おとなり契約結婚〜幼馴染の小児科医が推しを盾に結婚を迫ってくる件〜
5.『特別』の呪縛
それは、秋の気配がより一層濃厚になった十月のことだった。突然の知らせは新婚旅行から帰った二週間後に訪れた。
「え!?引っ越し!?」
「ええ、そうよ。私とお父さん、クリニックの方に引っ越そうと思うの」
この日、珠江に呼び出された千春は柳原家にお邪魔していた。まさか、引っ越しを告げられるとは思いつきもしなかった。
柳原こどもクリニックは香月の祖父の手により五十年ほど前に開業された。
クリニックには香月の祖父が使っていた住まいが隣接するように建てられていた。今は閉鎖しているが職員用入口から見て左側の扉は住居側に続いている。
「前々から考えてはいたのよ。おじいちゃんが亡くなってから少しづつ荷物も整理してようやく片付けも終わったことだし。香月も結婚したからいい機会だと思ってね」
香月の祖父は心筋梗塞を患い、九年前に急逝していた。洋介が大学病院を辞め、クリニックを継いで直ぐのことである。
「相談もなくいきなり決めるなよ」
千春の隣に座っていた香月も引っ越しの件については何も知らされていなかったようで、戸惑いを隠しきれていなかった。
「あら?親にも相談せずに結婚を決めた人に言われたくないわよ。貴方達ってば新居を探す気配が全くないんだもの。私達が出て行けば、この家に自由に使ってもらえるでしょう?」
珠江は名案だと主張した。自分たちの結婚のことを引き合いに出されてはぐうの音も出ない。
……まずい。
このままだと香月と一緒に暮らすことになってしまう。千春としてはそれだけはなんとしても避けたかった。