温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
雫さんとの出会いは、半月前の三月。春休みのことだった。
僕は綿帽子紬、十六歳。去年の春に、この花籠学園高等部に外部から転入した。
僕の実家は洋菓子店を営み、学園と同じ透鏡都唐草区にあるのでわざわざ寮に入る理由はなかったが、この学園が全寮制だから仕方なく入寮した。
小学校からエスカレーター式のこの学園で、高等部から飛び入った僕にともだちなんてものができるわけもなく、僕は一年が過ぎようとしたこの季節でもひとりぼっちだった。
放課後はいつも温室に行くのが日課になっている僕は、ともだちがいないことを特に気にしていない。
うん。気にしていない……はず。
というか、ともだちなら人間じゃなくてもいいじゃないか。
植物はものをいわないし、花は静かに香る。蝶々は美しい羽根から鱗粉を撒き散らして視界を彩ってくれるし、鳥は可愛らしいさえずりを聴かせてくれる。
ここは癒しだ。
いつも一人でここをのんびりと散歩するのが僕のかけがえのない時間。誰にも邪魔されたくないひとときなのだ。
そして、ともだちがいないと言った僕だけど、一人だけ、いる。いや、正確には一匹?
「きゅっ!」
小さく喉を鳴らしたような、声とも言えないような音。
僕の足元に、小さな小さな栗鼠がいた。僕を怖がりもせず、つぶらな瞳をじっとこちらに向けている。
「おー、チビ。来たの」
「きゅ」
栗鼠は僕の声に反応するように、軽々と僕の肩まで登ってくる。僕はポケットからひまわりの種を数粒取り出すと、栗鼠にやった。
栗鼠はちょこちょことした可愛らしい動きで、すべての種をみごと頬の袋にしまい込んだ。
「誰も取らないんだから、ゆっくり食べればいいのに」
苦笑しながらも、僕はその様子を微笑ましく見つめていた。
この栗鼠はここに住み着いているらしく、いつも温室に来ると僕の元へ餌をねだりにやってくる。
この温室には植物と蝶、鳥しかいないとパンフレットには載っていたが、どこからか栗鼠が一匹だけ紛れ込んでしまったらしい。
まぁ、生態系を及ぼしているわけではなさそうだし、大丈夫だろうと、僕はこの栗鼠のことを黙っている。
僕の秘密のともだちだ。
だからいつもこうして、こっそり餌をあげるのだ。植物は多くあるが、中には毒を持つものもあるだろうから。
「もうすぐ春が来るねー……」
今日、この街はとても天気が良かった。
「きゅ?」
栗鼠はきょとんと僕を見た。
「こんなエリート学園に入ったはいいけど、やっぱり僕には合わないなぁ……。ここは気持ち良くて大好きな場所だけど、結局一年経ってもともだちはお前だけだったなぁ」
栗鼠相手になにを愚痴っているのか、我ながら呆れてしまう。
「きゅ……」
ちょい、と栗鼠の膨らんだ頬をつついてみる。ふくふくで可愛らしい。その様子を見て、ふと思い出す。
「……あれ? そういえば、栗鼠って冬眠しないんだっけか?」
ぼんやりと考え込んでいると。
「きゅっ!」
突然、おいらに任せろ、とでも言わんばかりの驚くようなドヤ顔をして、栗鼠が駆け出した。
「あっ、おい!」
栗鼠が駆けていった方向は、管理人室。見つかったらただでは済まない。もしかしたら、保健所に連れていかれてしまうかもしれない。
「ダメだよ、そっちは危ないって」
僕は慌てて小さな友人を追いかけた。
しかし栗鼠は不思議なことに、僕が着いてきているのをいちいち確認するように何度も立ち止まり、振り返って、そしてまた走り出すのだ。
なんだろう?
まるで、着いてこいとでもいうような……。
三階建ての温室の螺旋階段を駆け上がり、有毒植物の部屋へ入る。
ますますまずい。もし、あの小さな体で毒のある植物に触れでもしたら……。
僕自身も気を付けながら、必死に栗鼠を追いかける。そのうち、気が付けば知らない扉の前ににいた。
分厚い蔓や蔦で覆われた、その小さな扉は子供用とも思えるほどの高さしかない。僕の肩くらいだろうか。
そしてその扉には、少しだけ隙間が空いていた。その隙間から、栗鼠がちょこんと顔を出す。
早く来いよ、とでも言いたげに。
「ここ、立ち入り禁止だよな……」
どう見ても。
しかし、足元の栗鼠が急かすので仕方なく、その扉をくぐった――はずだった。
扉の先には足元がなく、踏み出した足に重心をかけていた僕は、そのままくるんと半回転。
「うわあっ!?」
そして、真っ逆さまにその空間を落ちた。
――ずでん。
「いってぇ……」
臀部の鈍い痛みと、瑞々しい植物の香りに瞳を開くと――。
僕の前には、不思議な世界が広がっていた。
頭上にはつぎはぎの宇宙が広がっている。空は澄んだ明け方の色をしていて少し暗く、まだぽちぽちと星が瞬いているのが見えた。
偽物だとは思うけれど、本物の宇宙を見たことがない僕には、それが本物か偽物かなんてわからない。
そして、僕の周りにはたくさんの植物が茂っていた。ここも一応温室なようで、見たこともない葉をつけた植物たちが僕を迎えてくれる。
薄暗い視界の中の心もとない淡い光は、植物が揺れる度にその影を幻想的に浮かび上がらせ、植物たちは葉を擦らせてさわさわと心地良い音を鳴らしていた。
風が吹き、蝶が舞う。
「――誰?」
突然、声が響いた。ハッとして声の方を見ると、そこには大きな大きな巨木。
桜だろうか。
その根元には、ぽっかりと空いた大きな樹洞。
穴の奥、暗闇の中から、その少女は現れた。