ハニー・メモリー
 いや、真帆としてはちっとも良くない。東堂の性癖に関して考えると心がヘナヘナと萎えてしまいそうになる。

(駄目だ。先輩のことは、ぜーんぶ忘れてしまおう……)

 もうすぐ授業が始まる。いつものように館内を隅々まで見回ることにした。廊下にある鉢植えの底までもチェックしていく。

(いいぞ。トイレも綺麗だぞ。小型カメラなんて設置されていないぞ。安心安全な女子トイレだわ。うんうん。キレイ。芳香剤もいいニオイ)

 ちゃんとトイレットペーパーも補充されている。廊下もピカピカ。生徒も、全員、出席してくれている。

(生徒の成績も、今のところ、みんないい感じたよね)

 データに目を通しながら安堵していると、なぜか、そこに保護者が乗り込んできたのである。

 二階のエレベーターの前に講師達がいる部屋があり、来館者の様子がよく見えるのだ。

 真帆は目を凝らすようにして眉根を寄せた。あれは、高校三年生の小野田翼という女生徒の母親だ。彼女は真帆の顔を見るや否や、いきなり、ヒステリーを炸裂させた。えっ、何ですかと後ずさりそうになる。

「鐘紡さん、あなた、ここの管理者ですよね。どうして、うちの翼を誘惑する生徒を野放しにするんですか!」

 すごい剣幕だ。他の講師や生徒の目もあるので、こういうのは困るので、面談室へと誘おとしたのだが、彼女は興奮している。その時、心配そうに伯がこちらを見ていることに気付いた。
 
 真帆は母親を宥めながら歩こうとする。とりあえず、廊下の隅まで連れ出したのだ。

「お、落ち着いて下さい」

 聞いてみたところ、彼女の娘の翼は、ここで藤悠馬君と知り合って恋人関係になったというのだが……。

「うちの翼と同じ大学の経済学部を受けるのよ。これは罠だわ。悠馬君は、うちの翼を誘惑して蹴落とすつもりなのよ」

 真帆は顔をしかめる。

 どう考えてもそれはない。悠馬も翼も朴訥としていて良い子なのだ。二人で合格しようねと仲良く誓い合い、お揃いのお守りを持っている。真面目に勉強しているのに、母親は、何を勘違いしたのか、二人が交わしているLINEの内容に憤っている。

 真帆からすれば、こんなの、どうってことない。いや、誰が見ても、これは純愛だ。ジブリ映画の中のカップルみたいに微笑ましいと思うだが……。

「受験生なんですよ。彼氏なんて必要ありません! 勉強の妨げになるだけです。うちの子は、きっと男の子に誘惑されて堕落したのよ」

 堕落? あなた、堕落の意味を知ってますかと問い詰めたい気分だがグッと呑み込む。
 
「誤解です。二人とも頑張って勉強していますよ」

「いいえ。こんな浮ついた言葉をかわす暇があるのなら英単語のひとつでも覚えるべきですわよ。あなたも教育者でしょう。あなたは、どこの大学出身なの!」

「東大です」

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