温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
アゲハ
やはり彼女とまったく同じ動作で、指を鳴らした。手のひらの上の星が消えると、カフェテーブルに花茶と珈琲が現れる。
珈琲の香ばしい香りと、花茶の優しい香りがふわりと僕の鼻を刺激した。
「どぉぞー」
アゲハさんは自分の向かいに置かれた椅子へ、僕を視線で促す。僕は大人しく勧められた椅子に座り、アゲハさんを見た。
目の前のアゲハさんは、長い睫毛も、赤い唇も、艶のある漆黒の髪や蜂蜜のような甘い声も、黒衣のワンピースから伸びた細く白い手足も、外見はまるで雫さんと同じ。
それなのに、高慢な口調、艶めかしく組んだ足、瞬きの仕方すら、雫さんとは似ても似つかない。
このつぎはぎの宇宙の夜と現実の朝が逆転したみたいに、雫さんとアゲハさんがひとつの体に混ざり合っていた。
まったくの別人なのか、それとも同じ人なのか、僕はよくわからなくなってしまった。
アゲハさんの白い喉が、花茶をその体にするりと入れていく。
それを見た僕は、息を呑んだ。
飲み物を飲む仕草は、まるで雫さんにそっくりだったから。
「うん? なんだ?」
「……いや」
いや、違う。この人は雫さんじゃない。騙されるな。
我に返って目を逸らすと、アゲハさんは楽しそうに肩を揺らして笑った。
雫さんはいつも紅茶を好んで飲むが、アゲハさんは紅茶よりも花茶が好きらしい。
じっとその姿を見つめていると、彼女は苦笑しながらテーブルに手を付き、もう片方の手で僕の頬をするりと撫でた。
冷たい指先なのに、触れられると僕の頬は真っ赤に染まっていく。
「ムギちゃんって呼んだ方が良かったかな?」
「!」
アゲハさんは、真っ赤になった僕をさらにからかうように言った。
蠱惑的なその表情に、鼓動が瞬間的に加速していく。
「……あ、あなたは、誰なんですか」
僕は乱れた心を誤魔化すように訊ねた。
「英アゲハ、黒の魔女だと名乗っただろう」
「じゃあ、どうして君は雫さんの姿を」
「私は雫の願いごとを叶え、その『対価』として雫の夜をもらった魔女だよ」
「夜を……?」
アゲハさんの言っている意味が分からず、僕は瞳を瞬かせる。
「まあ、ゆっくり話そう。夜は長いから」
アゲハさんは赤い瞳で僕を見つめ、
「生まれた頃の話をしよう。君は五歳より前の記憶があるか?」
五歳より前というと、兄がいなくなる前の話だ。兄がいなくなったショックのせいか、僕はその事故より前の記憶はなかった。
後々それを知った両親も、僕になにかを言うわけでもなくそっと見守ってくれたから、失った記憶はそのまま宙に浮いている。
僕は素直に首を横に振った。
「だろうな。君の記憶は、雫が魔法で奪ったから」
「!」
驚きのあまり、僕は硬直する。
「……どういうこと?」
雫さんが、僕の幼い頃の記憶を奪った?
「君の本名は黒羽紬。君は黒羽財閥の末端の家に生まれ、十一年前、黒羽財閥の次期後継者のうちの一人に選ばれていた」
「黒羽……」
その名前には、聞き覚えがあった。
黒羽財閥。
六月になると、毎年ニュースで耳にする言葉だ。
十一年前の六月十日、黒羽財閥本社タワーが爆撃された。二万人の犠牲者を出し、当時の会長であった黒羽ましろもそのテロリストによって殺害された。
犯人は黒羽紺と黒羽咲。二人はすでに、この世にはいない。
そのためタワー襲撃の動機は未だに分からないまま、犯人死亡で謎の多い事件としてニュースでは毎年取り扱われていた。
さらにその後黒羽財閥は衰退し、一年後、経済界から忽然とその名を消した。
改名されたとか、別の組織としてやり直しを図ったなどと言われていたが、実際のところは分からない。
けれど、僕の姓は黒羽じゃない。間違いなく綿帽子だ。……と、いうことは。
「僕の両親のどちらかが黒羽家の人間だったってこと? でもそんな話、二人からは聞いたこともないけど」
しかし、アゲハさんは首を横に振った。
「いや、違う」
「君の本当の両親は、黒羽紺と黒羽咲だ。今の両親と君は、血の繋がりなんてない」
「は……?」
アゲハさんは、信じられないことを言う。
「君の実の親である黒羽紺と咲は、十一年前黒羽財閥本社タワーを襲撃し、二万人の犠牲者を出した史上最悪のテロリストだ。そしてその際、当時の当主であった黒羽ましろを殺害し、二人はその場で射殺された」
僕の両親がテロリストの黒羽紺と黒羽咲?
しかも、黒羽家の人間であった二人は身内である財閥当主を殺し、二万人の犠牲者を出すテロを起こして死んだ?
「嘘だ……。有り得ない。僕は綿帽子家の子供だ。そんな話、聞いたこともない」
僕はすぐさま否定した。
「だから、君の記憶は消したと言っただろう。君にその記憶はない。けれど、事実なんだよ」
「でも……」
「まあ聞け。君の実の母親、咲と仲の良かった綿帽子紫音は事件後、君を引き取り、夫である環と長男の絆とともに、我が子として育てた」
いきなりの突飛な話についていけず、僕は頭を押さえる。
頭が痛い。
十一年前だと、その頃僕は四歳。たとえ記憶を奪われていなくても、記憶は曖昧だっただろうけれど。
「嘘だ! 僕の親が犯罪者だなんて」
「落ち着け」
そんな話、信じられない。信じられるわけもない。
「二人は別に、宗教にハマっていたとか、過激派の組織に所属していたとか、そんなとち狂った人間ではなかった。ごくごく普通の幸せな家族だったんだ。君が、三歳になるまでは」
「僕が……三歳になるまで?」
「紺と咲がテロリストとなってあんな事件を起こした動機は、他でもない君なんだよ」
アゲハは口角を上げ、指を鳴らす。すると、テーブルに幾つもの写真がばらまかれた。
そこには幼き頃の僕であろう子供と、テレビでよく見たテロリスト二人の笑顔の写真。
「……動機が、僕?」
じんわりと、嫌な汗が滲んでいく。