ハニー・メモリー
 音瑠は申し訳無さそうに言った。

「全治ニヶ月なんですよ。すみません。夏の間、バイトを休みます」

「いいのよ。そんなの気にしないで」

 早く元気になってねと告げてから真帆はそそくさと病室から立ち去った。

 そして、塾に戻って来た時、女子トイレが騒がしい事に気付いたのである。

 エリカが絶望したように真帆に伝えにきたのだ。

「やだーーー。トイレが壊れてるよ。真帆先生、汚水が逆流してるんだってばぁーー。もう、激ヤバだよ」

 誰かが、うっかりトイレを詰まらせたらしい。ただちに直してくれる業者を手配することにする。

(トイレは業者さんに任せるとして……、問題は講師の補充なのよ) 

 怪我をした千原音瑠の代わりになってくれる講師を見つけなければならない。公募をかけてみると、さっそく、エントリーしてきた女子がいたのだが……。

(この顔は……)

 ドキッと嫌な鼓動が波打った。

 なぜなら、その応募者というのが、なんと、あの須藤雪姫だったからである。履歴書をまじまじと見つめたが、これは本人で間違いない。もちろん、採用するつもりはない。

(何なのよ。あなたは妊娠しているんでしょう? 講師のバイトなんてやれるの? というか、妊娠なんて、本当は嘘なんじゃないの?)

 もしかしたら、ここに伯がいるから応募したのだろうか。伯が言うように、この子は激烈に頭がおかしいのかもしれない……。

 須藤の学歴は、まぁまぁといった感じなのだが……。

(へーえ、そうなんだ。伯と同じ公立の高校を卒業した後、私立の大学に進学したのね)

 普通ならば面接をしていただろう。だけど、この子は塾に入らせてはいけない。関わってはいけない。

 その証拠に、メールで須藤本人に不採用と知らせると、真帆に須藤が強烈な皮返答をつき付けてきた。

『鐘紡真帆さん、採用に関して私情を挟まないで下さいね。あたしが塾の講師になると都合が悪いことでもあるのですか? あたしはとても優秀です。雇わないなんて、そんなのおかしいですよ』

 そんな書き込みなど、真帆は無視することにした。苛々する。マジで勘弁して欲しい。バイトの採用に関して、こんな失礼なメールを送ってくる奴なんて初めてだ。

「やっぱり、須藤って子は頭がおかしいのね……」

 ジリジリと地面を焼き尽くすかのような暑さに咥えて忙しさが真帆を追い詰めていた。夏休みはタイムスケジュールが変わる。生徒達の自習室も、いつもより長く解放することになっている。

 翌日の午後一時。真帆が学習塾のエントランスに入ろうとすると。背後から険しい声で呼びかけられていたのてある。

 うわっ。マジか……。可愛いワンピース姿の須藤がこっちを睨みつけている。

「鐘紡真帆さん! 話があります」

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