好きな人の婚約が決まりました。好きな人にキスをされました。
(もしもあの日、わたしが殿下の部屋に行かなかったら――――ううん、殿下と二人きりにならなかったなら――――――そもそも、好きになったりしなかったら)


 気づかないふり、見ないふりをしてきただけ。本当は引き返すタイミングはいくらでもあったはずだ。
 そのとき、そのときで『それでも良い』と思ったことは事実だが、今のメリンダに『これから先もこのまま進んでいい』とはとても思えない。


「ごめんね、メリンダ。あのとき、もっと真剣に相談に乗っていたら良かったね」


 サルビアはそう言って、悔しそうに顔を歪める。
 あのときというのは、はじめてステファンに口付けられた夜のことだ。

 メリンダは首を横に振り、そっと唇を噛みしめる。


「ねえ、サルビア。わたしはこれからどうしたら良いのかな? ステファン殿下のことは今でも好きなの。だけど、殿下には王太子として、国のためになるような結婚をしてほしい」

「――――メリンダが頑張るっていう選択肢はないの?」


 サルビアが尋ねる。メリンダは首を横に振った。


「恋に恋しているような女じゃ、妃にはとてもなれないわ。わたしは殿下を窘めるどころか、一緒になって恋に溺れていたんだもの。とてもじゃないけど務まりっこない。自分でも分かるのよ」


 ステファンと関係を持って以降、浮きっぱなしになっていたメリンダの足が、ようやく地面に付きはじめる。
 見えなかったものが、聞こえなかったことが、一気に形を取り戻し、メリンダの前に現れたような感じがする。
 

 メリンダはその夜、久々に自分のベッドでゆっくりと眠った。一人で眠る夜の闇はなぜだか優しい。メリンダは心と身体が幾分軽くなった心地がした。
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