ハニー・メモリー
 目の前にある空っぽのワイングラスも二重になり揺れている。いや、これは酔いのせいではなく滲んだ涙のせいかもしれない。つい、先刻、婚約を解消されのだ。ショックのせいで胸が苦しくて、今にも崩れ落ちそうになっている。

「単なる失恋とは訳が違うのよ。彼は、あたしの婚約者は初恋の人だったの」

 そう、これは話せば長くなる壮大な片思いの自分史なのだ。真帆は、心の中で思い出という名の砂時計を引っくり返しながら語り出していく。

「高校生の頃からずっと片想いしていたの。彼に憧れて剣道部に入ったの。それから、あたしは大学も先輩と同じ東大を選んだわ。それでも、彼女にはなれなかった。あたしは、もう仕方ないと諦めて就職してからは仕事に力を入れたの」

 真帆は彼氏を一度も作る事もなく三十路を迎えようとしていた。ある時、自宅の居間のテーブルの上に風呂敷に包まれたお写真が置かれていたのである。

 いい歳なんだから、いい相手を見つけて欲しいと母にせがまれて、三ヶ月前に見合いをした。外資系の豪華なホテルのカフェで対面した直後、セリーヌのクラッチバックを落としそうになった。

 なんと、目の前に、憧れの先輩の東堂秀吉が佇んでいたからだ。

『せ、先輩……』 

『真帆。久しぶりだね、元気そうだね。君は少しも変わらないね』

 これはすごい。

 パンパカパーン。脳内で薔薇の花びらが舞った。歓喜の瞬間だった。お見合い相手が東堂だなんて知らなかった。写真も見ていなかったからだ。

 奇跡の再会に心臓が暴れ出していた。いやーーん。どうしましょう!

 規格外の美形である。イタリア製のグレーの高価なスーツが似合っていた。以前にも増して大人びていて凛々しくて、胸がトクトクと弾む。やはり、あなたはあたしの王子様……。

『あら、あなた達、知り合いなの?』

 仲人さんは驚きながらもニコニコしていた。

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