温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
穴の奥、暗闇の中から、その少女は現れた。
純白の車椅子に乗って。
「君は……」
一瞬、時が止まったように感じた。
彼女はとても美しくて儚げで、不思議な雰囲気を持っていた。
思考回路のすべてを彼女に持っていかれたように、指先一本動かせなくなる。
その瞬間、僕は思考も、視線も、喉も、匂いまでも彼女に支配された。
いわゆる一目惚れというやつだ。
「きゅっ!」
そのときようやく、満足そうな顔をした栗鼠が彼女の肩に乗っていることに気付く。
僕の視線に気付いた彼女が、
「……もしかして、こまるのおともだち?」
凛とした声だった。
けれどその声は僕ではなく、栗鼠に向いているのだと思う。彼女は僕ではなく、自分の肩に視線を移していたから。
けれど、僕はどうしても彼女の視線をこちらに向けたくて、
「……あの……もしかして、その栗鼠は」
「私のともだちよ。たった一人の」
彼女の長い睫毛が伏し目がちに瞬く。その瞬きで小さな風が起こったような気がして、僕は息を呑んだ。
「たった一人?」
「そう」
この空間のすべてが彼女のために造られた舞台装置のような錯覚にさえ陥ってしまう。
たった一人とは、どういうこと?
この場所はなに?
君は――誰?
けれど、彼女は人見知りをしているのか、僕のことを見てくれない。
そして、僕の口をついたのはそのどれでもなく。
「それなら僕が……僕が、君のともだちになるよ」
「え?」
驚いたように彼女は顔を上げた。ようやく深い宇宙を宿した藍色の瞳と目が合い、胸が跳ねる。
「私と……ともだちに?」
藍色の瞳は戸惑うように揺れ、そして、微笑んだ。
「ともだち……ね」
彼女は指を鳴らした。
――ザァッ……。
木々がざわめき、花びらが舞い上がる。
ぴちゃん……。
そして、僕の足元に水が生まれ、それらはポコポコと可愛らしいフォルムで泡立ち始めた。
「えっ……!?」
あっという間に水は大きな泡になり、僕を閉じ込めるとそのままふわふわと浮き上がる。
「あれっ!? なにこれ?」
手でそれを触ると、つるりとした感触が広がって、掴もうとしても掴めない。
僕は泡越しに、彼女を見つめた。
「これ……君が?」
彼女は藍色の瞳を冷たく僕に向けていた。その視線がやけに色っぽくて、僕はぞくりとした。
あどけない幼い顔立ちをしていると思ったのに、こんな表情までできるのか。もっと、いろんな表情が見てみたい。
笑った顔とか、怒った顔とか……それから泣き顔も。
「これでも、また会いに来てくれるの?」
どうやら、僕をこの泡に閉じ込めたのは彼女らしい。
深い闇が覗くその瞳に、僕は、
「すご……すごいね! 君、魔女でしょ! 名前はなんて言うの!?」
僕は興奮していた。
一目惚れの相手が魔女だなんて、なんて素敵な偶然だろう。
「え?」
キラキラと瞳を輝かせた僕に、彼女は今度こそぽかんと口を開けて、僕を見上げた。
いつかどこかで聞いたことがある。
この街には魔女が暮らしていると。
けれど、そんなの都市伝説だと思っていたし、まさか自分の学校にいるなんて思うまい。
「これ、どうなってるの? 泡? 泡だよね? 実は僕、泳げないんだけどね、海が大好きでさぁ! これならもしかして、海の中に入れる? 割れない?」
「えっ……えぇ? 割れない……けど」
彼女は顔を引き攣らせて、呑気な僕の顔を見ると、
「ふふっ……」
小さく肩を揺らして笑った。
その飾らない笑顔に、僕はつい魅入ってしまう。
すると、僕を閉じ込めていた泡がパァンと弾けた。
「わっ……」
水飛沫がキラキラと舞い、彼女を美しく幻想的に彩る光景に、僕は目を奪われ感嘆の声を漏らした。
彼女は車椅子を動かし、地面に放り出された僕に静かに近付いてくる。
「君、変なの」
彼女は目の縁に溜まった涙を、細く白い指で拭いながら言った。そして、「ごめんね、泡に閉じ込めて」と僕に手を差し出す。
僕はその手をおずおずと取った。柔らかく、女の子らしい小さなふわふわの手。
ころころと楽しそうに笑った彼女の笑顔は、まるで砂漠に咲いた花。幻のように美しい。
「ねえ君、名前はなんて言うの?」
「綿帽子紬。君は?」
「雫。英雫よ」
雫さんかぁ。
名前まで可愛いなんて、最強か。
「雫さん……」
僕は噛み締めるように雫さんの名前を呼ぶ。
すると、雫さんは再びころころと笑った。
「いきなり下の名前?」
「あっ……ごめん」
「いいけど。私も君のこと、ムギちゃんって呼んでいい?」
「うん……」
彼女の唇が動く度、僕はそれから目が離せなくなる。
彼女は柔らかな艶のある髪をさらりと揺らして、
「ねぇムギちゃん。お茶にしよう?」
――時刻は三時。
雫さんは僕を、アフタヌーンティーに誘った。