死神のマリアージュ
結局私は界人にお母さんが亡くなったときのことをちゃんと話さないまま、時は過ぎていった。
その間、いつもどおりに日常生活を送る日々が続く。
平日は学園に行って、休日は家で過ごす。
毎日料理をして、家や庭を掃除をして、家族の洗濯物をたたんで体を動かしながら、武術やヨガや石を使ったアクセサリー作りをして、体だけでなく精神も鍛えて集中力を養う。
一方で、中間テストに向けて勉強したり、あれば宿題を済ませたり。
また、新しい料理のレシピを考えたり、今までのやりかたを改善してみたり、好きな石の図鑑(父さんからの誕生日兼クリスマスプレゼントだ)を読んで、頭を鍛えて活性化することも怠らない。
そんな私の日常は、「すごく平凡」で、「変わり映えのない」という言葉がよく似合うと思う。
でも私の暮らしの中に、家族や数少ない友だちだけじゃなくて、「魁界人」という「大切な彼」が身近に加わってからは、たとえそれがすごく平凡で、変わり映えのない一日だとしても、私にとってはかけがえのない、愛おしい日々だと思えるから不思議だ。
私に関わる例のウワサを周囲が広めてヒソヒソ話をしていても、私自身は気にならないし、界人も気にしてない。
だってそれはウソだと、当の本人と界人が知っているから。
もちろん、家族やクラスメイトや数少ない私の友だちも、ウワサはウソだと知ってるし、もう一人の当の本人である綿貫さんだって知ってるはずだ。
とにかく、ウワサに関して私は何も言及しなかったし、いちいち否定をすることもなければ、「真相はこうです!」とわざわざ言うこともしない(私は目立つことや注目を集めることが嫌いな受信機体質だってことを忘れちゃいけない)、完全放置の完全無視を決め込んだ。
石の注文をして以来、私は綿貫さんと会ってないからホントのことは分からないけど、たぶん綿貫さんも、私と同じような態度を取ったと思う。
だからか、ウソのウワサはすぐ広まったけれど、止んだのも早かった。
界人にお母さんのことを話さないのは、話したくないから話さないんじゃない。
(辛過ぎて)話せないから話さないのでもない。
今はまだ、話すときじゃないと思うから話さない。それだけ。
界人にお母さんのことを話すのは、プレゼント――私の手作りブレスレット――を渡すとき。それが界人に話す相応しいタイミングだと思うから。
その間、いつもどおりに日常生活を送る日々が続く。
平日は学園に行って、休日は家で過ごす。
毎日料理をして、家や庭を掃除をして、家族の洗濯物をたたんで体を動かしながら、武術やヨガや石を使ったアクセサリー作りをして、体だけでなく精神も鍛えて集中力を養う。
一方で、中間テストに向けて勉強したり、あれば宿題を済ませたり。
また、新しい料理のレシピを考えたり、今までのやりかたを改善してみたり、好きな石の図鑑(父さんからの誕生日兼クリスマスプレゼントだ)を読んで、頭を鍛えて活性化することも怠らない。
そんな私の日常は、「すごく平凡」で、「変わり映えのない」という言葉がよく似合うと思う。
でも私の暮らしの中に、家族や数少ない友だちだけじゃなくて、「魁界人」という「大切な彼」が身近に加わってからは、たとえそれがすごく平凡で、変わり映えのない一日だとしても、私にとってはかけがえのない、愛おしい日々だと思えるから不思議だ。
私に関わる例のウワサを周囲が広めてヒソヒソ話をしていても、私自身は気にならないし、界人も気にしてない。
だってそれはウソだと、当の本人と界人が知っているから。
もちろん、家族やクラスメイトや数少ない私の友だちも、ウワサはウソだと知ってるし、もう一人の当の本人である綿貫さんだって知ってるはずだ。
とにかく、ウワサに関して私は何も言及しなかったし、いちいち否定をすることもなければ、「真相はこうです!」とわざわざ言うこともしない(私は目立つことや注目を集めることが嫌いな受信機体質だってことを忘れちゃいけない)、完全放置の完全無視を決め込んだ。
石の注文をして以来、私は綿貫さんと会ってないからホントのことは分からないけど、たぶん綿貫さんも、私と同じような態度を取ったと思う。
だからか、ウソのウワサはすぐ広まったけれど、止んだのも早かった。
界人にお母さんのことを話さないのは、話したくないから話さないんじゃない。
(辛過ぎて)話せないから話さないのでもない。
今はまだ、話すときじゃないと思うから話さない。それだけ。
界人にお母さんのことを話すのは、プレゼント――私の手作りブレスレット――を渡すとき。それが界人に話す相応しいタイミングだと思うから。