ハニー・メモリー
「はぁーーーー。意味、わかんねぇわ。何、言ってんだよ」

 それでも、真帆は須藤に対して真摯に向き合い懇々と力説していく。

「あたし、片思いをして苦しむ気持ちは分かるの。たけど、人生には色々な扉があるの。ひとまず、暗く縮こまってしまったものは捨てなくちゃ駄目だよ。捨てたら生きるのが楽になるよ……」

「嘘つくなよ。おばさん、あたしの何が分かるっていうんだよ」

 分かるのよ! ギュウ。須藤を抱き締めずに入られなかった。

 真帆は須藤の背中を優しく撫で続けていく。よしよし。よしよし。ねんねんころり。それは母親が子供をあやすような手つきだった。 

「な、何だよ」

 須藤は女子から優しい言葉をかけられた事など一度も無かった。少し狼狽したように目を見開いて手の感触に身を委ねていく。なぜだろう。誰かに抱き締められると、こんなにも心地良くなるものなのかと驚いた。

 母以外の女性に包まれるなんて初めての体験だ。

 須藤は小学生の頃から女子に疎まれて苛められてきた。女なんて敵だと思って生きてきた。 

 かといって、男も須藤にとってはウザい存在だ。伯だけが、清流のように澄んでいた。彼こそがプリンスなのだと思ってきた、フラれてもめげずに物陰から見つめて満足していた。伯と同じ東大には入れなかったけれど、その代わり、東大生の男とコンパをして伯の行動を執拗に探り続けてきたのである。

 そうやって、月日は流れていった。しかし……。

 数ヶ月前のある夜、居酒屋から真帆を背負って歩く伯の姿を見てしまった。人魚姫のように自分の恋心がモコモコとした泡になる予感がした。

 ああ、負けるものか。カッと怒りに駆られた須藤が叫ぶ。

「あたし、子供の頃、人魚姫を読んで想ったの。人魚は自分の運命を切り開くべきったったんだ。あたしは何があってもライバルに負けないと誓ったんだよ!」

 真帆は須藤の肩を抱き締めたまま、優しい声でゆったりと訴える。

「だけど、どんなに好きになっても、それが運命の相手じゃないと気付く日が来る事もあるんだよ。須藤さん、あなたにも新しい恋は訪れるわ。それを信じて生きていこうよ。あなたの人生はまだまだ続くんだよ」

「うぜぇ。うっぜぇわ。人魚姫の相手は王子決まってるだろう」

 須藤は睨むと、照り返しの強いフルファルトに当り散らすようにして地団駄を踏みながら吼える。

「ああーーーーーーー。ムカつくーーーーーーーー!」

 ずっと一人の男性だけを見つめてきた。こんなおばさんのことが好きだなんて笑わせる。でも、このおばさんはいい匂いがする。このおばさんは、よく見ると美人だ。他の女みたいに須藤をキモイという言葉で片付けたりしない。

 だけど、やっぱり、ムカつく。

「うっせぇよーーーー」

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