ハニー・メモリー
 意味が分からない。呆然となるが、とりあえず、立ち上がった。東堂は、地面に寝転がっているのだが、ぶたれて赤く腫れた頬を押さえたまま酔ったような顔つきになっている。

(頭の打ち所が悪かったのかしら……)

 おかしい。なぜ、この人はトロンとした眼差しを向けているのだろう。

(いつまで仰向けで寝ているのよ?)

 違和感に怯えながら硬直してると、エリカが真帆の背中を突きながらとんでもない台詞を告げた。

「あのさ、痛めつけられると嬉しくなるの。今、感動の余韻に浸ってるの」

「えむ?」

「うん。おじさん、ドMなんだよ」

 まさか。ねぇ、違いますよね。祈るような気持ちで東堂の顔を覗き込むと、彼は崇めるように告げた。

「真帆の怒った顔はいいね」

 あたかも鬼神を崇拝するかのような眼差しを向けられて襟足の辺りがゾワッとなる。まさかのマゾなのかーーー。信じたくない。気付くとホテルの壁に手をついていた。看板の文字が目に入り、ひっと目を見開いていく。

『女王様の館』

 煉瓦作りの瀟洒なホテルのネーミングにクラクラとなる。女王様……。強烈な鞭とローソクが脳裏を過ぎていく。

『ひざまざいて脚をお舐め! おしおきしてやるよ。この豚!』

 どこかで、そういう台詞を耳にした。あれは何のドラマだっけ。

 亀甲縛りとか、手錠とか、そういう禁断の湿っぽいエロティシズムの波に浸食されそうになってきた。オーマイガッーーー。

 ムンクの叫びの口に吸い込まれて奈落に落ちるかのような恐怖を感じた真帆は回れ右をすると短く叫んだ。

「道明寺さん、行くわよ!」

 緊縛した空気を切り裂くようにエリカの手をとった。そのまま、猛然と逃げ出すようにして駆け出していたのだった。     

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