温室の魔女は、今日も僕をアフタヌーンティーに誘う〜今宵、因縁の君と甘いワルツを〜
エピローグ
――僕には好きな人がいる。
その人は優しくて、温かくて、ちょっぴりわがままで、とても可愛い人だ。
僕は今日も温室へ行く。
植物のあいだを抜けて、隠された螺旋階段を昇り、有毒植物のコーナの奥の奥。小さな扉をくぐった先にある、僕だけが入れる秘密の温室。
きっと今日も、僕の持っていくあんみつを心待ちにした雫さんが待っている。
耳の中で、「ムギちゃん!」と僕を呼ぶ雫さんの柔らかくて甘い声が聞こえてくるようで、僕の足はつい早足になる。
「ムギちゃんっ、待ってたよ!」
「雫さん」
いつも通り元気な雫さんに、僕は表情を綻ばせた。
「今日はなに?」
「あんみつだよ」
こうして今日も、僕たちのティータイムか始まる。
雫さんはいつも通り純白の車椅子にその小さな体を収めて、華やかな香りを漂わせる紅茶と僕の用意したあんみつをうっとりと見つめている。
「いただきまーっす」
雫さんがぱくりと、白玉とあんこを頬張る。
「んふーっ」
ふにゃりと幸せそうにふやける雫さんを見つめ、僕も珈琲を口に含んだ。
僕にとってなににも代えがたいこの時間は、雫さんにとっても同じなようで、目の前の柔らかな笑顔を見ているだけで、僕の心は満たされていく。
「そうだ。ねえムギちゃん、今度この国の最果ての島、楊南島に住んでいる子から、願い屋七つ星宛に依頼が来たんだけど」
雫さんは指を鳴らし、空中に若草色の封筒をだした。
「楊南島っていったら、固有種がたくさんいて、海が世界一綺麗で、しかもしかもフルーツがすごく美味しいリゾート島だったよね!?」
「うん、さすがムギちゃん。よく知ってるね」
雫さんは楊南島と聞いてきらりと瞳を輝かせた僕を見て、くすくすと笑う。
「だってあの島、生態系にストレスを与えないように観光客の数が制限されていて、ひと月に三組までしかいけない超激レア観光旅行地だよ!! そこに行けるの?」
そう。楊南島は、独自の生態系を発展させたこの国が誇る遺産のひとつ。そのため観光客は年に三十六組。百人余りしか入ることを許されない島なのだ。
そういえば、この温室にも楊南島でしか咲かない花がいくつか植えられていたはずだが、植物にはあまり詳しくない僕には、どれがどれだか皆目見当もつかない。
とにもかくにも凡人である僕には、本来ならば一生機会がないはずの島なのである。
その超激レア観光旅行地に行けるというのか。しかも、大好きな雫さんと。
「招待状付きで、チケットの日付はちょうど花籠学園の秋休みの日程と被ってるの。だから、もし良かったら一緒に行く? このチケットで、三人まで行けるみたいだし」
なんというタイミングの良さ! しかし僕は、三人まで、という言葉に反応した。
「ち、ちなみに三人までというと……その、理事長も着いてくるのでしょうか」
できれば遠慮していただきたい。
「え? 三日月? いや、まだ誘ってないけど、どうして?」
「だって!! せっかく雫さんと付き合えて初めての旅行なのに! 二人きりじゃないなんて、ちょっと味気ないというかなんというか……」
つい本音を口にしてみると、雫さんは可笑しそうに肩を揺らしている。
「あははっ、そういうこと?」
「…………そんな笑わなくてもいいじゃないか」
「ごめんごめん。だって、嬉しいんだもん」
「えっ」
雫さんの言葉一つで、僕はあっさりとリンゴのように赤くなる。
「じゃあ、二人で行こっか。そうそう、今回は部屋割りどうしようか?」
僕はさらに赤くなる。
そういえば、そうでした。この前は付き合っていなかったわけだから、当たり前に別々の部屋だったけれど。
「……そ、それはその、もし……差し支えないならば、僕は雫さんと同じ部屋が……いいな、なんて……」
ちらりと雫さんを盗み見ると、雫さんはキョトンとした顔で僕を見ていた。
そして僕はといえば、言ってから後悔の嵐。
ああぁ、なに言ってるの僕! これはさすがに早過ぎだよぉ!! 僕が雫さんの父親なら平手打ちしてるところだよォ!!
