温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
お願い
「お願い、お姉ちゃん」
詩歌ちゃんは泣きそうな顔で雫さんに懇願する。さすがにこれには雫さんも心が揺れたようで、気まずそうに目を逸らした。
僕は咄嗟に、雫さんの目の前に置かれたオペラを奪った。
「あっ!」
もうこうなったら、強引にいくしかない。雫さんが声を上げ、僕が奪ったオペラを見つめる。
「ムギちゃん!? なにするの」
「詩歌ちゃんの願いを叶えてあげないなら、オペラはお預け!」
「そ、そんな無慈悲な」
雫さんが泣きそうな顔で僕を見る。
「ムギちゃあん……」
うっ……その目は反則……。
「そんな顔しても、だっ……ダメなものはダメ!」
すると、雫さんは白い頬をフグのようにプクッと膨らませた。
そして、あからさまにはぁと息をついて、雫さんは詩歌ちゃんを見た。
「……詩歌ちゃん、どうしてママとパパを返してほしいの?」
「……だって、大好きだったはずだから」
詩歌ちゃんはそう言って、涙を堪えるように唇を噛む。
「……大好きだったはずだから?」
『はず』とは、どういう意味だろう。
「それは、記憶がないってことだよね」
雫さんは、とても子供への態度とは思えない強い口調で言う。
「今のなにが不満なの?」
「そ……れは」
……雫さんは、なぜこんなにも詩歌ちゃんにつっかかるのだろう。いつもなら、対価さえもらえれば笑顔で依頼を受けているのに。
僕は雫さんの態度にひっかかりを覚えた。
「今の状況を変えて、本当にいいの?」
対価を貰えないから?
それとも子供が苦手とか?
「……僕、がっかりだよ。雫さんがそんな人だとは思わなかった」
「!」
自分でも驚くくらい、冷ややかな声が出た。
雫さんは僕の言葉がショックだったのか、一瞬硬直し、俯く。
「詩歌ちゃんは、雫さんにわざわざお願いに来たんだよ。こんな小さい子が、一人で。それがどれだけのことか、考えればわかるじゃん……」
雫さんは僕から目を逸らした。けれど、僕は訴える。
「雫さん!」
すると雫さんは、ふっと手の力を抜いた。そして、
「…………分かったよ」
雫さんは、詩歌ちゃんの依頼を受けてくれた。
「え? 本当に!? ありがとう、雫さん! 詩歌ちゃん、良かったね!」
「うん!」
「ほら、詩歌ちゃん」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
詩歌ちゃんは嬉しそうに笑う。
雫さんは時を止めないまま、指を弾いて短冊と蝶を現した。
「詩歌ちゃん、ここにお願いごとを書いて。ひらがなでいいから」
「うん!」
詩歌ちゃんは嬉しそうに、緑色の短冊に願いごとを書いた。
『ママとパパをかえしてください』
詩歌ちゃんが温室から帰った後、雫さんは、
「……私、もう奥に戻るから。ムギちゃん、今日はもう帰って」
表情もなく言った。
「あ……もしかして、さっきの気にしてる? ごめん、あれはその……本気じゃないんだ。ただ、詩歌ちゃんのお願いを叶えてあげてほしかっただけで」
僕は慌てて雫さんに駆け寄るけれど、「帰って」と突き放されてしまう。
立場を弁えなきゃいけないとかいいながら、僕は雫さんにあんなことを……。
僕はがっくりと肩を落とす。
「……どうなっても知らないからね」
雫さんはそう言い残し、樹洞の奥へ消えていった。僕はそれを、為す術もなく見送ることしかできなかった。
――詩歌ちゃんが亡くなったことを知ったのは、それからたった七日後のことだった。
それは、温室に行ったとき、雫さんから告げられた。
僕たちはいつものようにティータイムをしていてた。
あの日以来、僕たちの空気は少しだけ重くて、その理由は、きっと僕があんなことを雫さんに言ってしまったからなのだと思っていた。
謝りたかったけれど、果たしてその話題を口にしていいものか、躊躇われた。さらに彼女の機嫌を損ねるようなことがあっては、僕が終わる。いろんな意味で、終わる。
やはり今日も、雫さんはいつもよりも少しだけ表情を曇らせていて、僕が持ってきたチーズケーキにも手をつけないまま紅茶を見つめていた。
でも、そんな姿さえも僕にはどうしようもなく美しく見えて。
僕は、その悩ましげな顔にときめきながら、控えめに訊ねたのだ。「どうしたの?」と。
しばらく沈黙が落ち、雫さんが言った。
「……詩歌ちゃん、亡くなったって」
聞き間違いだと思った。
雫さんは藍色の瞳を僕に向けて、静かに言った。甘い甘いジャムのような彼女の声は、どんな言葉を発したとしても、僕の耳にはやはり甘く響く。
「……え?」
「両親からの虐待だよ」
さらりと言う雫さんを、僕は信じられない思いで見つめた。
「……嘘だよね?」
「嘘じゃないよ。だって、あの子の両親を消したのは私だから」
雫さんは、さらに驚くべき言葉をその赤い唇から吐き出した。
「……どういうこと?」
「詩歌ちゃんは親から酷い虐待を受けていて、数ヶ月前に私のところに来た。彼女の願いごとは、『ママとパパを消して』だった」
