温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
願い屋七つ星の仕事
「――それで、早速だけど、あなたの願いごとはなんですか?」
雫さんの問いに、紗月さんは一呼吸置き、言った。
「私の願いごとは、全国高校野球の試合日の天気をすべて晴れにしてほしいんです」
彼女は切実に雫さんに訴えた。雫さんは優しい顔で、「理由を聞いても?」と訊ねる。
すると、彼女は小さく頷き、
「私、野球部のマネージャーをやってるんですけど、今週末から高校野球大会の予選が始まるんです。だから三年生の部員のみんなに、どうしても試合をさせてあげたくて。だって、三年生にはこれが最初で最後の大会なんですよ」
「最初で最後?」
僕と雫さんは顔を見合せた。
「去年も一昨年も、ひどい豪雨で会場が浸水しちゃって、二年連続で中止になっちゃったんです」
そういえば、そんなニュースがあったようななかったような。
僕は部活なんてやったことないけれど、三年間打ち込んできた人間にとって、晴れ舞台を奪われるというのは、それはそれは辛いことだろう。
「雫さん」
僕が訴えるように彼女の名を呼ぶと、雫さんは笑顔で頷いた。
「分かりました。それなら、全国高校野球大会のすべての日程をあとで教えてください。そうしたら試合会場周辺の天気をその日一日晴れにするよ。あなたの願いはそれでいいかな?」
すると、紗月さんはこくこくと頷いた。
「はい。本当に出来ますか!?」
「うん。約束する。でも、その代わりに対価はいただくよ? そうだなぁ……今回の対価は、あなたの二番目に大切にしているもの。それでもいい?」
「……はい」
紗月さんは一瞬迷うように瞳を揺らし、頷いた。
「それから、晴れにするのは自分の高校の試合日だけにすることもできるけど、どうする?」
雫さんはじっと紗月さんを見つめる。
「……野球をやってる人は、ライバルだけどみんな大切な仲間だから、全部の日を晴れにしてほしい」
紗月さんは、雫さんをまっすぐに見て言った。
紗月さんは部員思いで、ちゃんとスポーツマンシップを弁えているマネージャーのようだ。
「分かりました。じゃあ、いくよ」
雫さんがパチンと指を鳴らす。すると、彼女の指の上できらりと星が弾け――僕たち以外の時間が、止まった。
そして、同時に現れた白い蝶が羽を休めるように雫さんの肩に止まった。
僕も紗月さんも、驚いたように目を丸くして辺りを見る。風も、音も、色もない。世界から僕たちだけが切り離されていた。
雫さんの手には、桃色の短冊がある。
「紗月ちゃん。これが最後。本当に、願いを叶える?」
「はい」
「じゃあ、ここに願いごとを書いてください」
紗月さんが短冊に願いを書き終えると、雫さんの肩にいた蝶がふわりと止まった。そして、蝶は短冊に止まると淡く発光し、煌めく鱗粉とともに消えた。
静かにそれを見ていた僕は、雫さんに視線を移す。彼女はケロッとした様子で指を鳴らし、止まっていた時を動かす。
「これであなたの願いは叶えられました。それじゃあ、対価の件は追って連絡しますね。もちろん、あなたの願いが叶ってからもらうようにするから、安心して」
僕は思わず、
「えっ、もう終わり?」
「うん」
これで本当に彼女の願いは叶うのだろうか。
雫さんを信じてないわけじゃないけれど、なんだかとても呆気ないというか、軽いというか……そう、拍子抜けだ。
「ありがとうございます」
願い屋というと怪しい響きだと思ったけれど、僕の心配は杞憂に終わったようだ。
それにしても、科学の時代にこんな非現実的なものに頼みに来るなんて。
僕は彼女の魔法を何度もこの目にしているから信じているが、彼女と雫さんは今日が初対面で、魔法の存在など知らないはずなのに。
……それに。
彼女が僕に説明しようとしない『対価』という言葉が、ほんの少しだけ引っかかる。
聞いてもきっと、雫さんは答えてくれないだろうから、あとで理事長にでも聞いてみようかな。
「お待たせしましたー。ペンギンパフェとジュゴンパフェ、スナメリケーキと珈琲になります」
店員が持ってきた巨大なパフェに、雫さんと紗月さんの瞳が光る。
「きゃー! きたきた!」
雫さんの頼んだジュゴンパフェは、大きなプリン用の平たいグラスにバニラアイスとムース、生クリームでジュゴンを形作った可愛らしいパフェだった。
底には海藻を模した飴細工とチョコレート細工の装飾まであって、素人目に見てもかなり凝っている。
紗月さんの頼んだペンギンパフェもなかなかの出来で、立体のペンギンとナタデココやゼリーで出来た氷が飾られ、さらに底にはドライアイスまで敷かれ、もくもくと涼やかな煙まで演出されている。
僕のスナメリチーズケーキも、スナメリがお皿にちょこんとポーズをとっていた。
「わぁ……可愛い」
女の子というものは、やはり甘いものには目がないらしい。紗月さんはひと言僕たちに断りを入れてから、楽しそうに写真を撮っていた。
「ムギちゃん見てみて、これマシュマロかな? 生クリームもこんなにいっぱいだよ」
「雫さん、こんなに食べ切れるの?」
「任せてくださいよ! こんなの五分でペロリですよ」
雫さんはそう言って、ペロリと唇を舐める仕草をした。
「あ、でもムギちゃんのも美味しそう。一口ちょうだい」
「もちろん」
僕はスナメリの形をした立体のチーズケーキをフォークに取り、雫さんの口に持っていく。
「あーん」
雫さんはまるで餌付けされる雛鳥のように、素直に口を開けた。
「んふー」
雫さんの笑顔にふにゃふにゃになった僕と、美味しそうにケーキを頬張る雫さんを見て、紗月さんが言った。
「あの……おふたりって付き合ってるんですか?」
「えっ?」
そういえば、依頼人がいることをすっかり忘れてた。完全に二人の世界に浸ってしまっていた。
「ふひあっへなひよ」
「雫さん、食べながら喋っちゃダメ」
「はーひ」
ごくん、と口の中を綺麗にすると、雫さんは改めて彼女に言った。
「付き合ってないよ」
「そうなんだ……でも、すごく仲がいいんですね。羨ましい」
僕たちを羨ましそうに見つめ、紗月さんは言った。その視線にピンと来たのか、雫さんが言う。
「もしかして、野球部に気になってる子がいるの?」
「はい。でも……その人は野球にしか興味無いような人だから、私のことなんて全然」
「でも、あなたの想いは伝わってると思うよ。野球に対しても、その彼に対しても」
そう言った雫さんの声はびっくりするくらいに優しかった。
「……そうかな。そうだといいな」
紗月さんは、少しだけ照れくさそうに、ぱくりとパフェスプーンを咥えた。
「大会、いい結果出るといいね。応援してる」
「ありがとうございます」
そうして、紗月さんはパフェを食べ終わると、晴れやかな顔をしてカフェを出ていった。
その後、紗月さんがどんな対価を払ったのかを僕は知らない。