主任の問い掛けには目もくれずにそう告げて、書類を片付けながら席に座ると、受話器を取って何処かに電話を掛け始めて、もう次の動作に入っていた。
「会計の高橋ですが、お電話を頂きまして……はい……」
電話を掛けている高橋さんの姿を見て、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた遠藤主任は、そのまま黙って事務所から出て行った。
週末で遅くなってしまい、事務所を出たのは21時を過ぎていたため、中原さんは誰かと約束があったのか、終わると一足先に事務所を出て行った。
中原さん。デートかな?
「矢島さん。送っていく」
「えっ? あの、大丈夫です。まだ早いですから」
「いいから」
結局、高橋さんに送ってもらうことになってしまい、いつものように2階でエレベーターを開けて待っている間に高橋さんが警備本部に鍵を返して、また急いで戻ってきた。
地下2階まで行って、高橋さんの車に乗って駐車場を出た途端、高橋さんが路肩に車を停車させた。
どうしたんだろう?
すると、おもむろに携帯をポケットから出して、高橋さんが何処かに電話を掛け始めた。
「今、終わった。何処だ? ああ、分かった……それじゃ、これから向かうから」
電話を切った高橋さんが、こちらを見た。
「この後、帰ってから何か用事あるか?」
「いえ……特には」
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