温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
モモとクロ
――目の前には、ほんのりと桃の香りを漂わせる紅茶と、雫さんが持ってきたギモーヴと、モモさんが用意してくれていた高そうなチーズケーキがある。
「わがままに付き合わせてしまって、ごめんなさい」
モモさんが改めて頭を垂れた。
「いえいえ。こんな貴重なライブが見れるなんて、凄く嬉しいです。実は私、前からお二人の大ファンで」
雫さんは柔らかい口調で丁寧に言った。こうやって大人しく笑っていると、とてもまともそうに見えるけれど、実際のところは自由奔放なただの甘いもの好きな魔女だ。
もちろん、これは雫さんを悪く言っているわけではなくて、ただ見た目がいい人って得だな、って言いたかったわけで。
しかし、その言葉にモモさんは表情を暗くした。
「……ライブ前にあなたたちを呼んだのには、理由があるんです」
「と、言いますと?」
「実はクロ、今歌えない状態なんです」
「えっ……」
クロとは、モモの幼馴染の相棒だ。
黒髪は女性のように長く、いつも胸元がガッツリ開いた白いティーシャツとジーンズの上から、黒い丈の長いコートを着ている。
こめかみに星のヘアピンをつけていて、それが彼のトレードマークとなっている……らしい。
「でも、じゃあこのコンサートは……」
クロが歌えないのにこの場を、こんな大規模なコンサートを設けたということは、彼女の願いごとはもしかして……。
「クロは少し前から、声を失っています。日常生活での声は出るんですけど、なぜか歌だけが歌えなくなっちゃったんです。病院に行っても異常はなくて、原因は分からないままで……今日も声は出てません」
モモさんは俯きがちに言った。
モモの相棒であるクロが歌えなくなったのは、本当に突然のことだったそうだ。
原因もわからず、病院で診てもらっても問題なし。しかし、既に決まっていたこのスペースグラウンドでのコンサートをキャンセルすると、膨大な費用がかかってしまい大赤字になってしまう。
だから、今回はモモだけ生で歌い、クロは口パクで誤魔化そうという話になっているらしい。
「じゃあ、あなたの願いは、彼が歌声を取り戻すこと?」
「はい。でも、私が彼の歌声を取り戻してほしいのは、お金が動くからではなくて……」
キュッと唇を結んだモモさんに、雫さんが控えめに訊ねる。
「……私とクロは幼馴染で、小さい頃からずっと一緒だったんです。お互い歌が大好きで、大きくなったら一緒に歌手になろうって約束していて」
「今のこの状況を、ずっと夢見ていたんですね。素敵です」
「……でも、最初はなかなか上手くいかなくて、今、ようやくなんです。今が一番大切なときなんです。お願いします。クロのためなら、私なんでもしますから!」
雫さんと僕は顔を見合わせた。
「……モモさん。あなたの願いを叶えることはできます。……でも、それはあなたの願いと矛盾してしまうかもしれない」
雫さんが目を伏せた。長い睫毛が憂いげに揺れ、僕は一瞬時を忘れてその横顔に魅入ってしまう。
そんな雫さんに、モモさんは訝しげに眉を顰めた。
「どういうことですか?」
「願いを叶えるには、対価をいただくことになるからです」
「もちろん払います! お金でも、なんでも言ってください」
モモさんは雫さんへ前のめりに答えるが……。
しかし、雫さんはモモさんを見つめて黙り込んだまま。
そして、雫さんはモモさんへ残酷な言葉を突き付けた。
「……クロさんの歌声を戻す対価は、あなたの歌声」
「!」
モモさんが息を呑む。
「わ……私の声が、対価?」
雫さんは紅茶に写る自分を見つめるように、視線を下に向けた。
「そんな……お願い。違うものなら、なんでもあげるから」
「ダメです。あなたの願いを叶える対価はあなたの歌声、一択」
こういうことは、これまでもあった。けれど、僕はなにも言えないまま、ただ黙ってそれを見守るしかない。
だって、僕に魔法は使えないし、雫さんを説得する力もない。雫さんは、一度決めたら考えを変えることはまずない人だ。
「雫さん……でもそれだとどう転がっても、これからのコンサート、モモさんかクロさんのどちらかが歌を歌えないってことになっちゃうよ」
「仕方ないよ。対価だもん。もちろん、今回のコンサートだけは歌えるよう計らうよ。このコンサートを見届けてから、モモさんからは対価をもらうことにするから」
僕の言葉にも、雫さんは動じることはなく、あっさりとしていた。あんなに楽しみにしていたカラードールのコンサートが消滅の危機だというのに。
「……私の歌声を差し出せば、クロの声は元に戻るの? 前のように歌えるの?」
モモさんの問いに、雫さんはこくりと頷く。