Filigran.


中間試験までは毎日勉強会をしてバイトをして、


ごくごく普通に過ごしていて。



だけど夜には必ず弓弦君から電話がかかってくる。



前に一度寝落ちしてしまったときがあって、


何か変なこと言ってなかったか気になったけれど、


特に何も言われてないから大丈夫…なのかな?




それでも「勉強してて眠いだろうから」って、


毎回5分を過ぎる前には電話を切ってくれる。



…でも本当は弓弦君の声を聞けるのが楽しみで、


そのために勉強頑張ろうって思えるんだよね。




「明日が試験?」


「そうです。でもたくさん勉強したから」


「うん、きっと大丈夫」


「それよりも、窓からの風で用紙が飛ばないか毎回心配なんですよね…」


「確かに、出席番号で座るから…」



私の試験あるあるについて話していると、不意に彼が話している途中で言葉を止めた。



…あれ?どうしたんだろう。


そう思っていると、





「…俺、雪乃の苗字知らない」


「だから出席番号でどの辺りに座るかも想像できない…」



…そうだった。


彼が私の名前を知っているのは私が握手会で言ったからであって、


フルネームで名乗ってないから知るはずもないんだ。





弓弦君は何だかすごいショックみたいで、「まじか」と呟いている。


これは直ちに救出してあげようと思って、



「えっと自己紹介します。乙木雪乃です。


出席番号6番なので、教室の一番右端だから風が当たりやすいです。」



そうやって言うと、彼は「乙木さん…」と繰り返している。



「乙木さん…ついでに誕生日もお願いしていいですか」


「はい、誕生日は1月3日です。大体祝われないです。」


「なるほどお正月…。」


さっきから心なしか、ずっと項垂れているような声に聞こえる。




「でも俺のプロフィールは?」


「…ごめんなさい、完璧に覚えてます」


「うん良かった、安心した」



あなたが引くくらいには詳細に記憶してます。


身長の推移とか、好きな食べ物の変化まで知ってます。


…さすがに絶対言っちゃだめなやつ。




「じゃあね、おやすみ」


「はい、おやすみなさい」



電話を切って、一つ伸びをする。




あの頃必死で読み込んでた雑誌の、


無機質な平面の紙に写る弓弦君を思い出していたら、


いつの間にか眠りに落ちていた。



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