今すぐにここからダッシュで逃げたい。いや、穴があったら入りたい。
「じゃあ、同じ部屋にしよう」
しかし、雫さんは僕の葛藤などまったく気付いてないかの如く。あっさりと僕の提案を呑んだのだった。
「…………え? 雫さん、いいの? 本当にいいの?」
僕が確かめるように訊ねると、
「いいよ? だって私、夜はどうせいないし」
「……あ」
雫さんは肩を揺らして笑っている。
「ムギちゃんたら、チャレンジャーだねぇ。アゲハは夜行性だから、夜うるさいのに。覚悟しておいた方がいいよー」
その瞬間、僕の心にピシッとヒビが入った。
「……わ、忘れてた」
そういえば、雫さんは夜、アゲハさんに体を明け渡しているんだった……!!
「……ちくしょう。結局三人旅なのか……」
半泣き状態の僕に、雫さんが黒い笑顔で言った。
「ムギちゃん? 見た目が私で歩けるからって、アゲハといかがわしいことしたら、即刻別れるからね?」
雫さんのよく分からない迫力が、僕に刺さる。僕は慌てて、首が吹っ飛ぶんじゃないかというくらいに横に振った。
「しっ、しないよしないよっ!! っていうかアゲハさんには指一本たりとも触れないよ!!」
「ふふっ。よろしい」
無邪気な雫さんの笑顔に、僕もついほっとして笑顔になる。
そして、和やかな空気の中、僕はずっと気がかりだったことを雫さんに打ち明けた。
「……それと、僕から一つお願いがあって」
「んー? なあに?」
雫さんはスプーンであんみつをくるくるとかき混ぜながら、続きを促した。
「……あのさ、雫さん。兄さんのことで覚えていることがあったら、詳しく教えてくれないかな」
少しだけ低くなった僕の声音に、雫さんはスプーンをいじっていた手を止め、顔を上げた。
「……絆君のこと?」
「……うん。少しでも思い出したくて、本当の両親と黒羽財閥の事件についても調べようと思ってるんだ。今はもう……夢でしか会えない人たちだからさ。まぁ、兄さんに関しては夢にも出てきてくれないんだけど」
「……ムギちゃん。夢にも出てきてくれないって、どういうこと?」
雫さんは僕に問いかけると、伏し目がちにティーカップに口を付けた。
「この前温室でアゲハさんに眠らされたとき、夢に本当の両親が出てきたんだ。でも、兄は出てこなくて、そのとき二人が言ったんだ。『――絆君は元気か?』って。なんかよくわからないけど、その言葉がずっと引っかかっちゃって」
雫さんはティーカップを置き、じっと僕を見つめた。
「……そう」
しかしすぐに、雫さんはころりと表情を緩め、満面の笑顔で言った。
「じゃあ、旅行の道中は昔話をしよう!」
「うん。ありがとう」
雫さんもあまりいい記憶ではないだろうに、僕のお願いを快く受け入れてくれた。
「楽しみだね、旅行」
「うんっ!」
僕は雫さんが大好きだ。これからもこうやって、運命を共にした彼女と依頼を受けながら過ごしていく。
相変わらず僕の好きな彼女は、秘密ばかり。
魔女だったり、学園の理事長だったり、僕の恩人だったり。
僕はまだ、彼女のほんの一部しか知らないけれど。
それでも大好きな気持ちは変わらない。
これは、運命。
出会うべくして出会って、運命の糸は何度も絡まってほつれてを繰り返したけれど、決して切れることのない強い絆で結ばれていた。
宇宙のかけらである僕たちは、運命に翻弄されながら、それでも生きていくのだ。
たった一人の、運命の赤い糸を手繰り寄せるまで。
これは、白の魔女と運命の赤い糸で結ばれた僕の、秘密のお話――。