オールスパイス
「美味かったよ」

 彼は屈託のない笑顔でそう言った。
 それは鮭のポテンシャルだ。
 いや、そうじゃなくて――

「た、食べたんですか!? 毒でも入ってたらどうするんですか」
「いや、君の弁当だってわかってるから、それは大丈夫だろ」

 彼は事もなげにそんなことを言った。

「それはそうですけど、名前も知らない話したこともない人のお弁当を食べるなんて……」
「俺、平野翔真(ひらのしょうま)って言います」
「平野さん……。あ、私は上河内菜々子(かみこうちななこ)と言います」

 釣られてつい名乗っていた。

「菜々子ちゃん、きちんとしてそうだし」

 突然名前で呼ばれて、不覚にもキュンとしてしまう。

「そんなのわかんないですよ。私、手も洗わずに作ったかもしれないですよ?」

 まぁ鮭を焼いて乗せただけだけど、と菜々子は心の中で呟く。

「それはないと思うな。だって菜々子ちゃん、いつも席に着いたらまず手の消毒してるだろ?」
「え?」

 職業柄、手の消毒が癖付いているが、そんなところまで見られていたことに菜々子は驚いた。

「あぁ……じゃあ食べてくれないかなぁ」と表情を曇らせた平野に、「どういうことですか?」と菜々子は尋ねた。

「鮭弁のお礼に弁当作ってきたんだ。良かったらどうぞ」

 平野は菜々子のランチバッグを指さした。

「え?」
「ちゃんと手は洗ったよ。毒も入ってない。……惚れ薬は入れといたけど」

 平野はニカッと笑うと、菜々子の斜め前のテーブルに着き、いつものように素知らぬ顔でコーヒーを啜った。

「お先です。また……」

 そう挨拶して、菜々子はカフェを出てサロンに向かった。
 また……なんだろう。思い返して恥ずかしさが込み上げた。
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