おとなり契約結婚〜幼馴染の小児科医が推しを盾に結婚を迫ってくる件〜
千春の部屋に入り、後ろ手で扉を閉めると、香月はククっと忍び笑いを漏らした。
「笑いごとじゃないんですけど……?」
香月と千春だけがこの結婚の真実を知っている。推しのブロマイド一枚のために結婚を承諾したと聞いたら、晶子は今度こそ卒倒するかもしれない。
「おばさん、喜んでて良かったな?」
「お母さんは昔から香月くん贔屓だからね」
品行方正を絵に描いたような爽やか青年。しかも医学部現役合格という秀才で、クリニックの跡取り息子。義理の息子になってくれるなら大歓迎だろう。仕事で不在だった父、徹も同じように思っているはずだ。
「それで、結婚式はどうする?」
「えー、いいよ。結婚式とか超面倒。準備とか考えだけで疲れるしお金もかかるじゃん。新婚旅行だって行かなくていいよ。出掛けている間はゴルステだって見られないし、洋介先生一人でクリニックの患者さん見るの大変でしょう?」
「……わかったよ」
香月は一方的な千春の意見を受け入れた。昔からそうだ。香月は千春にはとことん甘い。
「指輪も買わなくていい。どうせ失くしちゃうもん。香月くんだって仕事中はつけないでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
乳児期の赤ん坊に接することが多い香月は、誤飲の可能性がある装飾品の類を一切つけない。もちろん煙草も吸わない。
あいにくと千春には結婚に対する憧れが一切ない。豪華な結婚式や大粒のダイヤモンドに夢があるわけでもない。結婚にまつわる希望を叶えるのが男の甲斐性とかいうカビの生えかけた古びた価値観にも賛同しない。
無欲ともいえる千春の要望に対して香月は何か思うことがあるようだ。
香月はしばし何かを考え込むように祭壇に飾ってある星川恵流のブロマイドを眺めていた。