温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜

消えた記憶


 ――翌日、僕はバスケットを手に温室へ向かった。
 今日は雫さんとの約束通り、ミルフィーユをバスケットに入れて。

「ムギちゃん、ムギちゃん! 待ってたよ!」

 温室へ行くと、雫さんが浮かれた子犬のように、車椅子ごと僕にまとわりつく。
 なんとも素晴らしい魔法裁き。恐れ入る。

「僕をじゃなくて、ミルフィーユを?」
 からかうように言うと、雫さんは媚びるように言う。
「違うよー。ミルフィーユを持ってくるムギちゃんを待ってたんだよっ」

 語尾が跳ねている。まるでハートマークがつきそうな勢いだ。
 そんなに喜んでもらえると、勘違いしてしまいそうになるじゃないか、もう。
「なんだか今日は元気だね? 雫さん」
「うん! 今日はなんだか体の調子がいいんだ。ささ、ムギちゃん。幸せなアフタヌーンティーを始めよう」

 ルンルンとご機嫌な雫さんが指を鳴らす。
 星屑が弾け、カフェテーブルにあっという間に淹れたての紅茶とジャム、それにカラフルな宝石たちが現れた。

 雫さんは早速ミルフィーユをつつき出す。

「んー幸せ……ムギちゃん、ミルフィーユ美味しいねぇ」
 ミルフィーユをもぐもぐと無邪気に頬張る姿に、つい顔が綻ぶ。

「うん」
 僕は紅茶を啜りながら、雫さんを見つめた。

 雫さんは、いつものように紅茶にジャムと赤い水晶玉のような宝石を落とした。

 僕はそれを深く考えず、無糖の紅茶を口に含む。

「今日も絵を描いてたの?」
「うん。見る?」

 雫さんが差し出したスケッチブックを、僕はいつものようにぱらりと捲った。

 そこには相変わらず雫画伯のよく分からない絵がいくつかと、驚くほど美しく精巧に描かれた絵がいくつか。

 そのひとつに目を止める。

「……ん? ああ、それね。私のともだちが描いたの。上手だよね」
「この人……」

 誰だろう。知っていたような気がするのに、思い出せない。
 頭を悩ませる僕を、雫さんはじっと見つめていた。

「知ってる人?」
「……いや。知らないと思う。上手すぎて誰かと勘違いしたのかも」
「ねね、それよりこれ見てー。さて、誰でしょう!」
「……えーこれはまた……」

 難問過ぎる。まず生き物か、それとも無機物か。

「ぶっぶー! 正解はムギちゃんでした!」
「嘘だっ!? これが僕!?」

 待て待て、まず、目はどこだ!?

「ふふっ。ムギちゃんてば変な顔ー」
「いやいや、雫さんが描いたんでしょー! こんなの僕じゃない!」
「あははっ!」

 僕はむくれながらスケッチブックを閉じる。
 そこに描かれていた絵の人物は、かつて願い屋七つ星に依頼に来た南塚晴だった。

 その後、僕たちのティータイムで、彼らの話題が出ることはなかった。
< 22 / 58 >

この作品をシェア

pagetop