温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
絶望
「死んだ君を生き返らせたのは私。そして、君を生き返らせてほしいと頼んできたのは雫だ。その対価に、私は雫の足をもらった」
「じゃあ……雫さんの足が動かないのは、僕のせいだったの?」
「雫は誰よりも対価の重みを知っている。雫自身が、対価をその身に受けているのだから」
それなのに彼女はなにも言わず、僕の間違った恨みを受け止めようとしていたの?
「……どうしてそんな大切なこと、言ってくれなかったの」
「言えば、君は自分を恨むだろう。許せないだろう。自分が周りの人生をすべて狂わせた元凶なのだ。その役を、雫が担おうとしたのだ。君の行き場のない怒りを自分が背負い、君に恨まれる役を買う」
「どうして……そんなこと」
「分からない? 人は絶望すると生きる力を失う。だが、怒りは生きるエネルギーと成り得るんだよ」
僕は浅はかだった自分に苛立ちを募らせた。強く唇を噛んでいると、口の中に鉄の味が広がっていった。
雫さんは、全部僕のために……。
アゲハさんはふぅ、と息を吐く。
「雫も面倒な男に囚われたものだ。君のためにすべての力を使った雫は、人から対価として受け取った宝石で、命を繋がなければ生きられない体になってしまった」
胸からとめどなく込み上げてくる想いが、僕の涙腺を攻撃する。僕は唇を強く噛んで涙を堪えた。
彼女は蜘蛛なんかじゃなかった。蜘蛛だったのは、僕の方だ。
「雫さん……」
今すぐに雫さんに会いたい。会って、謝って、彼女が生きていることを、この目で、この手で確かめたい。
「……雫さんは今……彼女は今、どこにいるの? 僕がこの宝石を持ってるんだ。早くこれをあげないと、死んじゃう!」
早くしなければ……。
すると、アゲハさんは呆れた視線を僕にぶつけた。
「君は話を聞いていなかったのか? 雫の夜の体を支配しているのは、この私だ」
そうだった。つい、我を忘れていた。
「……じゃあ、君がいるってことは雫さんは生きているんだね?」
僕はひとまずホッとして、胸を撫で下ろす。
――けれど。
「いや? 残念だが、雫が死ねば、この体は完全に私のモノになる」
「!」
雫さんの顔で、アゲハさんはニヤリと笑う。
「今日君を呼んだのは、殺すためだ」
僕は立ちつくす。
「どうして……」
「私は運命の相手を失っていてな。だから目障りなのだ。雫の運命の相手である君が……。じき、雫は死ぬ。ならば君も生きていたところで意味はないだろう?」
その瞬間、植物の影からなにかが飛び出した。
影はあっという間に僕を押し倒し、馬乗りになる。そして、僕の喉元に光るものを突き付けた。
それが理事長で、その手に握られているものが小型のナイフであると気付くまで、そう時間はかからなかった。
「理事長……?」
僕はまるで別人のように冷ややかな表情の理事長を、ただ呆然と見上げる。
「申し訳ありませんが、私は理事長の前にアゲハ様の執事ですので」
理事長は、いつも通り淡々とした口調で言う。
「理事長は、雫さんの執事じゃないの?」
「ええ。私は雫様とアゲハ様、お二人の執事です。あなたに恨みはありませんが、これは命令ですので」
まるで枢人形のように心のない声で、理事長は僕を見た。その瞳には、押し倒された僕の間抜けな顔が写っている。
「雫は君にすべての宝石を渡した。雫はそのせいで、君のせいで死ぬんだ。悲しくも魅力的な悲劇だ。なぜなら君はそれを止められない。君は今ここで、私に殺されるのだから」
雫さんの口で紡がれたアゲハさんの絶望的な言葉。まるで悲劇の台詞のように。
無駄だとわかっていても、僕は精一杯に抗う。
「いやだっ! 離せ!」
けれど、理事長の力には到底かなうはずもなく。僕はただ、その場でじたばたともがくことしかできない。
「君はそもそも、十年前に死ぬはずだったんだ。充分生きただろう」
アゲハさんは、わがままを言う子供を宥めるように優しい声音で言った。それは、恐ろしいほどに雫さんのいつもの声に似ていて、僕の心は余計にかき乱され、悲しみが募った。
「これからは、私がいくらでも世の願いを叶えよう。そして、代わりに対価をもらう。それを続けていけば、いずれこの世界は私のものになる」
アゲハさんはゾッとするほど美しい笑みをたたえ、僕を見た。
いやだ。僕の雫さんを、これ以上汚さないで。その声で、彼女の体で、好き放題なんてさせない。
彼女の体を乗っ取らせはしない。
たとえこの命に変えたとしても。
「僕を殺すのはいい。でも、雫さんは助けて」
「……ほう」
「僕が死ねば、雫さんの運命も消える。それでいいでしょ!?」
「……それは、願いごとか?」
「願い、ごと……?」
一瞬、言葉に詰まる。そうだ。この魔女に願えばいいのだ。そうすれば雫さんは助かる。
……でも。
願いごとをすれば、必ず対価が伴う。それは、これまで彼女の依頼を見てきて嫌というほど知っている。
しかし、これ以外に方法はない。
僕は情けなく瞳に涙をため、頷いた。
「いいだろう。ならば君の願いを一つだけ叶えてやろう。……さあ、君は私に、黒の魔女になにを願うの?」
満足そうに髪をかきあげたアゲハさんが、僕にキスをするように艶めかしく顔を寄せ、問う。
「僕は……」
理事長が僕の胸へ、ナイフを振り下ろす。
「三日月」
アゲハが振り下ろそうとした手を、すんでのところで止める。その視線は邪魔をするなと言っていた。
「さあ、言え」