眠れる森の王子は人魚姫に恋をした
4月も後半になると新入社員たちの地方での研修が終わり本社での研修が始まる。
初任給をまだ受け取らない新入社員にとって安い価格でランチを食べられる社員食堂は欠かせない。しかもお給料から天引きになるため現金も不要だ。よって毎年この時期は社員食堂に最も人が集まりお昼時は常に満席状態で調理場もホールスタッフも激しく動き回ることになる。

副社長室への昼食デリバリーは70周年記念パーティが行われる少し前に終了していた。
晴子主任が聞いた黒田さんからの話では『数回お願いしたい。』と言われていたのでOKを出したが、実際にはほぼ毎日昼食を運ばされ、かつ、副社長の食事が終わるまで時間を拘束されるので黒田さんに『話が違う!契約違反になるから続けるなら自分が運びます!』と訴えていたそうだ。
『忙しくなる前に長月さんを返してもらえて本当に良かったわ!』と晴子主任に何度も言われた。

社員食堂から昼食を届けることは無くなったが、最近は副社長がうちに泊まりに来た朝は必ず『お弁当を作って』とねだられるようになった。安い食材しか買えないので彼の舌を満足させることはできていないと思うのだが、毎回、嬉しそうに持っていき、きれいに空っぽになったお弁当箱を返されると作る側としてはとても嬉しい。

『ごめん!長月さん!ホールの片づけが追い付いていないから出てきてくれるー?』

使用済みの食器の食べ残しを落として業務用の食洗器にセットしていると、インカムのイヤホンから晴子主任に呼ばれた。

「食洗器のスイッチ入れたら直ぐに行きます。」

軽くエプロンで手を拭いてインカムのマイクで返事をする。食堂スタッフは基本このインカムでやり取りを行ない、姿が見えないところでも情報共有ができるようにしていた。これがあるおかげで料理が出来上がるペースやホールの込み具合をスタッフ全員で把握することができた。

「晴子主任、遅くなってすみません!」

「大丈夫よ、それより奥のエリアの片づけお願い!」

「分かりました。」

テーブルを拭くためのダスターを持って指示されたエリアに晴子主任と向かった。

食後の食器はセルフで戻せるようになっていたが、年配の役職のある方々はそのままテーブルに置いて行ってしまうことが多かった。研修がある時期は挨拶や紹介などで役職の方々も社内にいることが多く、社員食堂に皆で食べに来るのだが、こうやってそのままにされてしまうと、忙しい時期にさらに仕事が増えてしまうのだ。

「まったく…自分で食べたものくらい下げるのを徹底して欲しいわっ!」

晴子主任は文句を言いながらも手はしっかり動かし、テーブルは次第にきれいに片付いてくる。

「向こうの食器と一緒に一回運んじゃいますね。」

「そうね、お願いね。」

晴子主任を残して別のテーブルに置かれたままの食器と合わせてトレイにのせ、返却コーナーへ運ぶ途中ふと視線を感じた。
気のせいかと思っていたのだが、食器を片付け終え再び晴子主任の元へ戻る途中もやはり視線を感じたのでそちらを振り返って見た。

 …西田くん。

航希と初めて食事に行った日に告白をされてから今まで一切顔を合わせる事はなかった。同僚と一緒に来た雰囲気ではあるが、ずっとこちらを見みているのでなんとなく不気味な感じがした。だけれども特に話しかけられることもなく、その日の関りは一切なかった。

あの日、航希とはまだ実際のところ付き合っていなかったが、おそらく西田くんはあの日の航希の態度から私と航希が付き合っていると思っているに違いないと思った。

『長月さーん、まだ?』

インカムから聞こえる晴子主任の声でハッと我に返る。

「直ぐ行きます!」

返事をすると急ぎ足で晴子主任の元へ戻った。
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