僕は息を呑む。
「そんな……嘘でしょ?」
信じられない。それなら、どうして。
詩歌ちゃんは泣きそうな顔で雫さんに懇願する。さすがにこれには雫さんも心が揺れたようで、気まずそうに目を逸らした。
僕は咄嗟に、雫さんの目の前に置かれたオペラを奪った。
「あっ!」
もうこうなったら、強引にいくしかない。雫さんが声を上げ、僕が奪ったオペラを見つめる。
「ムギちゃん!? なにするの」
「詩歌ちゃんの願いを叶えてあげないなら、オペラはお預け!」
「そ、そんな無慈悲な」
雫さんが泣きそうな顔で僕を見る。
「ムギちゃあん……」
うっ……その目は反則……。
「そんな顔しても、だっ……ダメなものはダメ!」
すると、雫さんは白い頬をフグのようにプクッと膨らませた。
そして、あからさまにはぁと息をついて、雫さんは詩歌ちゃんを見た。
「……詩歌ちゃん、どうしてママとパパを返してほしいの?」
「……だって、大好きだったはずだから」
詩歌ちゃんはそう言って、涙を堪えるように唇を噛む。
「……大好きだったはずだから?」
『はず』とは、どういう意味だろう。
「それは、記憶がないってことだよね」
雫さんは、とても子供への態度とは思えない強い口調で言う。
「今のなにが不満なの?」
「そ……れは」
……雫さんは、なぜこんなにも詩歌ちゃんにつっかかるのだろう。いつもなら、対価さえもらえれば笑顔で依頼を受けているのに。
僕は雫さんの態度にひっかかりを覚えた。
「今の状況を変えて、本当にいいの?」
対価を貰えないから?
それとも子供が苦手とか?
「……僕、がっかりだよ。雫さんがそんな人だとは思わなかった」
「!」
自分でも驚くくらい、冷ややかな声が出た。
雫さんは僕の言葉がショックだったのか、一瞬硬直し、俯く。
「詩歌ちゃんは、雫さんにわざわざお願いに来たんだよ。こんな小さい子が、一人で。それがどれだけのことか、考えればわかるじゃん……」
雫さんは僕から目を逸らした。けれど、僕は訴える。
「雫さん!」
すると雫さんは、ふっと手の力を抜いた。そして、
「…………分かったよ」
雫さんは、詩歌ちゃんの依頼を受けてくれた。
「え? 本当に!? ありがとう、雫さん! 詩歌ちゃん、良かったね!」
「うん!」
「ほら、詩歌ちゃん」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
詩歌ちゃんは嬉しそうに笑う。
雫さんは時を止めないまま、指を弾いて短冊と蝶を現した。
「詩歌ちゃん、ここにお願いごとを書いて。ひらがなでいいから」
「うん!」
詩歌ちゃんは嬉しそうに、緑色の短冊に願いごとを書いた。
『ママとパパをかえしてください』
詩歌ちゃんが温室から帰った後、雫さんは、
「……私、もう奥に戻るから。ムギちゃん、今日はもう帰って」
表情もなく言った。
「あ……もしかして、さっきの気にしてる? ごめん、あれはその……本気じゃないんだ。ただ、詩歌ちゃんのお願いを叶えてあげてほしかっただけで」
僕は慌てて雫さんに駆け寄るけれど、「帰って」と突き放されてしまう。
立場を弁えなきゃいけないとかいいながら、僕は雫さんにあんなことを……。
僕はがっくりと肩を落とす。
「……どうなっても知らないからね」
雫さんはそう言い残し、樹洞の奥へ消えていった。僕はそれを、為す術もなく見送ることしかできなかった。
――詩歌ちゃんが亡くなったことを知ったのは、それからたった七日後のことだった。
それは、温室に行ったとき、雫さんから告げられた。
僕たちはいつものようにティータイムをしていてた。
あの日以来、僕たちの空気は少しだけ重くて、その理由は、きっと僕があんなことを雫さんに言ってしまったからなのだと思っていた。
謝りたかったけれど、果たしてその話題を口にしていいものか、躊躇われた。さらに彼女の機嫌を損ねるようなことがあっては、僕が終わる。いろんな意味で、終わる。
やはり今日も、雫さんはいつもよりも少しだけ表情を曇らせていて、僕が持ってきたチーズケーキにも手をつけないまま紅茶を見つめていた。
でも、そんな姿さえも僕にはどうしようもなく美しく見えて。
僕は、その悩ましげな顔にときめきながら、控えめに訊ねたのだ。「どうしたの?」と。
しばらく沈黙が落ち、雫さんが言った。
「……詩歌ちゃん、亡くなったって」
聞き間違いだと思った。
雫さんは藍色の瞳を僕に向けて、静かに言った。甘い甘いジャムのような彼女の声は、どんな言葉を発したとしても、僕の耳にはやはり甘く響く。
「……え?」
「両親からの虐待だよ」
さらりと言う雫さんを、僕は信じられない思いで見つめた。
「……嘘だよね?」
「嘘じゃないよ。だって、あの子の両親を消したのは私だから」
雫さんは、さらに驚くべき言葉をその赤い唇から吐き出した。
「……どういうこと?」
「詩歌ちゃんは親から酷い虐待を受けていて、数ヶ月前に私のところに来た。彼女の願いごとは、『ママとパパを消して』だった」
僕は息を呑む。
「そんな……嘘でしょ?」
信じられない。それなら、どうして。