温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
最後の願い
「じゃあ、お願いするから。アゲハさんに、依頼する」
「え……」
雫さんがゆっくりと、藍色の瞳を大きく開いた。
「ダメ! アゲハは対価を取る魔女だよ! そんなことしたら、なにを要求されるか……」
そんなこと、言われなくたって分かってる。でも、そうしないと君は僕の前からいなくなってしまうから。
「なんだってくれてやる。だって、君に生きてほしいから。アゲハさんは魔女だもん、対価さえあげれば、僕の願いごとを叶えてくれる」
「……どうして」
雫さんは美しい顔を歪ませて、僕を見た。その瞳には涙が溜まっている。
「どうして……そこまでしてくれるの?」
「好きだから。君だって、僕に命をかけてくれたじゃないか」
「……私は魔女なんだよ。ムギちゃんとは」
「そんなことどうだっていいよ。君がたとえ何者であっても、僕は何度でも好きになるよ。だって僕たちは、運命でしょ?」
雫さんは、僕の強い視線にようやく諦めてくれたようで、静かに息を吐いた。
そして、ため息混じりの声で僕を責めてくる。
「……ムギちゃんのバカ」
拗ねたような声。いつもの彼女だ。それがどうしようもなく嬉しくて、少しだけ心が和らいだ。
「今さらでしょ。君が素直に願いごとを叶えてくれるなら、僕はアゲハさんに頼まなくても良くなるんだけど」
「それ、脅迫?」
雫さんは、僕の胸元に手を置く。その手は小刻みに震えていた。
「そうかも」
雫さんの瞳が動揺した。
「……私が生きていたら、この先ずっと対価をもらい続けることになるんだよ? 私が生きるっていうのは、そういうことだよ。それでもいいの?」
「うん。君がそうなったのは僕の責任だから、僕が対価を払い続けるよ」
僕はその手に、自分の手を重ねた。もう一度、強く握る。
「無理だよ」
「払うよ。僕があげられるものなら、なんでもあげるから。命だって、心だって、なんでも」
「そんなことしてたら、ムギちゃんが壊れちゃう」
「君に壊されるならかまわない。君の罪は僕の罪だよ」
それでも頑なな僕に、雫さんは安心したようにふにゃりと笑った。
「…………もう、ムギちゃんは優し過ぎるよ」
「……君にだけだよ。……ね、叶えてよ。君と一緒に生きたいっていう僕の願いごと」
僕は雫さんの頬に触れる。雫さんは少しだけくすぐったそうに肩を竦めた。
「……でも」
「雫さん」
それでも渋る雫さんの頬を両手で掬い、無理やり視線を合わせた。
「雫さん、これは一択だよ」
「う……」
「雫さん、言って」
「…………それじゃあ……対価は、ずっと私と一緒にいてくれることね」
雫さんは恥ずかしそうに目を逸らしながら言った。
「……なにそれ。ご褒美だよ、それじゃあ」
僕は堪えきれずに笑みを零した。
「いいの。私が対価って決めたんだから」
「じゃあ、魔法なんていらない。対価なんて言わなくても、僕は君から二度と離れないから」
僕は口付けるように、雫さんの唇に宝石を持っていく。
雫さんの白く細い喉がこくりと上下して、その宝石を飲み込んだ。
「……ムギちゃん、ありがとう」
「雫さん、大好き」
僕は強く強く、雫さんを抱き締めた。雫さんはくすぐったいくらいに甘い声で「苦しいよ」と笑ってくれた。
「……もう嫌いっていわれても、絶対離れないからね。後悔しないでよ。君はずっと僕に囚われていて」
僕は確認するように雫さんを見た。
運命だとか、そんなことは僕たちにとって瑣末なこと。たとえ運命の赤い糸が君に繋がっていなかったとしても、僕は君を好きになったはずだ。
……でも、ちょっとだけ嬉しい。『運命』という言葉を言い訳に、君に出会えたから。君に近付けたから。君と、ともだちになれたから。
だからきっと、僕たちは紛れもなく運命で結ばれているんだと思う。
だって、こんなに胸が高鳴るのは君にだけだから。
「……どうかなぁ。ムギちゃん、拗ねるとすぐ温室来なくなるから、私いつもドキドキしてたんだよ。今日来てくれるかなって」
「……そんなこと」
本当は、毎日だって、ひとときだって離れたくない。でも、そんなことを言ったら雫さんは怒るかな。それとも、ちょっとだけでも喜んでくれるのかな。
「あったよ」
「……うん、あったかも」
雫さんの睫毛がいじらしく震える。藍色の濡れた瞳に僕が写っていて、ドキリとした。
その瞳には、僕だけが入れるのだ。
「大切にするから」
他の誰にも取られないように。
「うん」
「僕に夢中になって」
僕以外眼中に入らないように。
「もうなってるよ。十年も前から」
僕たちは見つめ合い、笑い合う。
「ムギちゃん、ティータイムにする?」
「……もう、雫さんをとって食べてしまいたい」
堪えきれず、雫さんの小さな身体を抱きしめた。
すると、僕の腕の中に閉じ込められた雫さんが、
「ムギちゃんそれ、変質者みたいだよ」
「うん、僕もそう思った。でも雫さんだってずっと僕を見ててくれてたんでしょ? 似たようなものじゃない?」
彼女はいつものようにぷくっと頬を膨らませる。相変わらず可愛くて癖になる顔だ。この顔が見れるなら、わざと怒らせたくなってしまう。
「むっ! 失礼な!」
「ははっ」
僕たちは、いつものティータイムのときのように笑い合う。
「……雫さん」
名前を呼ぶと、少しずつ体調が戻ってきたのか、ほんのりと頬を桃色に染めた雫さんと目が合う。
「好き」
僕は、雫さんの吐息が零れる唇に、ゆっくりと自分の唇を押し当てた。
驚いた雫さんは、藍色の宇宙を宿した瞳を見開く。
「……ム、ムギちゃん、いきなりはずるいよ」
あっという間に熟れた果実のようになった雫さんは、恥ずかしそうに目を逸らした。
けれど、僕はもう我慢ができなくて。
「だって、好きなんだもん」
雫さんに何度もキスを落とす。
戸惑いながらも受け止めてくれる雫さんが可愛くて、もう止められない。
雫さんの唇はやっぱり少し冷たくて、甘い甘い蜂蜜のような味がした――。