ハニー・メモリー
「食事を共にするのは構いませんよ。ずいぶんと華やかな服装をされていますね。もしかして、一緒に来る予定だった人の代わりに僕を呼んだのですか?」

 グサッ。痛いところを突かれてしまい、涙の膜がブワッと張り出して泣きそうになった。だから、真帆は苦い顔つきのまま正直に答える。

「フラれたばかりなの。デパートのトイレに引きこもって泣いたわ」

「何があったのか聞かせてもらえますか? すべて吐き出してみてはどうですか」

 確かに、話すと少しはスッキリするかもしれない。

(恥しいけど、こういうのって口に出した方がいいよね……)

 えいやーと真帆は景気付けに赤ワインを流し込んでいく。お酒なんて好きじゃないけれど、酔わないと、とてもじゃないがやってられない。

 目の前にある空っぽのワイングラスも二重になり揺れている。いや、これは酔いのせいではなく滲んだ涙のせいかもしれない。つい、先刻、婚約を解消されのだ。ショックのせいで胸が苦しくて、今にも崩れ落ちそうになっている。

「単なる失恋とは訳が違うのよ。彼は、あたしの婚約者は初恋の人だったの」

 そう、これは話せば長くなる壮大な片思いの自分史なのだ。真帆は、心の中で思い出という名の砂時計を引っくり返しながら語り出していく。

「ほんと、恋って不思議よね」

 真帆は子供の頃から真面目でひとつのことをコツコツとやるタイプだった。

「あたし、先輩と会うまで、異性のことを意識したことなんて一度もなかったの。子供の頃から高身長で、ほとんどの男子はあたしには子供っぽく見えてたんだ」

 高校に入学した直後、ひとつ年上の東堂秀吉に一目惚れをしていた。

 あれは風の強い春の放課後。旧校舎から体育館へと繋がる渡り廊下ですれ違った時、あたかも周囲が桜色に染まったような気がしたのだ。

(えっ、あの人は誰?)

 真帆は麗しい後姿を見つめる。また会いたい。あんな素敵な人は初めてで、魂を抜き取られそうになった。その翌日の放課後、渡り廊下を歩いていると、体育館の脇で練習中の東堂の姿が目に入った。胸が熱くなり鼓動が高鳴り吸い込まれるようにして立ち竦んだ。

(へーえ、剣道部なんだ……)

 真帆は幼少期から祖父に教わり鍛錬に励んでいる。中学時代は柔道部に所属していたので、高校でも柔道部に入る予定だったが、気付いたら剣道部に入っていた。どうしても、好きな人との接点が欲しかった。

『おはようございます』

 わざと、同じ電車の車両に乗るようになった。少しでも東堂の顔を見たかった。東堂が生徒会長に立候補すると自分も立候補をしていた。

 書記になった真帆は東堂を支え続けた。文化祭。体育祭。今、思うと至福のひとときだった。東堂が東大に入ると一年後に真帆も東大に入っている。

 医学部の東堂は忙しいのか、どのようなサークルにも入っていなかった。
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