新そよ風に乗って 〜焦心〜
「あっ、はい」
「それじゃ」
「行ってらっしゃい」
高橋さんを見送った後、金庫の中を見渡して大きく溜息が出てしまった。
さて、頑張って早く黒沢さんに再勘してもらわなくちゃ。
高橋さんに言われたとおり、正確に。だけど、迅速に出来ないのが私の駄目なところなんだ。
ようやく金庫のお金が合って、黒沢さんに思いっきり嫌みを言われながらも無事に金庫当番も終わった。その間、放り出していた仕事を再開するため急いで席に戻って、無数の電話連絡のメモが置いてあったので、まずはそれから片付けることにした。
やっと自分の机の書類の山に手を付け始めた時には、すでに時計は18時を過ぎていたが、明日に持ち越してもまた自分が辛いだけなので、書類の山を小高い丘にするぐらいのつもりで処理をしていたら20時近くになってしまい、周りを見渡すと殆どの人が帰った後で、事務所内には私を含め、後3人しか残っていなかった。
高橋さん達、遅いな。
会議が長引いているのか、高橋さんと中原さんもまだ戻って来ない。
私も、頑張らなきゃ。 
気合いを入れて、小高い丘になった書類に目を通し始めると、事務所に残っていた2人が帰り支度を始めて、事務所の鍵をよろしくと言って帰って行った。
残務処理も残り僅かになって、ようやく終盤が見えてきた。此処まで来れば、明日からまた少し楽になる。これが終わったら、私も帰ろう。そう思ったら、電卓を叩く速度も速くなっている。
その時、後ろのドアから誰か入って来る足音が聞こえた。
あっ。
会議が終わって、高橋さん達が帰ってきたんだ。電卓を叩く手を止めて、後ろを振り返った。
「おかえりなさ……」 
しかし、後ろを振り向くと、そこには最も会いたくない人が立っていた。
遠藤主任。
一気に全身が凍り付いたように、身動きがとれなくなった。呼吸も苦しい。
「1人?」
そのひと言にすら嫌悪感を覚え、ギュッと右手で拳を握りしめた。
高橋さんも中原さんも居ないだけでなく、事務所に誰も居ないこんな時に。
どうしよう……。
遠藤主任は事務所の中を見渡し、私の机の端に寄り掛かりながら置いてあったボールペンを手に取った。
「ふーん……。誰も居ないじゃん」
遠藤主任が、持っていたそのボールペンで私の髪の裾を払った。
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