温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
温室の魔女
世界各地の珍しい植物が咲き乱れる、日本有数の温室を持つ、透鏡都唐草区にある小中高大一貫の私立花籠学園。
僕、綿帽子紬は、その高等部に所属している。
そんな僕には好きな人がいる。その子はいつも学園の温室にいて、甘いものと紅茶が大好きな、儚げで蝶のように可愛い女の子だ。
生い茂る植物と、ほわんとした温室独特の温度。明るく暖かい昼間を演出された室内には、色鮮やかな植物の他にも世界各地に生息する珍しい蝶や鳥たちがいて、温室特有の生態系を作っている。
僕は放課後になると、その温室へ訪れるのが日課になっていた。
大きくすくすくと育った植物を縫うように歩き続け、誰も知らない小さな扉の前に立つ。
そして、そっとその扉に手をかけた。
錆が擦れる音とともに、その扉がゆっくりと行く先を示す。
その扉をくぐると、僕の体は不思議な空間に投げ出され――。
――ずでん。
いつの間にか、見知らぬ場所にいる。
足を踏み入れると、そこはやはり温室で。大きな葉をつけた植物たちが茂り、蝶がひらひらと舞っているが、しかしそれはシルエットにとどまっていた。
その代わりに存在感を示すのは、つぎはぎの宇宙に演出された一面紫色とオレンジ色の入り混じる朝焼けの空。
大きなドーム型になっている温室の中央、関係者以外立ち入り禁止の場所には、立派なプラネタリウムが備わっていた。
僕が足を進めると、その度に蝶が驚き羽を動かし舞い上がる。鳥も警戒色の強い声を薄暗いホールに響かせた。
「ムギちゃん!」
鳥が騒ぎ出したことで存在に気付いた彼女が、僕の名を呼ぶ。
弾む鉄琴のような可愛らしい声で僕の名を呼び、その人は中央の桜の巨木の根にある樹洞から現れた。
純白の車椅子を音もなく動かし、その人はやってくる。
「―― 雫さん」
絹糸のような長く艶のある髪と、くっきりとした二重の深い藍色の瞳。陶器のように澄んだ色の肌はきめが細かく、動かなければまるで人形と見まごうほど。
彼女は今日も、白色と茶色を基調とした清楚なワンピースに身を包み、赤いフード付きのケープを羽織っている。そしてそのケープを羽織った肩には、小さな栗鼠がちょこんと大人しく乗っかっている。
僕は彼女――雫さんに歩み寄った。
「おやつの時間だねっ!」
雫さんは嬉しそうに、僕が持つバスケットを見つめた。その視線の流れに、致し方ないとは思いながらも、少しだけムッとする。ほんの、少しだけ。
「僕よりお菓子を待ってたの?」
彼女のためにスイーツを持ってきたことには変わらないけれど、彼女にはスイーツより僕を楽しみにしてほしかった。
なぜなら、僕は彼女のことが好きだから。
そう、僕には好きな人がいる。それは紛れもなく、今目の前にいる彼女―― 英雫さんだ。
すると、雫さんはくしゃりと笑った。その笑顔はとても同い年とは思えないほどあどけなく、可愛らしい。
「そんなことないよ。ムギちゃん遅いから、今日は来てくれないかと思っちゃった」
雫さんは特別寂しくもなさそうに言うが、一瞬だけ彼女の視線がぐらついたのを僕は見逃していない。
見ると、樹洞のすぐ横にアフタヌーンティーの準備が完璧にされていることに気付いた。
僕を待ってくれていたのは本当らしい。思わず口元が綻ぶ。
今はそれだけでも満足だと思った。
「……ごめん。今日はマカロンだったから、丁寧にバスケットに入れないと形が崩れちゃうと思って」と、僕は手に持ったバスケットを掲げて苦笑した。
その瞬間、彼女のガラス玉のような藍色の瞳がキラリと輝く。
「マカロン!? やったぁ!」
「雫さん、マカロン好きだもんね」
「うん! 好き!」
彼女はくるくると踊るように車椅子を回転させ、カフェテーブルへ移動する。
「ささっ、ムギちゃん。ティータイムの時間ですよ」
雫さんは両手を揃えて、自分の向かいの椅子へ僕を促す。
こうやって僕は今日も、彼女とのアフタヌーンティーを楽しむのだ。
雫さんは紅茶を好んで飲む。そして、いつも彼女は紅茶に小さな宝石を入れるのだ。
その宝石の実態はよく分からない。本物の宝石のようにも見えるし、精巧に作られた砂糖菓子のようにも見える。
雫さんは空色のまあるい水晶玉のような宝石を、いつも通りぽとんと紅茶に沈めた。
そして、雫さんの白く細い喉元が、小さくこくんとその宝石を飲み込む。
僕はその様子を、この目に焼き付けるようにじっと見つめた。
漆黒の長い睫毛に縁取られた、綺麗な瞳。その瞳がゆっくりと開くと、彼女は「美味しい」と息を吐くように言った。
「ムギちゃん?」
じっと見惚れていた僕に気が付き、雫さんはかたんと小首を傾げる。どうしたの、ムギちゃんは飲まないの、と。
「……雫さんがいつも、あんまり幸せそうに紅茶を飲むから、つい」
「えぇ、そう? 普通だよ」
僕の言葉に、彼女は少しだけ照れ臭そうに頬を桃色に染めた。
そんな彼女は、ぱくりとマカロンを齧る。あんなに小さいと思っていたマカロンも、彼女の口を前にするとかなり大きく見えてしまう。
