新そよ風に乗って 〜焦心〜
「とんでもないです。中原さん。私こそ、仕事が遅くて。ご迷惑ばかりお掛けして、すみませんでした」
中原さんは、私が帰った後も残って書類の処理をしてくれていた。そのお陰で、なんとか来週に持ち越しすることもなく、今日までの分は終わらせることが出来た。
「そんなことないよ。高橋さんが居ない間、本当に頑張ってたよね」
高橋さんが、居ない間……。
中原さんと2階で降りて、警備本部に鍵を返して外に出た。
「金曜日だし、ご飯でも食べていく?」
エッ……。
「あっ。あの、すみません。せっかく誘って下さったのに、ごめんなさい。今日は、これから同期と飲み会で、その……」
「そうなんだ。あまり、飲み過ぎないようにね」
「は、はい。ごめんなさい。また、誘って下さい」
「OK! それじゃ、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
せっかく誘ってくれたのに、中原さんに申し訳ないことしちゃったな。先に歩いて行った中原さんの後ろ姿を見ながらそう思っていた。
携帯の画面を開き、まゆみから来たメール内容を見て、再度、場所と時間を確認してから集合場所に急いで向かった。
元々、月末処理で集合時間には遅れる旨をまゆみには話してあったので、すでに時間は過ぎていたけれど酷く焦ってはいなかった。
お店に入って店員さんに案内されて個室に向かうと、そこはお座敷で、もう私を除いた全員が揃っていて既に顔が赤い人も居る。
「すみません、遅くなりました」
「あっ、陽子。お疲れ様。こっち、こっち。陽子の席、此処だから」
「う、うん」
手招きをされてまゆみの席の隣に座ると、いきなりメニューを差し出された。
エッ……。
「お疲れ様。何、飲む?」
「あ、あの、ウーロン茶を」
「分かった」
そう言うと、前に座っていた人が手を挙げて店員さんに私のウーロン茶を頼んでくれた。
「柏木君。ちょっと、紀子の話聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」
「だから紀子、頭にきちゃって。それで、万里と一緒に言いに行ったのよ」
隣に座っている紀子さんという人に話し掛けられていたが、紀子さんという人は結構酔っている感じで、周りに座っている人に向かって語っている。
「俺、総務の柏木幾人。よろしく」
「あの、経理の矢島陽子です。よろしくお願いします」
「ウーロン茶の方は?」
「あっ、こっちに貰えます?」
店員さんの問い掛けに柏木さんは応えると、そのままウーロン茶とコースターを受け取って私の前に置いてくれた。
「すみません、ありがとうございます」
「じゃあ、経理の矢島さんも到着して全員揃ったので、もう1回乾杯しましょう。乾杯」
「乾杯!」
柏木さんの音頭で、みんなグラスを合わせて乾杯をしている。まゆみとグラスを合わせて、乾杯した。何か、申し訳なかったな。もう1回、乾杯して貰っちゃって……。
「乾杯。矢島さん」
エッ……。
いきなり後ろから声を掛けられて驚いて振り向くと、中腰だった声の主はまゆみの後ろに座った。
「陽子。紹介するね。営業の山川君。いつも話してる、陽子」
「初めまして、山川です」
「初めまして、矢島陽子です」
いつも話してるって、まゆみ?
「いつも、まゆみから矢島さんのことは聞いてます。なるほど、本当にキュートな人だね」
「でしょう? 陽子は、可愛いんだから。仲良しだけど、私とは正反対の性格なのよ」
「ま、まゆみ?」
山川さんとまゆみは、親しいのかな。2人とも肩が触れていても何とも思わないのか、ごく自然にしている。
「今の彼氏なの」
「ええっ!」
耳元で囁いたまゆみの言葉に、思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえながら辺りを見渡すと、柏木さんと目があってしまったので、恥ずかしくなって下を向いた。
「最近、付き合うことにしたの」
しかし、更にまゆみの新たな囁きに瞬時に顔を上げて、まゆみと山川さんの顔を交互に見た。
「まあ、そういうことだから。それもこれもひっくるめて、乾杯しようよ。陽子。よろしくね」
「う、うん」
「よろしくお願いします」
「あの、こちらこそ、よろしくお願いします」
まゆみと山川さんと改めて乾杯をした後、少し3人で話しているうちに、山川さんは話術があって面白い人だということに気づいた。
「ちょっと、俺トイレ行ってくる」
「うん」
山川さんが居なくなったところで、まゆみにすかさず話し掛けた。
「驚いちゃった。全然、知らなかったから。でも、素敵な人だね。話も面白いし、優しそう」
「でしょう? このまゆみ様の男を見る目だけは、確かなんだから」
「まゆみったら、本……」
エッ……。
胸を張って見せたまゆみを見ながら笑っていると、肩を叩かれた。
「さっきから、此処だけで楽しそうに話してるじゃん。僕も仲間に入れてよ」
誰?
「ああ、別に他愛のない話をしてただけよ。それより青木君こそ、紀子ちゃんだっけ? ご執心だったじゃない?」
まゆみは、本当によく知ってるな。総務だからということもあるかもしれないが、事情通というか、何でも知ってて驚いてしまう。
「まゆみちゃん。何か、言ったあ?」
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