Filigran.
ライブの後は特にお客さんが多いから、
考えている暇もなく、慌ただしくその時間は過ぎていった。
「おつかれ、上がっていいよ」
そう店長に声をかけられ、
もう上がる時間かと、クローズの作業をしているのに驚くほどだった。
「お先に失礼します。」
軽く会釈をして、更衣室に向かう。
正直、弓弦君が泣いたという衝撃で頭がいっぱいで、
今日のバイトはほとんど記憶にない。
更衣室でエプロンを脱ぎ、
学校の制服に着替えた。
綺麗に畳まないといけないエプロンをギュッと握りしめて、
ヘナヘナと床に座り込んでしまう。
「…はぁ、やば」
本当に、情緒がおかしなことになっている。
もう夜も遅いしどうにか帰らなきゃと立ち上がって、
スクールバッグを片手に更衣室を消灯させてから、
キィと音の鳴る、ちょっと建付けの悪い扉を開ける。
そこに丁度、先ほどまで同じシフトで働いていた坂吉先輩が通りかかった。
「乙木お疲れ、今日は忙しかったね」
大学1年生の先輩は柔らかそうな茶髪に、これまた柔和そうなお顔で気さくで優しい人だ。
黒縁眼鏡をしている先輩は、普段は厨房で料理を作ることがほとんどらしい。
「やっぱりライブの後は多いですよね」
と話しながら店を出て、そういえば先輩と最寄り駅が同じだったことを思い出す。
「『Glass Craft』だっけ。これ絶対に外で言っちゃだめなことなんだけどさ、乙木もその日シフトだから言っておくね」
夜の暗がりの中、
月明りと街頭に照らされて、先輩の髪が夜風でふわふわと揺らぐ。
遠慮がちに近づいた先輩は私の耳元で、
「『Glass Craft』…ラスクラが、来週ウチの店で打ち上げするんだって。だから貸切るみたい。」
人は、あまりに驚くと言葉を失うらしい。