僕はそわそわと落ち着かない様子の彼女を見つめ、出会った頃のことを思い出していた。
僕、綿帽子紬は、その高等部に所属している。
そんな僕には好きな人がいる。その子はいつも学園の温室にいて、甘いものと紅茶が大好きな、儚げで蝶のように可愛い女の子だ。
生い茂る植物と、ほわんとした温室独特の温度。明るく暖かい昼間を演出された室内には、色鮮やかな植物の他にも世界各地に生息する珍しい蝶や鳥たちがいて、温室特有の生態系を作っている。
僕は放課後になると、その温室へ訪れるのが日課になっていた。
大きくすくすくと育った植物を縫うように歩き続け、誰も知らない小さな扉の前に立つ。
そして、そっとその扉に手をかけた。
錆が擦れる音とともに、その扉がゆっくりと行く先を示す。
その扉をくぐると、僕の体は不思議な空間に投げ出され――。
――ずでん。
いつの間にか、見知らぬ場所にいる。
足を踏み入れると、そこはやはり温室で。大きな葉をつけた植物たちが茂り、蝶がひらひらと舞っているが、しかしそれはシルエットにとどまっていた。
その代わりに存在感を示すのは、つぎはぎの宇宙に演出された一面紫色とオレンジ色の入り混じる朝焼けの空。
大きなドーム型になっている温室の中央、関係者以外立ち入り禁止の場所には、立派なプラネタリウムが備わっていた。
僕が足を進めると、その度に蝶が驚き羽を動かし舞い上がる。鳥も警戒色の強い声を薄暗いホールに響かせた。
「ムギちゃん!」
鳥が騒ぎ出したことで存在に気付いた彼女が、僕の名を呼ぶ。
弾む鉄琴のような可愛らしい声で僕の名を呼び、その人は中央の桜の巨木の根にある樹洞から現れた。
純白の車椅子を音もなく動かし、その人はやってくる。
「―― 雫さん」
絹糸のような長く艶のある髪と、くっきりとした二重の深い藍色の瞳。陶器のように澄んだ色の肌はきめが細かく、動かなければまるで人形と見まごうほど。
彼女は今日も、白色と茶色を基調とした清楚なワンピースに身を包み、赤いフード付きのケープを羽織っている。そしてそのケープを羽織った肩には、小さな栗鼠がちょこんと大人しく乗っかっている。
僕は彼女――雫さんに歩み寄った。
「おやつの時間だねっ!」
雫さんは嬉しそうに、僕が持つバスケットを見つめた。その視線の流れに、致し方ないとは思いながらも、少しだけムッとする。ほんの、少しだけ。
「僕よりお菓子を待ってたの?」
彼女のためにスイーツを持ってきたことには変わらないけれど、彼女にはスイーツより僕を楽しみにしてほしかった。
なぜなら、僕は彼女のことが好きだから。
そう、僕には好きな人がいる。それは紛れもなく、今目の前にいる彼女―― 英雫さんだ。
すると、雫さんはくしゃりと笑った。その笑顔はとても同い年とは思えないほどあどけなく、可愛らしい。
「そんなことないよ。ムギちゃん遅いから、今日は来てくれないかと思っちゃった」
雫さんは特別寂しくもなさそうに言うが、一瞬だけ彼女の視線がぐらついたのを僕は見逃していない。
見ると、樹洞のすぐ横にアフタヌーンティーの準備が完璧にされていることに気付いた。
僕を待ってくれていたのは本当らしい。思わず口元が綻ぶ。
今はそれだけでも満足だと思った。
「……ごめん。今日はマカロンだったから、丁寧にバスケットに入れないと形が崩れちゃうと思って」と、僕は手に持ったバスケットを掲げて苦笑した。
その瞬間、彼女のガラス玉のような藍色の瞳がキラリと輝く。
「マカロン!? やったぁ!」
「雫さん、マカロン好きだもんね」
「うん! 好き!」
彼女はくるくると踊るように車椅子を回転させ、カフェテーブルへ移動する。
「ささっ、ムギちゃん。ティータイムの時間ですよ」
雫さんは両手を揃えて、自分の向かいの椅子へ僕を促す。
こうやって僕は今日も、彼女とのアフタヌーンティーを楽しむのだ。
雫さんは紅茶を好んで飲む。そして、いつも彼女は紅茶に小さな宝石を入れるのだ。
その宝石の実態はよく分からない。本物の宝石のようにも見えるし、精巧に作られた砂糖菓子のようにも見える。
雫さんは空色のまあるい水晶玉のような宝石を、いつも通りぽとんと紅茶に沈めた。
そして、雫さんの白く細い喉元が、小さくこくんとその宝石を飲み込む。
僕はその様子を、この目に焼き付けるようにじっと見つめた。
漆黒の長い睫毛に縁取られた、綺麗な瞳。その瞳がゆっくりと開くと、彼女は「美味しい」と息を吐くように言った。
「ムギちゃん?」
じっと見惚れていた僕に気が付き、雫さんはかたんと小首を傾げる。どうしたの、ムギちゃんは飲まないの、と。
「……雫さんがいつも、あんまり幸せそうに紅茶を飲むから、つい」
「えぇ、そう? 普通だよ」
僕の言葉に、彼女は少しだけ照れ臭そうに頬を桃色に染めた。
そんな彼女は、ぱくりとマカロンを齧る。あんなに小さいと思っていたマカロンも、彼女の口を前にするとかなり大きく見えてしまう。
僕はそわそわと落ち着かない様子の彼女を見つめ、出会った頃のことを思い出していた。